「十一月は誕生月」
「次女の思い出」
我が子を尊敬するのは変なのか。普通なのか。私達姉妹の母は、私達を尊敬していた。同じ様に、私も娘達を尊敬している。
最も次女を偉いと思ったのは、小学校のミュージカル『ピノキオ』のオーディション。「無難な端役にしとけば?」と聞く母に、次女はキッパリと言った。
「ピノキオ役は一番歌が難しいの。音を外さずに歌えて、しかも何曲もある歌詞を全部覚えられるのは私だけだもん。私がトライしなきゃダメだと思う」
ミュージカルの成功のみを思う次女の言葉に、母は心底敬服した。
遡って、当時五歳ぐらいだった次女と長女を連れて日本へ一時帰国した際のこと。
ある家へ挨拶に行った。話も尽きた、そろそろ失礼したい、と私が切に思った矢先、奥様が盆にアイスクリームを盛った器と銀の匙を載せて来た。ご主人が狭い客間で盛んに煙草を吸い始めた。一刻も早く退散したい。アイスクリームは次女の大好物。お願い、手を出すな‥‥‥と私は念じた。
奥様「さあ召し上がれ」
次女「いえ、結構ですから」
次女は涼しい眼でにっこり笑って、小さな手でアイスの盆を寸止めして、キッパリと言った。
アメリカ育ちの次女がそんな日本語どこで覚えたのか。大好きなアイスを理性で断れるほど、空気が読める子供であった。
最初に次女を尊敬したのは生まれた瞬間。
普通赤ちゃんは産声を上げるものだが、次女は「ふにゃあ」と一声のみ、涼しい目で私にウインクした。これは本当の事だ。
私「産声が小さくても大丈夫ですか?」
助産婦「満点の分娩では泣かずに元気に呼吸し始める事もありますよ」
数分前に死にかけた(と思った)私が泣いた。