塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

プレミアムという言葉の意義は何か

2013-10-23 21:59:36 | 日記
 今の時期、衣料品の主軸はダウンになります。

 僕が不可解に感じるのは、1万円を下回る廉価品でも「プレミアム・ダウン」という名称を用いている点です。

 最高峰を謳うのであれば、もっと高額になってよいはずですし、そもそもそれほど高級なダウン、フェザーが得られないからこそ
プレミアムなのでは無いでしょうか。

 サッカーも同様で、やはりプレミアムなリーグには、そのリーグに見合った選手しか存在すべきではないと思います。

 酷な言い方ですが、実力に見合わないクラブ、リーグにいては選手本人が疲弊、特に心が痛んでしまい得るものが無いように思え
ます。

 J1が苦戦している点、視聴率、報道の露出が少ないのは、選手の力量不足が招いているゆえの

 「ニュース・バリューの低さ」

 かもしれません。

 今、サッカーの世界で最高にプレミアムといえば、リーガ・エスパニョーラとプレミア・リーグです。

 このリーグに在籍していることでも凄いわけですが、チャンピオンズ・リーグと国内リーグの2冠を目指すビッグクラブは、入団
会見の段階から

 「いつでもお前を罵倒するぞ」

 と手ぐすね引いて待つ記者がやって来ます。

 ですから、メッシ、ロナウドのように長きにわたって批判に屈せず、活躍できることは本当に凄いことですし、改めて敬意を払わ
ずにはいられません。

 「私は悲しい」

 ロナウドがそう呟いた際、ファンとメディアは発言の真意を確かめるべく躍起になりましたが、それは報酬、優勝回数の問題では
なく、思いやりの心、いたわりが感じられない、そう考えたのではないでしょうか。

 ボールを持つたびに

 「メッシ、メッシ」

 とからかわれるのであれば、それはロナウドでなくとも勘弁して欲しいと思うでしょうから。
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コパ・リベルタドーレス優勝の大きさと名誉

2013-10-23 17:33:17 | 日記
 昨日から中央公論文庫から発売されている「ゲバラ日記」を読み始めましたが、ゲバラ自身がリベルタドーレスという確信
はあったのでしょうか。

 以前はトヨタ、そして今年からブリジストンが冠スポンサーとなる、南米最高の名誉

 「コパ・リベルタドーレス」

 は、日本語に当てはめますと解放者たちの杯という形になります。

 キューバ、コンゴ、そしてボリビアという3か国で見た景色を、ゲバラが見るゆとりがあったのか、この文庫を読めば明ら
かになるのでしょうが。

 コパ・リベルタドーレス2012年王者コリンチャンスは、チェルシーを破り世界王者に輝いたものの、それまでのブラジ
ル国内での評判はさほどであはありませんでした。

 コリンチャンスはフラメンゴ同様、ブラジル全国に多くのファンを抱えることで有名ですが、南米王者に輝いた経歴を持た
無い為、その点が泣き所だったのです。

 フラメンゴ、サントス、サンパウロだけでなく、グレミオやインテルナシオナルにクルゼイロという形でmブラジルからは
様々なクラブが優勝していますし、財政破たんが叫ばれるヴァスコですら優勝経験を持ちます。

 ですから2012年のリベルタドーレス制覇は

 「コリンチャンスの弱点を補う」

 意味で最高の結果でしたし、あの世界クラブ選手権初回優勝というような、まがいものではなく正真正銘のステイタスにな
りました。

 それは今季優勝したアトレティコ・ミネイロもそうですね。

 例えばウルグアイではペニャロルとナシオナルが随分優勝から遠ざかっていますし、オリンピアやリーベル、ボカなどの有
力クラブも同様ですね。

 2004年のオンセ・カルダス、2008年のLDUキトのように、コロンビア、エクアドルのクラブが優勝することもあ
りますが、欧州に例えるならば2004年のポルトのような

 「ダークホース」

 としての優勝の意味あいが強いですね。

 リベルタドーレスが今後も激戦が続くのは間違いありません。
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スマップのシングル「ジョイ」を聴いて

2013-10-23 17:13:58 | 日記
 スマップが記念すべき50枚目のシングルとして発売した「ジョイ」には、以下の歌詞があります。

 「あのころの僕らはどこにいっちまった、探しにいくのさジョイ・ジョイ!」

 あのころの僕ら、例えば僕ならば学校の休み時間と放課後、学年やクラスを通り越してサッカーボールを無我夢中で蹴っていた
頃、ですね。

 どんな有名な選手でも、幼いころは

 「将来プロになる」
 「プロになってお金を稼いで、家族皆で暮らしたいよ。」

 とは思わないでしょう。

 リケルメやテヴェスのように、アルゼンチンの中でも特に知られた貧民街の出身ならばそうではないのかもしれませんが、大半
は楽しいから、夢中になれるからボールを蹴っていたはずです。

 でもプロを目指し、そしてプロになると、子供の頃には思いもしなかった出来事が幾つも出現します。

 レッドカードで退場し、周囲に迷惑をかけてしまうこともあれば、自身の怪我、もしくは相手を怪我させてしまい、思い悩む時
もあるでしょう。

 ワールドカップ予選で敗退し、周囲から罵声を浴びる、クラブが降格してしまい残留か、移籍かかで思い悩む。

 こうした自分の力ではどうしようもない場面に遭遇することも、プロの世界では起こりえます。

 プロでは

 「あのころの僕ら」

 楽しくて、嬉しくて、夕飯の事も忘れて皆で駆けてまわった時を、思い出すことさえ困難かもしれませんが、だからこそ当時の
姿を思い出す必要があるのではないでしょうか。

 「どうにかなるさ人生は 明るい歌でも歌っていくのさジョイ・ジョイ!」

 とスマップの皆さんは、最後に僕たちを励ましてくれていますが、これは自分たちへの激励でもあるでしょう。

 笑顔を失った選手たちは、もう一度サッカーボールを買ってもらった時、蹴飛ばしていたときの事を思い浮かべて欲しい、そう
願います。
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最高の人材が最終ラインに集まったならば

2013-10-23 02:04:32 | 日記
 スペイン代表やベネズエラを撃破したU-17日本代表のように、ショートパスで相手を翻弄する場面は確かに見ていて
ひどく興奮します。

 一方イタリアに見られる、守備の美しさを見逃してはいけませんし、僕たちはどこかこの観点を蔑ろにしているように
思えます。

 守備側としてはイエロー、レッドのいずれも回避しなくてはなりませんし、特にボックス・エリア周辺では集中力をき
らしてはいけません。

 ですから見事なショルダー・チャージ、タックル、そしてオフサイド・トラップはメッシやロナウドの巧みな技術と同
様に、もっと注目されて良いと思いますが。

 ミラン・ファンでなくとも、90年代を支えた最終ラインの面子は「空」で言えますよね。

 右からタソッティ、コスタクルタ、バレージ、マルディーニで司るライン・ディフェンスは、ウエアやボバン、サビチェ
ビッチが攻撃に専念できる環境を、ドゥサイーと共に作り出したことで知られています。

 もし僕がミランのような、素晴らしい最終ラインを持つクラブの広報ならば、以下のキャッチ・コピーをつけます。

 「Star・Backs」

 これは大手コーヒー・チェーンのスターバックスから拝借しましたが、スターバックスの「バックス」の綴りとは異なり
ますので、差支えは無いと思いますが。

 (スターバックスのバックスをアルファベットで記す際はBucksになります。)

 要は守備の面子に最高の人材が揃っていますよと言う意味で、かつてアーセナルで讃えられた

 「フェイマス・バック4」

 のようなものです。

 ただ、スターバックスの会社名が商標登録されていれば、無理があるとは思います。

 例えばアディダスが手掛ける靴にスーパースターがありますが、アディダスは日本国内でこの単語を用いて販売できませ
ん。

 それは既にミズノがスーパースターという名義でジャージを販売している為で、僕たちとメディアが使う分には問題ない
のですが、アディダスが使った瞬間、ミズノの権利を侵害してしまう形になります。

 日本代表の最終ラインも、今安定が求められています。
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若き日のチェ・ゲバラが遭遇したサッカー風景

2013-10-23 00:01:18 | 日記
 角川文庫から発売されている「モーター・サイクル・ダイアリーズ」

 著者は皆さんご存知のようにエルネスト・チェ・ゲバラで、この作品にはゲバラと共に南米大陸を旅した年上の友人、アル
ベルトがサッカーをする記述が出てきます。

 特に印象的なのは199ページに記されている

 「明日はミジョナリオス対レアル・マドリッドの試合を、一番安いスタンド席から見に行きます。」

 という表現ですね。

 僕はミジョナリオスといえば、バルサとレアルの双方が目をつけ、同時に現在のレアルを語る上で絶対にはずすことのでき
ない、あの

 「ディ・ステファノ」

 が在籍していた、コロンビアのミジョナリオスだと最初は解釈していました。

 しかし、本文ではリーベル・プレートの事を指していると注意書きがあります。

 ゲバラはこの時コロンビアにいた為に、僕はてっきりコロンビアのクラブと対戦するために、レアルが遠征したと思ったので
すが。

 でもゲバラがこの旅行を行ったのは1951年から52年にかけてのことで、ステファノは47年から49年二はリーベル、
49年から53年にかけてミジョナリオスに在籍しています。

 どちらにしても、ゲバラはきっとこの対戦を楽しんだことでしょう。

 ステファノに当初目を付けたのは実はバルサが先で、結局のところ将軍フランコが

 「彼はバルサとレアル、1年ずつプレイしたらどうか」

 と提案するのですが、バルサが断固反対したためにステファノはレアルの象徴となります。

 フランコの発言の現代からは考えられませんが、この提案をバルサが断るという前提で行ったのであれば、やはり彼は策士
と言えます。

 (参考資料 日本スポーツ企画出版 ザ・グレイト100)
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