塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

わだかまりはすぐ消える、それとも消えない?

2013-10-24 23:28:03 | 日記
 人間には当然意思があり、すべての人間と調和がとれるわけではありません。

 俗に言う「ウマが合う、合わない」はどこにでも見られる光景で、もしすべての人間とウマがあうのであれば、古代から侵略戦争
など起きる事は無かったと言えます。

 サッカーでは一般的に

 「欧州では練習中でも試合中でも、お互いが意見をぶつけあう」
 「しかし、シャワーを浴びて着替えを済ませれば、それまでのわだかまりは消えている」
 
 と言われます。

 これ、本当でしょうか?

 欧州や中南米の選手たちは、罵り合いや罵倒されても自己を曲げることは確かに少ないようですが、そんな簡単に憤怒、わだかま
りの感情を拭えるとは到底思えません。

 日本は韓国ほどではないにせよ、目上の人間を尊重します。

 だからこそ仕事帰りの一杯で

 「憂さ晴らし」

 をするのであって、サッカーの世界でも外国籍の選手から見れば自己主張が足りないと言われますが、日本は目上の人間に敬意を
払う事で社会の調和を得てきたのですから

 「サッカーだけが特別」

 にならないのは当たり前です。

 逆に日本式を彼らが取り入れたなら、馬鹿げた犯罪は減少するかもしれません。

 韓国が日本以上に目上に敬意を示すのは、儒教の影響が大きいと言われており、韓国代表も若手は年長者の意見に耳を傾ける事で
成長してきました。

 ですから90年代後半、イ・チョンスやコ・ジョンスのような、例外的な選手が出現した時に周囲は戸惑うしかなかったわけです。

 でも面白いことに、外国籍、韓国籍問わず

 「代表監督への罵声」

 が止むことは無く、更迭劇は日本以上に例があります。

 記者とファンからすれば当然代表監督は年長者に相当しますが、この点だけは例外という考えなのでしょうか。
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監督の悪口はファンの楽しみなのだろうか。

2013-10-24 23:18:22 | 日記
 以前、田村正和さんが「カミさんの悪口」と言うテレビドラマの主演に起用されたと記憶しています。

 夫にとって妻の悪口を仲間内で語り合うのは最高の楽しみであり、逆に妻からすれば亭主不在の際に豪勢な食事をし、皆で
やはり悪口を言い合っているのでしょうか。

 居酒屋や焼き鳥屋がいつも繁盛しているのは

 「上司の悪口こそが最高の酒肴」

 と感じている会社員の為でしょうしね。

 では代表監督に対する悪口はどうでしょうか?

 でもどんな代表監督でも心のどこかでは、悪口を言われて本望と思わなければこの仕事を受けなかったと思っているはずで
すし、致し方無いのかもしれません。

 例えば2014年ワールドカップ優勝が義務づけられているブラジル。

 前任者マノ・メネゼスに対する批判は日ましに高まり、フェリポン政権が決まったら決まったで多くのファンがこの交代に
ため息を付きます。

 「フェリポンが監督か。これなら華麗なサッカーは期待できないな。」
 「確かに2002年の優勝監督だけど、最近はパッとしない成績だったのに。」

 という外野の意見、悪口は当然スコラーリの耳にも入っていたはずですし、この意見を見返すことで政権安定を図ることが、
当初の目的だったでしょうね。

 中盤ではパウリーニョが軸となり、最終ラインにはもしかしますとインテルのジュアン、PSGのマルキーニョスが加わる
可能性も出てきました。

 またチェルシーに移籍したウイリアン、スパーズのサンドロなど、代表歴はあるものの当落線上にあたる選手も、今後奮起
するでしょうから、フェリポンも視察を続けるはずです。

 監督の悪口はファンにとって最高の楽しみでしょうが、1986年のアルゼンチンのように

 「ビラルド、君を罵倒してすまなかった」

 と全国民が平身低頭する姿は、監督にとっては痛快出来事でしょうね。

 
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監督にとっての最重要事項、ハーフタイムという時間

2013-10-24 00:55:43 | 日記
 今「ゴール・コム」を閲覧していますと、指導者コラムと題しましてハーフタイムの使い方と言うテーマで、グアム代表監督
ギャリー・ホワイト氏の意見が掲載されています。

 近年日本テレビが冬の選手権における、ドレッシングルームの映像を公開しています。

 年齢も関係あるのでしょうが、彼らのようなアマチュアでも収拾がつかない場合があるようですから、自己主張あってこその
プロと見なされているプロの集団に対して、監督はその収拾、言い換えれば落着きを与えねばなりません。

 僕がハーフタイムとして連想する試合。

 それは1993年10月28日、ドーハで行われた日本代表対イラク代表の一戦です。

 アメリカが目前に迫っていた日本代表は、ハーフタイムになっても興奮を抑えきれず、各々が勝手な発言を繰り返し、指揮官
のオフトは何も具体的な指示を出すことが出来なかったのです。

 彼がどんなに大声で

 「シャラップ!!」

 を叫んでも、オフトの言う事に選手は見向きもせず、これがファルカン招聘の要因となった世界の修羅場という言葉に繋がっ
たのでしょう。

 つまり僕たちは

 「イラクの選手にタックルするカズ」
 「ボールの行方を追う松永の視線」

 は覚えていますが、もしハーフタイムに約束事を再確認できていれば、あの失点は回避できたかもしれません。

 勿論サウジ戦のドロー、イラン戦の敗北と「もし」という言葉で表せない要素もあったわけですが。

 ですからハーフタイムの15分ほど、監督にとっては正念場であり腕の見せ所になります。

 ヴィラス・ボラスのような若い指揮官がチェルシーで反故にされたのも、こうした指示系統に不満があったようですし、ベッカム
が目の上に傷を負い、ファーガソンとの別れを決意したのも、ドレッシングルームでの出来事でしたね。
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パルセイロ、ユース発足に一歩前へ

2013-10-24 00:40:36 | 日記
 長野パルセイロがユース創設に向けて歩み始めます。

 昨日の信濃毎日新聞30ページに「AC長野市立長野高と提携 来春ユースチームを発足」という見出しで、J2昇格時に必要
なユースを含む育成に関しての準備となります。

 この記事でも触れていますが、Jでは広島、ガンバが提携先の高校に選手が入学し、勉学と練習の2本立てで生活を送っていた
実績があります。

 パルセイロのジュニアユースは既に海外遠征の機会に恵まれ、地元との触れ合いも大切にしています。

 長野高校以外の学生にも門戸を開くそうですから、2014年の北信地域におけるサッカーの普及は、新しい息吹で一杯になる
でしょうね。

 今、冬の選手権予選が行われています。

 近年の長野県代表は常連の松商学園、都市大塩尻など、松本、塩尻周辺の高校が参加しています。

 それはプリンスリーグとも兼ね合いもあるのでしょうが

 1・アルウィンと松本山雅楽の存在
 2・山雅がJFL、J2と順調に成長を遂げ、反町監督と言う代表経験者を招いたこと

 という付加価値もあると思います。

 長野市周辺は昔から野球好きの方が多く、確かに中信、南信と比較した際、グランセローズを見られる機会は圧倒的に多いこと
も事実です。

 ですので、パルセイロのユース設立が

 「北と南の均衡状態」

 を生み出し、より見ごたえのある県予選になると良いですね。

 ワールドカップも予選で手厳しい批判を浴びた選手が、本大会で素晴らしい活躍を見せるように、予選に参加することはそれだ
けで貴重な体験の場になっていると言えます。
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