塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

洗うという試みに焦点をあわせると

2018-10-21 01:40:21 | 日記
 アディダスが手掛ける「グリッチ」、インナースキンは当然洗うことが出来るのでしょうか。

 日本は柔軟剤や衣料洗剤の流行り廃りが多く、とにかく洗い立てを着たいと思うのは湿度が高く、汗をかいた際の発汗が難しいためです。

 つまり、汗を含んだ衣類が肌に張り付くことを、皆が嫌う、そして近年は洗えるスーツも登場した、というわけです。

 僕も仕事上ではポリエステル混紡のスラックスを履きます。

 天然素材よりも強度が高く、洗ってパンツ・プレッサーにかけられるメリットがあるためですが。グリッチにはあるバスケット・シューズの影響があると思います。

 アディダスは1994年、インナーブーツの取り外しが可能なバッシュ

 「エキップメント バスケットボールブーツ」

 を希望小売価格17900円で発売しています。

 インナーブーツはカラーバリエーションがあり、別売り3500円で購入することができ、自分好みの配色で履くことができました。

 コンバースに代表されるキャンバス・シューズは洗って履くことができました。

 しかし、エアー・ジョーダンやエアロ・ジャムのような高額バッシュを、洗って清潔に履くというのは、間違いなくな無い物ねだりでしかなかったのです。

 アディダスはインナーブーツを

 靴を脚にあわせる
 洗濯ができて常に衛生的

 というコンセプトで市場に投入したのです。

 正直、売上は期待ほどではなかったと思いますが、この試みがサッカー・スパイクに通じているように見えるのは、実に興味深いですよね、

 この当時のアディダスは、サッカーでもバスケットでもナイキの勝つことが出来ず、様々なアイディアを持ち込んでいた印象があります

 (参考資料 スニーカー・ハンドブック 1984-1999)
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矜持と意固地は紙一重の差か

2018-10-21 01:22:07 | 日記
 沢田研二さんがさいたまスーパー・アリーナのコンサートを中止にした件が波紋を読んでいます。

 もし僕が新幹線を利用して脚を運んだならば、

 「えー!何で!」
 
 くらいは叫んだと思います。

 往年のファン、同世代のファンは達観している
 沢田さんよりも若いファンは戸惑いと憤り

 という感情だったように見えます。

 突然のキャンセルは歌手としての矜持、言い換えれば沢田研二が沢田研二でいるための要素といえるのでしょうか。

 これ、さっかーにも当てはまりますよね。

 フィリップ・トルシエの3-4-1-2
 ズネスク・ゼーマンの4-3-3
 アルベルト・ザッケローニの3-4-3

 は、彼らの代名詞として呼ばれる布陣です。

 インテルがエクトル・クーペルを招聘した2季目の2003シーズンはこんなことがありました。

 インテル首脳陣は守備の強化策として、パラグアイ代表のガマラ、イタリア代表のカンナバロとアダーニを獲得します。

 従来のマテラッティとコルドバを含めれば、これだけ屈強なセンターバックがいるわけですから、バック3の導入を促すのが自然というものです。

 しかしクーペルは自身の描く4-4-2を覆すことなくまい進します。

 この年のインテルは弱点と言われたレフト・フルバックに、ミランとの交換トレードでフランチェスコ・ココを得ており、右のネルソン・ヴィ―バス、もしくは主将のサネッティを両翼に活用する3-4-1-2が現実的でした。

 「1」の部分にはドメニコ・モルフェオという適材もいたためです。

 それでもクーペルは意固地と批判されようがバック4を崩しません。

 こうした矜持を貫く信念は相当と言えますが、頑固者との紙一重の差は如何ともしがたいとも感じるのです。
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