長野パルセイロ公式ホームページによりますと、2019年1月15日に長野エルザ時代から数えて創立30周年を迎えたとのことです。
丸山朗氏は感慨深いでしょうね。
僕がパルセイロの存在を知った2006年は、丁度クラブの端境期だったわけです。
翌年2007年、長野エルザは「エルザ」が既に商標登録されていることから、一般公募でポルトガル語の「パートナー」を意味するパルセイロをクラブ名に名付け、新しいスタートを切りました。
翌年の2008年には、クラブ初のプロ契約選手となる要田勇一が誕生し、「ヨーさん」の愛称で親しまれました。
ヨーさんはヒュンメルからミズノとスパイクを履きかえましたが、何故印象に残っているかと言えば、当時パルセイロは千曲市サッカー場で冬季練習を行っており、何度か観戦に出向いているためです。
当時はクラブもアマチュアで、篠ノ井駅からシャトルバスの運行もなく、観戦のためにせっせと歩いたものです。
「よさこりゃ籾谷!エイ!エイ!」
「藤田のゴールが見たい!オンリー・ユー!」
「土橋ヒーロー!」
と籾谷、藤田、土橋と当時を支えた選手の応援歌は今でもよく覚えています。
ジャージ・スポンサーもブラジルのデレルバ、2013年のJFL優勝時はデュエロ、そして現在のペナルティとクラブの知名度が上昇すると、ブランドも大きく様変わりしました。
特にペナルティのような老舗が契約先になった時は、自然と興奮したことを覚えています。
僕はシーズン・チケットホルダーに代表される、熱心なファンではなく、クラブにお金を落としているとは言えません。
それでも地元のクラブを応援できる有難さを、いつも感謝しておりその点は良かったと心から思っています。
パルセイロ、30歳おめでとう。
丸山朗氏は感慨深いでしょうね。
僕がパルセイロの存在を知った2006年は、丁度クラブの端境期だったわけです。
翌年2007年、長野エルザは「エルザ」が既に商標登録されていることから、一般公募でポルトガル語の「パートナー」を意味するパルセイロをクラブ名に名付け、新しいスタートを切りました。
翌年の2008年には、クラブ初のプロ契約選手となる要田勇一が誕生し、「ヨーさん」の愛称で親しまれました。
ヨーさんはヒュンメルからミズノとスパイクを履きかえましたが、何故印象に残っているかと言えば、当時パルセイロは千曲市サッカー場で冬季練習を行っており、何度か観戦に出向いているためです。
当時はクラブもアマチュアで、篠ノ井駅からシャトルバスの運行もなく、観戦のためにせっせと歩いたものです。
「よさこりゃ籾谷!エイ!エイ!」
「藤田のゴールが見たい!オンリー・ユー!」
「土橋ヒーロー!」
と籾谷、藤田、土橋と当時を支えた選手の応援歌は今でもよく覚えています。
ジャージ・スポンサーもブラジルのデレルバ、2013年のJFL優勝時はデュエロ、そして現在のペナルティとクラブの知名度が上昇すると、ブランドも大きく様変わりしました。
特にペナルティのような老舗が契約先になった時は、自然と興奮したことを覚えています。
僕はシーズン・チケットホルダーに代表される、熱心なファンではなく、クラブにお金を落としているとは言えません。
それでも地元のクラブを応援できる有難さを、いつも感謝しておりその点は良かったと心から思っています。
パルセイロ、30歳おめでとう。