塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーに政治の思惑はあるだろうか

2019-01-30 02:00:02 | 日記
 サッカーに限らず、スポーツにおいて

 「スポーツに国境はない」
 「スポーツと政治は無関係」

 という格言を改めて思います。

 モスクワ五輪とロス五輪の際は、明らかに東西冷戦の影響酷が色濃く残る一方、我が国は今では考えれないほどの、銀行とゆうちょの利子が得られた時代でした。

 イラン、イラク、アフガニスタンの政治状況に、ロシアや米国の思惑が絡んでいることは間違いありません。

 経済制裁で米国と対立するイランならば、反発は必須でしょう。

 しかし、イラン代表選手の多くが米国を代表するナイキを選択していることをみると、政治家よりも選手の方が冷静に世のなかを見つめている印象を受けます。

 クロアチアがあと一歩でワールドカップ優勝を逃した昨年の夏、スロベニアやコソボ自治区の方はに何を感じたでしょうか。

 オシム、ティトー、旧ユーゴ連邦など、木村元彦氏はその著作でこのバルカン半島情勢を数多く執筆してきました。

 今のセルビアがピクシーが現役時代だったユーゴスラビア時代、NATOから手厳しい空爆を受けたわけですが、庶民はTシャツやジーンズなど、米国生まれの衣料品を着ていたはずです。

 どんなに中国といがみあっても、中国生産無くして日本経済が成立しません。

 それと同様に、米国生まれの衣料品や飲料水、食料も世界各国に大きな影響力を持ちます。

 だからこそ、米国大統領の選挙は内外に大きな注目を与えるわけですし、厳しい封鎖が目見見えていても、中米からの不法移民が後を絶ちません。

 ホンジュラスやパナマ、コスタリカのように近年代表の躍進が目立つ国が、サッカーを通じて愛国心を示す。

 それはある意味、自立を促すのかそれとも米国への懐疑となるのか、どちらでしょうか。
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カタール代表、アジア杯決勝で日本と対戦

2019-01-30 01:43:15 | 日記
 カタールは国家の総力を結集し、パリ・サンジェルマンに出資している、と言われています。

 一方で2000年代初頭からカタール・リーグは現在の中国のように、マリオ・バスラ―、フェルナンド・イエロ、そしてバティストウータなど、多くの代表経験者を獲得してきました。

 バルセロナを退団したシャビ・エルナンデスも同様です。

 現在の中国と異なるのは、加入する外国籍選手の年齢が高いという点でしょうか。

 カタール・リーグの観客動員が、Jリーグとは話にならないことも知られています。

 しかし、カタール代表がアジア杯で日本代表を破って優勝したならば。

 2022年ワールドカップに向けて、恰好のデモンストレーションになりうるはずです。

 ただ、カタール代表にとって厳しいのは、2017年大会をもってコンフェデレーションズ・カップが廃止になったことです。

 日本代表はキリン・チャンレンジカップの後に、コパ・アメリカに参戦します。

 カタールもこのような大きな国際トーナメントがあれば、自国開催に向けて強化策の一つになったはずですが、今後どのような形で強化計画を練るのか、この点は焦点になるはずです。

 カタールは過去、フィリップ・トルシエを招聘し、彼は当然十八番のフラット3を導入します。

 しかし、彼らは指揮官がラインの押し上げを指示しても、思うようにできない、つまり飲み込みではなく

 「指揮官が意図する考えを消化できない」

 事が多かったようです。

 しかし、今ならフランス人指揮官の思惑を、多くの選手が同時に描けるはずです。

 さて、日本代表は酒井、遠藤の負傷が気がかりですが、森保さんは今どんな胸中でしょうか。
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