塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにおけるハーフタイムの意義

2021-03-02 22:54:53 | 日記
 僕は今、火曜日21時から放送中のテレビドラマ「青のスクールポリス」を視聴しています。

 先ほど最新回を見終えたのですが、今回の題材は中学の野球部におけるレーザービームが発端として発生した事件と、別件の過去でした。

 競技によって明確が時間が区切られている場合もあれば、時間制限が無い競技があります。

 過去、サッカーはハーフタイム制ではなく、NFLのような「クオーター制度」も示唆されましたが、それは選手の安全面や競技の魅力促進ではなく、単純にコマーシャル増加による収益の増加というお金のためでした。

 ですから採用されることなく現在までハーフタイム制度が維持されています。

 野球のように延長戦や炎天下の中の試合をどうすべきか、という議論はつきませんし、野球に限らず部活動の長時間拘束、教員側の大きな負担など、改善を求める声は大きいですよね。

 ドラマ中でも「水を飲ませてください」という表現がありましたが、水を摂取することが部活だけでなく、通常の時間でも必須ですから。

 サッカーの場合、練習よりも15分のハーフタイムを選手、指揮官、顧問がどう活用するかの方が大切ではないでしょうか。

 1993年アジア最終予選の日本代表。

 最終戦となるイラク代表との一戦、選手は興奮状態でハンス・オフトが何度となく「シャラップ!!」と声を張り上げても、誰も聞く耳を持ちませんでした。

 また2005年、イスタンブールで行われたチャンピオンズ・リーグの決勝。

 ミランを相手に0-3でドレッシングルームに引き上げてきたリバプールの選手たちに対し、指揮官のラファ・ベニテスは極めて冷静のホワイトボードに向かい

 布陣を3-4-1-2に変更する
 守備の約束事を最小限にし、攻撃の活性化を明確にする

 事を示唆します。

 結果は既に、世界中が知っています。

 練習で試合感覚は身に着けることができますが、ハーフタイムの活用は普段から取り入れることができません。

 だからこそ顧問、指揮官、選手も普段から意識してボールを蹴るだけでなく、読書を含む様々な視点が不可欠になると感じるのです。
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伝統は疎かにできない代物ですが

2021-03-02 20:39:49 | 日記
 僕が大学卒業後、初めて入手したパソコンは東芝の「ダイナブック」でした。

 それは2001年の事だったと思いますが、翌年の韓日ワールドカップ、東芝は取材陣が用いるノートパソコンを供給し、改めて世界に自社の技術を示したものです。

 その東芝の経営が傾いたのは、首脳陣が抱えた諸問題にあると思うのですが、伝統は確かに尊重すべきですが、伝統だけでは生きていけないことは、サッカーも企業も同じなのですね。

 トヨタ自動車が水素自動車「ミライ」の製造だけでなく、静岡県、富士山が見えるふもとに「街」を作る準備を始めていますが、これも車の生産だけに頼っていては致し方ない。

 というトヨタの強い意思表示に見えます。

 ちなみに僕はガソリンは「エネオス」で給油しますが、エネオスはFC東京と深い関係にありますが、それ以上に20年も前から電気供給も行っているという事実があります。

 それだけリスクを管理することが大切なのですね。

 サッカーでもイタリアならばトリノ、イングランドならばノッティンガム・フォレスト、フランスならなナントのように、過去素晴らしい名声を得ても、今はそうでは無いクラブがあります。

 彼らが培ってきた伝統は誇らしいものです。

 しかし、その伝統を成績面に上乗せし、新しい発展を遂げるだけの材料が、経営陣には無かったのかもしれません。

 日本なら鹿島アントラーズ
 ポルトガルならばFCポルト
 ドイツならバイエルン

 のように、常勝を義務とするクラブは、ほんのわずかの停滞すら許されず、リーグ優勝が数年滞れば、クラブの名声に傷がつくと皆が思うものです。

 その際、アントラーズはメルカリがスポンサーとなり、バイエルンはニコ・コバチを解雇し、ポルトはセルジオ・コンセイソンと言う指揮官を招聘するなど、手は打ってきました。

 シャルケのように手は打っているように見えますが、実際効果が現れないクラブと今例に挙げた3クラブの違いは単純に

 「お茶を濁すだけ」の代物か否か、と言う点にある気がします。
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自分がマニアになる瞬間をめぐって

2021-03-02 20:25:58 | 日記
 僕は大学時代、よくパンクロックのCDを購入していました。

 セックス・ピストルズがラバーソール(ジョージ・コックス)やボンデージ・パンツを愛用する、見た目の荒々しさとは異なり、その爽快感溢れるロックンロールは、単純明快だからこそ僕の肌にあっていたのでしょう。

 ピストルズを軸にメジャーなバンドを人一通り聴いてみた後は、「GBH」「エクスプロイテッド」「ディスチャージ」に代表されるハードコア・パンクも購入しましたしね。
 
 確かにハードコア・パンクの方が、僕たちが従来思う描くパンクの「荒々しさ」を音楽、外見どちらも持ち合わせていたましたが、バンドである以上、楽曲の確かさはどのバンドも持っていたものです。

 サッカーもそうではないでしょうか。

 世界最高峰のプレミア・リーグを贔屓にする方は多いと思います。

 当然、最初はシティやユナイテッドなど、人気クラブに注目し、チェルシーやリバプールのジャージが素敵など、ファッション面から好きになったという方も多いでしょう。

 しかし、好きになれば好きになるほど

 1・アストン・ビラ、ノッティンガム・フォレストなど、過去のチャンピオンズ・カップの優勝クラブの歴史
 2・リバプール対ユヴェントス戦で起きたヘイゼルの悲劇
 3・どうしてスパーズとアーセナルは、ここまで対抗意識を燃やすのか
 4.イングランドリーグ時代と現在の給与、移籍の違い

 などを自分から積極的に学んでいくはずです。

 他界しましたが、ノッティンガム・フォレストを1978、79シーズンと2季連続チャンピオンズ・カップ優勝に導いた指揮官、ブライアン・クラフ。

 アーセナルの商業圏をスパーズが侵害するような形で割って入ってきたことが、険悪な間柄となった両クラブ。

 サッカーは人間が行うものですから、そこに人間臭さがあることは間違いありません。

 ヘイゼルの悲劇は様々な問題がからみあって起きてしまいましたが、その教訓が少なくともプレミアの観戦状況を改善させたことは間違いなく、そこには「ヒルズポロの悲劇」も関わっています。
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