塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

セネガルとフランスの関係性とは

2021-03-14 21:29:12 | 日記
 セネガルの首都ダカール。

 かつてフランスの植民地であり、パリ・ダカールレースで知られるこの国でも、他のアフリカ諸国同様、子供たちはサッカーで生計を立てることを夢見ています。

 2002年宗主国フランスを0-1で撃破し、初出場で8強にたどり着いた韓日ワールドカップの快進撃は、今でもセネガルにとってはおとぎ話ではなく、現実の世界としてセネガルが存在することを証明したことになります。

 エル・ハッジ・ディウフという彼らの大エースがリバプールと言う名門に移籍し、彼がリバプールの大黒柱である

 「スティーブン・ジェラード」

 と最悪な関係にあったことが後に明らかとなりました。
 
 コップは全力でジェラードの味方になるでしょう。

 しかし、セネガルの国民は2002年ワールドカップで自国の象徴なったディウフを、これまた全力で支持するに違いありません。

 そのリバプールにおいて、再度セネガルの象徴であるサディオ・マネが在籍していることは、どこか因縁めいています。

 しかしサザンプトンから移籍し、ニューバランスの広告塔としてもクラブの主力としても素晴らしい活躍を見せる彼を、悪く言う関係者は皆無です。

 韓日ワールドカップの際、セネガル代表はジャージが「ル・コック」、そして登録選手23名すべてがリーグ1に在籍、そして初戦で世界王者の肩書を持つ宗主国との対戦。

 というように、全てが「フランス」という単語で縛られていました。

 彼らからすれば、ダカールで見守る自国民を含めて韓日ワールドカップは

 あらゆる面でフランスから脱却する
 セネガルが独立独歩でも問題ない

 と宣言する、最適の場所だったのかもしれません。

 コンゴのマゼンベやエジプトのアル・アハリ、南アフリカのカイザー・チーフスなど、アフリカ諸国にも当然名門クラブは存在します。

 それでも彼らは過去に自国を蹂躙した欧州諸国で腕を磨き、一泡吹かせる機会を狙っているのでしょう。
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リトル自分という考え方

2021-03-14 21:07:54 | 日記
 ナイキが支援するバスケットボール選手と言えば、現在ですとレブロン・ジェームズが知られていますが、一番有名なのはマイケル・ジョーダンでしょう。

 1980年代のモーゼス・マローンを軸に、以後、チャールズ・バークリー、ジェイソン・キッド、そしてコービ・ブライアントと名手と契約してきたナイキ。
 
 その中でも一際目立つファン・プロモーションが、アンファニー・ハーダウエイと「リトル・ペニー」でした。

 アンファニー・ハーダウエイは先日お話したように、96年のアトランタ五輪米国代表として金メダルを獲得し、全米王者にはなれませんでしたが、1995年にはNBAファイナルも戦っています。

 しかし彼は饒舌に部類ではなく、ナイキは彼の内面や本当は話したいであろう事柄を、彼の「分身」として企画した人形、「リトル・ペニー」に語らせることを考えました。

 本田圭祐も自ら「リトル本田」という表現を用います。

 これは今自分の立場を客観視し、心の平静を保ち冷静な判断を下すためには、最適な方法ではなかろうかと最近考え始めました。

 アゼルバイジャンでプレイし、東京五輪を目指すという観点も、本田からすれば最適にプロセスであり、実に「理にかなった」移籍劇だからこそ、ここまで話題になるわけです。

 僕は本当に小心者で、勤務先でも

 「今日も何事も起こらなければ良いなあ」

 と思うことが度々あります。

 そこで本田圭佑を真似て、適度に自分で自分に心の中で話しかえ、メンタルに落ち着きを与えています。
 
 もうフランス代表への招集は叶わないでしょうが、ヨアン・グルキュフのように実力はあるが、周囲の視線や言動を必要以上に気にしてしまう選手はいるものです。

 試合中は困難でしょうが、ハーフタイムにほんの一瞬でも良いのです、自分の心に語り掛けることが出来れば、自分を救う大きな役割を得られると感じています。
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長野パルセイロのジンクスを思って

2021-03-14 20:56:36 | 日記
 今季のJ開幕戦、長野パルセイロは敵地でカマタマーレ讃岐に2-0で勝利しました。

 債務超過に陥るなど、経営では芳しくない話も浮上していますが、開幕戦を完封勝利できたことは良い兆しであると考えたいものです。

 信濃毎日新聞は明日「休刊日」です。

 長野パルセイロ・ファンはお気づきでしょうが、パルセイロには

 「信毎休刊日前日の試合は、勝利が多い」
 「だが新聞で選手の躍動が読めるのは、翌々日の早朝」

 と言うジンクスがあります。

 ジンクスや神頼みはナンセンスと言う方もいれば、引退したカカのように熱心なキリスト教徒である選手もいました。

 我が家はすでに春の彼岸のお墓掃除は両親が済ませていますが、最近は出勤前と帰宅時は実家の仏壇に手をあわせ

 「今日も僕をお守りください」
 「おかげ様で無事に帰宅できました」

 と唱えるようにしています。

 仏様や神様の存在を信じる、信じなくとも尊重し敬意を払うと、気分だけでなくお金の在り様も変わってくると聞いたため、この習慣を採用するようになりました。

 日が浅いので、勤務先に向かう車中で手を合わせてこなかったことを思い出し、太陽に向かって拝むこともあります。

 昔の方は太陽を引き合いに出し

 「そんな馬鹿な事をしてはいけないよ」
 「お天道様はしっかり見ているからね」

 と躾の大切さを説いたものです。

 サッカーでいえば、人種差別チャントや横断幕、レッドカードが提示されるような悪質なタックルは、お天道様が見ているとすれば、到底避けることができる類です。

 僕も仏壇に向かうようになってから、何となくですが気分が落ち着いている気がします。

 日本はお寺に出かける頻度が少ない国ですが、欧州のように聖書や教会を学ぶ機会にしている国からすると、どこか怪訝な面があるのかもしれません。
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