塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

色彩が持つ効果を考えて

2021-03-03 22:48:53 | 日記
 人種と性別にどれほど関与するか定かではないのですが、人間には基本、暖色が似合う方と寒色が似合う方に分類できます。

 ちなみに僕は後者のようです。

 色彩が持つ影響力は、僕らが思う以上に大きいと言われ、それを一番具現化しているのが歴代の米国大統領が胸元で構築する星条旗です。

 紺色の背広に白にシャツ、そして赤のパワータイを多くの場面で用いることは、民主党、共和党関係なく多くの大統領が、国家米国を意識してきた配色であり、ある種の嗜みと言えます。

 そしてサッカー好きには

 「宿敵のシンボルカラーを着用しない」

 という考えもあります。

 カテゴリーが異なるので今季は実現しませんが

 レッズとアルディージャの埼玉ダービー
 パルセイロと山雅の信州ダービー

 の他に、大阪ダービーやみちのくダービーがあり、熱心なファンであればあるほど、グッズの購入、年間シートで観戦というように贔屓クラブを熱烈に支援します。

 だからこそ宿敵の動向がそれ以上に気になるのですね。

 僕も昔は山雅を連想させる緑、ライムグリーン、深緑を着用することを避けていましたが、僕の瞳、髪質を考慮すると緑と相性が良いことがわかりました。

 実際深緑の上着やライムグリーンのセーターが手元にありますが、逆に言いますと宿敵の色に限らず「何か」を認めることが、スタジアムから暴力行為を追放できると感じます。

 サッカーは格好良い競技ですよね。

 ならば応援も、暴力に頼らない恰好の良いもの形でありたいものです。

 今LGBTや外国籍との共存が必要以上に叫ばれていますが、これらの単語を浪費すればするほど、本質をかけ離れていく気がします。

 ですから、あえてサッカーならば宿敵の色を身に着け

 「君たちも興味深いイベントしているよね」
 「良かったら、何か参考になりそうな事柄を教えてほしいな」

 と伝えてみる。

 熱心なファンなどはうんざりでしょうが、誰かが屈辱を味わうような観戦になるよりは、遥かにマシではないでしょうか。
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僕が思うガンバとアンブロの結び付き

2021-03-03 20:46:40 | 日記
 バイエルン・ミュンヘンは常にアディダスと良好な関係を築いていることで知られています。

 そしてバイエルンほどではありませんが、ガンバ大阪とアンブロの結びつきも実に得難い代物ではないでしょうか。

 ガンバは俗にいう「オリジナル10」、つまり1993年の開幕時から名を連ねている老舗であり、当時はどのクラブも一括してミズノがジャージを供給していました。

 ガンバが以後、アンブロとの契約がまとまるまで、アディダス、ル・コックと契約していました。

 アンブロの保有権を持つデサントは、ル・コックの販売窓口でもありました。

 ですからル・コックからアンブロへの契約変更は、案外スムーズに行われたのかもしれません。

 どうしてガンバとアンブロの話をしているかと言いますと、専門サイト「QOLY」において、ガンバ大阪の創立30周年を記念し、

 「30周年記念ジャージ企画発動」

 というコラムを目にしたためです。
 
 そこにが画像で1993年から2021年までのホームジャージが「ほぼ」確認できますし、全選手サイン入りレプリカが当たるキャンペーンも企画されています。
 
 アンブロが一番長い時間、スポンサードしているわけですよね。

 ですからアンブロのガンバ担当者は

 1・2005年のリーグ初優勝
 2・2008年のチャンピオンズ・リーグ優勝
 3・2012年J2降格
 4・2013年J2を戦う
 5・2014年の3冠

 という、クラブの良い時も悪い時も、すぐそばで見てきたことになります。

 当然「お荷物」を揶揄されたリーグ創世記のミズノ、稲本潤一というクラブ生え抜きの有名選手が着用したル・コックとアディダスにも、ファンには思い入れがあるはずです。

 アディダスの時代はエムボマの時代でもありました。

 ただ、ミズノ、ル・コック、アンブロのいずれも契約した以上に、最高のデザインと着心地せ選手をサポートする、という熱意があったことは確かであり、だからこそファンも迷うに違いありません。
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土を大事にする代表は、心底強いと思います

2021-03-03 20:29:00 | 日記
 内田篤人が現役時代、

 「僕は長谷部さんを助けたい」

 と漏らしたことがあります。

 代表戦の度に欧州各国から試合会場に向かう海外リーグ所属の選手たちは、当然時差を含む諸問題を向き合う必要があります。

 それ以上に「代表主将」である長谷部は、記者会見を含むメディアへの応対、仮に途中出場や試合で起用されなければ、試合の結果だけでなく自分の起用法法にまで返答しなくてはなりません。

 内田は代表の責任を両肩で背負い続ける長谷部を頼もしくもあり、同時に解放してやる必要があったと感じたのでしょう。

 また彼は

 「守備陣は土、攻撃陣が花」

 とも語りました。

 センターフォワードがいくらゴールから見放されても、多くの名誉挽回の機会が訪れます。

 しかし、守備陣はほんのわずかの意識のズレで失点しまえば、すぐに落第の印を押されてしまいます。

 ブラジルやイタリア、ドイツなどワールドカップで複数優勝している代表は、こに「土」を軽んじていない、だからこそ頂点に立つことができたのではないでしょうか。

 それは実社会でも同様で、人を騙すことなく、他者を慮ることができる人間が、バカ扱い、能無し扱いされている現状が残念ながら今の日本では数多く観られます。

 それは総務省の接待問題のような、遥か彼方の事柄でもなく、「特殊詐欺」のように人を騙して簡単に札束を得る、犯罪の片棒を担ぐ人間も同様ですよね。

 ドイツやフランスが欧州政治で軸になり続けているのは、軋轢が表面化して分かった面もありますが、移民の力を阻害していなかったことがあったからではないでしょうか。

 レアルは2004年、クロード・マケレレをチェルシーに譲渡したことを、一切後悔した素振りを見せませんでしたが、これはレアルならではの「ポーズ」で、実際首脳陣は大きな後悔をしたと思います。

 そのレアルではカゼミーロ、フランス代表ではカンテという、「土」の存在をジダンとデシャンと言う指揮官がしっかりと認識しています。

 そう、ほんのわずかな視点で、土は土として輝けると思うのですよ。
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