塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ナイキと中国スーパーリーグ

2021-03-15 21:04:41 | 日記
 ナイキがジャージを一括で供給する中国スーパーリーグ。

 2010年代前半まではAFCチャンピオンズ・リーグの主役として広州恒大が君臨し、上海上港のブラジル代表オスカールなど、戦力向上のため欧州市場から多くの選手を獲得してきました。

 日本でもチャンピオンズ・リーグの企画が組まれると

 「この中国クラブの外国籍選手はやばい」
 「今季はどこが、広州恒大を止めるのか」

 というお題が確認できたと思いますが、様相はすっかり変わってきました。

 勿論コロンビア代表のジャクソン・マルティネスのように、FCポルト在籍時のような突出した得点力を発揮できなかった選手もいれば、フランス人アンソニー・モデストのように、移籍を後悔する選手もいました。

 他にもカルロス・テベスやディディエ・ドログバなど、各国代表が参戦し、2000年代初頭の

 「カタール・スーパーリーグ」

 のように、外国籍選手だけでオールスターが組めるような顔ぶれを、僕らは正直羨ましいと思いました。

 しかし、お金や勝利ボーナスは確かに大切ですがそれ以上に、正確なリーグ運営とファンの熱気、言い換えれば

 ファンとリーグが選手に訴える熱意
 その熱意に選手が応えてリーグが盛り上がる
 そして新しい選手がやってくる

 というサイクルが、少なくともJリーグにはありますが、中国には無かったのかもしれません。

 例えば鹿島アントラーズはメルカリの資本に支えられていますが、それはメルカリもアントラーズも、鹿島市に何ができるだろうか、住民に喜んで欲しいと考えていますよね。

 ただ、中国はオーナーがむしろ金持ち自慢のためにクラブを買収し、環境整備や地域社会への還元を見送ってきたように見えます。

 ナイキと中国スーパーリーグの契約が、あと何年残っているかわかりませんが、ナイキがこのまま契約を続行するかは定かではないように思えてなりません。
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桃源郷は存在しません

2021-03-15 20:40:48 | 日記
 桃源郷や理想郷の事を「シャングリラ」というはずですが、そのような夢に溢れた場所はないと言えます。

 だからこそ多くの方は千葉県にある「夢の国」に出かけるのでしょう。

 僕は一度も出かけたことはありませんし、人生において一度も出かけることは無いでしょうがね。

 例えばリオネル・メッシとバルセロナの間柄は、まるで桃源郷で心地よく暮らすある種の理想像でしたが、昨年その関係が破たんした瞬間、シャングリラは藻屑となりました。

 最近もメッシは練習に訪れるファンが、練習に「注目」するのではなく、「動画撮影」をしてただ楽しむファンに激高し、文句を述べたと聞きましたが、自分がこれだけ尽くしてきたのに、君たちは本当にお気楽でいい身分だな。

 そう考えたのでしょう。

 でもメッシの言い分も当たっていますよ。

 過去、レアルのイケル・カシジャスは

 「レアルでは勝利すれば攻撃陣の手柄、敗れたら全て僕たち守備陣の責任なんだ。やってられるか!!」

 と憤慨しました。

 またロイ・キーンはオールド・トラッフォードに来るファンに対し

 「彼らは海老のサンドイッチを食べているにすぎないよ」

 と語りました。

 選手はこれだけ節制し、桁外れの重圧(報酬も確かに莫大ですが)と戦っているのにファンとマスメディアはそこに「敬意」のかけらも存在しないと感じていたのでしょうね。

 勝てばメッシのおかげ
 敗れてもメッシの責任
 代表がワールドカップでもコパ・アメリカでも優勝できないもメッシのせい

 こんな風潮が過去にも見受けられたと感じますが、メッシからすればもうどうでもいいよと言う心境かもしれません。

 アディダスはネメシズの最新バージョンをデザインし、既に支給しているようですが、メッシにとってスポンサーは大切ですが、既にお金の問題は解決していますよね。

 今彼が望むのはただ、あの騒動があっても僕たちは君と一緒に入れて嬉しいのですという、ファンのただ一言ではないでしょうか。
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改めて思うJリーグアイコン

2021-03-15 20:22:51 | 日記
 信州上田には「上田紬」という、伝統の着物があります。

 でも僕は背広やジーパンなど、欧米で誕生した衣類には関心があるのですが、和服、和装には関心を抱いたことがありません。
 
 僕のような世代を惹きつけるために、呉服屋は知恵をこらしており、成人式用に着物レンタル、着付けから化粧まで全身を着飾るお手伝いをするのはその具体例ですね。

 ちなみに今は、ジャージ素材、デニム素材の着物もあるようですよ。

 ボブソンの04(レーヨン)ジーンズ
 エドウインのジャージーズ

 ジーパンの堅い生地を覆す、化学素材を用いた商品はジーパンに新しい道を開き、同時に可能性も追求しました。

 関心のない人間を惹きつける工夫、「アイコン」というわけですね。

 1993年のJリーグ開幕に向けて、日本サッカーには三浦知良という絶対的なアイコンが存在したことは、ヴェルディ川崎だけでなく、10クラブ全てに大きな恩恵があったと思います。

 例えば清水エスパルス。

 お兄さんの「ヤスさん」を軸に、エスパルスに勧誘する報道は当時のJリーグにとって、実に大きな移籍の話題となり、新聞も大きく報道しました。

 また、三浦自身がサッカーと言えばブラジルという、日本で固定されてきた印象そのままに

 中学卒業後にブラジルに渡る
 悪戦苦闘する中、ペレが在籍したサントスと契約
 フラメンゴと対戦する際、あの「ジーコ」すら存在を認めた

 というエピソードは、ファンの好奇心を強く刺激しましたよね。

 今ならばドイツ、スペイン、イングランドやポルトガルなど、本場でプレイする選手は考えられないほど存在します。

 1993年当時はまだ、ブラジル、イタリア、ドイツがワールドカップ優勝3回で並んでおり、フランスとスペインはワールドカップでの優勝経験はありませんでした。

 それでも日本では常にブラジルが最高峰と考えられ、その最高峰で活躍した三浦は、まさにJリーグと代表の「アイコン」でした。

 僕は今、三笘薫がようやく三浦以降、初めてリーグ全体に影響力を持つ「アイコン」になるような気がします。

 ただ中村俊輔、小野伸二、中田英寿同様に欧州へ旅立つまでのごくわずかな期間になりますが。
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