塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

お金の切れ目はやはり縁の切れ目でしょうか。

2021-12-26 20:19:58 | 日記
 世間ではお金の切れ目がご縁の切れ目と目さることが多いですね。

 中国スーパーリーグが金銭的にすべてのクラブが瓦解する中、習近平国家主席に対してオーナーや選手たちが意見を申し出ることができないのは、政権からの拘束や言論の自由がないと指摘される、中国ならではの光景なのでしょか。

 エウケソンを筆頭にブラジル国籍から中国国籍へと変更し、日本代表と同じ最終予選グループBで戦う中国代表。

 その帰化選手たちが報酬の影響があることは当然ですが、既にブラジル・リーグへ移籍しています。

 もし通常ならば長距離移動でも代表に合流することになるのでしょう。

 ただ彼らにとってある意味都合がよいのは

 「オミクロン株の影響でブラジルからアジア予選に向けて旅立てないのだ」
 「したがって代表招集に呼応することが難しい」

 と言えることでしょうか。

 ではもし、Jリーグに在籍する外国籍選手が同様に帰化したならば、報酬やクラブ運営の問題を理由に帰国するかといえば、僕は案外そこまで薄情ではないように思えます。

 それは日本のサービス残業や、無駄で無意味な居残りというわけではなく、選手が自主的に道を模索するように感じるためです。

 横浜フリューゲルスの存続問題が明らかになった1998年もゲルト・エンゲルスやセザール・サンパイオなどは、前田治など日本人選手たちと共に署名活動に参加して、クラブが存続できるように協力しましたよね。

 そこにはお金も大切ですが

 「日本人に助けてもらったことがあるから」
 「来日した以上は僕らにも責任があるよ」

 と考えた為ではないでいでしょうか。

 お金は明日を生きる糧ですし、病気や事故の時必須です。

 それでも「真心」「親切心」という人間が持つ感情も大切にしたいですね。
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広告掲載の変化を感じて

2021-12-26 18:40:50 | 日記
 1990年代前半までのサッカー専門誌には、大抵全国のサッカー専門店の案内広告も掲載されていました。

サッカー専門雑誌よりも一枚上手だったのが、月間バスケットボールに広告を出すバッシュ専門店でした。

 ナイキのエアー・ジョーダン
 リーボックのシャック・アタック
 コンバースのエアロジャム
 
 など当時人気のバッシュは価格掲載だけでなく

 「価格は電話で問い合わせてください」
 「価格はASK]

 というように、ファンを電話誘導する仕組みになっており、電話した以上何か購入しなければ、という消費者が圧迫感を感じるような仕掛けでした。

 サッカー専門店は、そのような形にはしていませんでしたね。

 ただ、今では広告そのものを見かけませんが、それは電話応対よりもインターネットで店舗が自分で商品案内や入荷告知、予約情報などを発信できるようになったためです。

 それ以上に大きいのは

 「人気ブロガーの登場」
 「ユーチューブん動画撮影」

 というように、店舗が広告を打つことなく、ファンが

 「撮影と告知大丈夫ですか」

 と取材依頼してくるためですよね。

 専門サイト「コーヘイズ・ブログ」の最新記事も「ロンドンスポーツ上野駅前店のサッカースパイクフロア(3階)」という、店舗取材になっており、店舗とすればある意味経費無料で紹介されるわけですから、雑誌を頼る理由がありません。

 これらも時代の趨勢ですよね。

 昔はトレーディング・カード、ワールドカップのビデオ販売、レプリカジャージ告知など、店舗広告を見ることも楽しみでした。

 ワールド・スポーツプラザ
 フット・サークル
 スクデット

 など、今は店舗をたたんだ店も懐かしく感じます。
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選手が自ら情報発信できる現在

2021-12-26 17:39:02 | 日記
 ポール・ポグバがナイキからアディダスに移籍して数年が経過します。

 この契約変更はレオ・メッシも同様ですが、むしろポグバの方が自身からの発信が多いように感じます。

 以前彼が「やあ、アディダス・ファミリーのみんな」とソーシャル・メディア訴えかけると、ワールド・サッカーダイジェストに記事を寄稿するオリバー・ケイが

 「彼が言うべきことはアディダス・ファミリーではないよ」
 「それを言うならば、こんにちはユナイテッド・ファミリーの皆さんだろう」

 と指摘したことがあったと思います。

 マンチェスター・ユナイテッドもアディダス
 ポール・ポグバもアディダス

 という点で、彼はそこまで深く思想することなくメッセージを思いついたのでしょう。

 ただ、スポンサーよりも在籍するクラブへの敬意が駆けていたと、オリバー・ケイには感じられたのでしょう。

 エマニュエル・トッドは著作の中で「ミスター・トランプは歴史に残り大統領」と述べています。

 彼は池上彰の見解では会社経営(4社倒産させた過去を持つそうですよ)よりも、「投資」の方に関心を持ち、そのためには政治の世界でもはったりが人母との関心を惹くと感じていると示しています。

 トランプ自身も

 「ニューヨーク・タイムズに広告を出そうとすると、費用はバカにならない」
 「だが私が自分でツイートすると、それだけで話題になる」

 と認めています。

 ポグバにこのような政治的思惑や炎上でユナイテッドを批判しようなど、よからぬ考えはないと思います。

 ただ、選手が自分で情報発信する中で、クラブが代理で謝罪するような出来事を犯してはならないと考えるのですね。

 誰だも、他人様の事で謝罪することは嫌なものですよ。
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サッカーに見られる国名、戦争、歴史のはざま

2021-12-26 17:17:50 | 日記
 Jリーグはある意味で「歴史の商人」になりましたね。

 1993年、浦和レッドダイヤモンズに移籍したミハエル・ルンメニゲ。

 カールハインツ・ルンメニゲの弟さん、とみられることは不本意だったでしょうが、同時期に移籍してきたウーベ・ラーンもそうですが、彼らは「西」ドイツ」代表選手でした。
 
 一方で2017年、ヴィッセル神戸と契約したのがルーカス・ポドルスキ。

 彼は「ドイツ」代表線であり、同時にナチスの影響を大きく受けたポーランドにルーツを持ちます。

 既に国名が過去の国
 戦争の影響が今なお色濃い国

 サッカー選手は移籍の連続ですが、だからこそその中に「日本とJリーグ」が混ざることは、大きく意味がありますよね。

 それはドラガン・ストイコビッチとミリノビッチも同様です。

 ピクシーは西ドイツ同様に現在は解体され、存在しない「ユーゴスラビア代表選手」として、1998年ワールドカップと2000年欧州選手権を戦います。

 「スタンドにナゴヤのシャツを着用したファンを見たときは、本当に嬉しかったよ」

 と、98年ワールドカップを回顧したストイコビッチ。

 ビル・クリントンによる空爆の視差
 ユーゴスラビアは悪者という世界各国の意識

 の視線の中で、名古屋グランパスエイトとJリーグのファンは常にストイコビッチを慕い続けました。

 彼が指揮官として2008年復帰したことは、ある意味で当然でしょうね。

 2002年、スロベニア代表としてワールドカップに参戦したジェフユナイテッド市原(当時のクラブ名)のミリノビッチ。

 彼がスロベニア代表として招集されたのは、1990年の段階でスロベニアがいち早く、それもクロアチアとの戦闘に見られる暴力的な形ではなく、ユーゴスラビアから離れたためですた。

 もしユーゴスラビアが存在していれば、彼はスロベニア代表にはなっれませんでした。

 サッカーはこのように、時代の証拠としても通用しますね。
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サッカーで見られる出世魚

2021-12-26 17:08:52 | 日記
 厳冬の今、福井県の越前ガニを食べたいという方は多いと思います。

 一方で魚では富山県の氷見市で水揚げされる「ブリ」を好む方も多いでしょうが、ブリは俗にいう「出世魚」の代名詞であり、最終的には「オオブリ」と呼ばれるそうですよ。

 森保一日本代表監督も、マツダとサンフレッチェ広島で目立つことがなくとも賢明に、そして懸命にプレイしたことで日本代表の招集を受けました。

 ハンス・オフト日本代表監督から見れば妥当な選出でしたが、ファンとマスメディアからは疑問符の付く選出という点は、当の本人が一番理解しており、疑問に思われても致し方ないと考えていたようです。

 イングランド代表ですとジェイミー・ヴァーディーが相当しますね。

 2016年レスター・シティで優勝
 イングランド代表に選出される
 同僚のダニー・ドリンクウオーター、エヌゴロ・カンテがチェルシーに移籍するも、ヴァーディはレスターに残留し、現在にいたる

 既に彼はかつて在籍したギャリー・リネカーを超える存在でしょうし、まさに「出世魚」のように大きく変貌した選手ではないでしょうか。

 イタリア代表代表ならば、そのチェルシーでプレイするジョルジーニョがそうでしょうか。

 彼はブラジルからの帰化選手であり、まずはエラス・ヴェローナでプレイします。

 その後、愛弟子であるヴァルディフィオーリ移籍後の後任を探すマウリツイオ・サッリとナポリの目に留まり、移籍しサッリがチェルシーの指揮官に就任すると、ジョルジーニョも紆余曲折ありながらあとを追いかけました。

 (ジョルジーニョは本来、チェルシーではなくマンチェスター・シティへ移籍の予定でしたが、チェルシーがある意味かっさらった形でした。)

 そして2019年のUEFAヨーロッパ・リーグ優勝をもたらし、その後のクラブと代表での活躍はご存じの通りです。

 誰もが出世魚になれるわけではない、だかここそ味わい自分もそうなりたいと感じるのでしょうか。
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