塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モハメド・カロンを思い出しながら

2021-12-20 21:10:22 | 日記
 2022年初頭に開幕予定のアフリカ選手権。

 基本的に欧州クラブに在籍する選手たちで構成されている各国代表は、希望する選手たちが無事クラブから招集できるかを常に気にします。

 同時に貸し出す欧州クラブも、選手の疲労と体調、負傷を気にせねばなりません。

 ただ、シエラレオネやエチオピアのように、国内状況が常に困難でありサッカーどころではない国が存在することも確かです。

 シエラレオネはアフリカ大陸西部にあり、ダイヤモンドの算出で知られています。

 過去、マリ共和国が黄金の産出国として知られましたが、シエラレオネこのダイヤモンド採掘から得られる資金を軸に、反政府組織が暗躍していると言います。

 僕が連想できるシエラレオネ代表選手といえば、インテル・ミラノ、ASモナコに在籍したFWのモハメド・カロンただ一人ですが、彼はきっと欧州で自分という個の戦いだけでなく

 シエラレオネで貧困にあえぐ子供たち
 サッカーボールではなく、食べるものが必要な子供たち

 を頭に浮かべながら戦っていたと思います。

 僕はダイヤモンドに限らず貴金属は一切所有していませんが、UEFAチャンピオンズ・リーグの優勝賞金をはじめ、大金はそれだけ人の心を惑わせ、同時に刹那的感情をもたらすのでしょうか。

 でも、よく考えますとアジアも南アジアや西アジアは政治の安定に欠ける国が多いですね。

 インドとパキスタンの対立
 イエメンの内紛とシリアの内戦

 よく考えればサッカー・味カップ2015において、日本代表が予選リーグ初戦で対戦したパレスチナ代表も、日々イスラエルとの緊張状態で生きている心地がしない自国民を、必死になって鼓舞しようとしました。

 日本は基本、日米同盟によって守られている面がありますが、明日食べる米だけでなくサッカーの事を考えるゆとりがあることは、本当に素晴らしいことなのでしょうね。
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競争と競合、その違いは何でしょうか

2021-12-20 20:38:42 | 日記
 ビジネスの世界では「競争」と「競合」という言葉が用いられます。

 似た言葉ですので混同しがちですが、前者はお互い切磋琢磨しあうことで市場の活性化、新しいビジネスの機会を模索する、というある種の共存の形だそうです。

 では「競合」はどうなのかといいますと、他社を宿敵と認知し、相手を徹底的に遣り込めるというサッカーでいえばダービーのような代物を指します。

 僕の感覚では

 ナイキとアディダスが競合
 ミズノとアシックスは競争

 という印象を受けます。

 特にナイキとアディダスはサッカーだけに的を絞りますと、ナイキからアディダスへ契約変更する選手が近年目立つ上に、アディダスの十八番であったFIFAワールドカップにおいても、ナイキの影響力は甚大なためです。

 1994年当時を顧みれば、米国ワールドカップにおいて

 ロシア代表 リーボック
 カメルーン代表 マイター
 オランダ代表 ロット
 イタリア代表 ディアドラ

 というように、ある種個性的な形で契約が結ばれていました。

 しかし、近年はスパイク、ボール、ジャージに至るまで、ナイキとアディダスの競合が激化したためでしょうか、これらのブランドが入る余地すらなく、バスケットボールや陸上競技でもその関係性は常に注目されています。

 逆にアシックスとミズノの場合、アディダス、ナイキほど海外での展開が少ないせいもあるのでしょう、国内競技の発展、整備に大きな尽力を果たしてきましたよね。

 勿論デサントやモルテンなど他にも支えてきた企業はあるわけですが、ミズノとアシックスの関係性は。競争という事例における良い見本ではないか、と僕は考えています。

 ただJクラブのジャージ・スポンサーは世界でもまれにみる激戦区であり、今後の契約が注目されますね。
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結果論として有名になること

2021-12-20 20:20:00 | 日記
 昔は女性が日活ロマンポルノやアダルトビデオに出演することは、非常に特殊でした。

 何故でしょうか。

 最近は手に職があるにも関わらず、自分から出演を希望しプロダクションを尋ねる方も多いようです。

 「アダルトビデオに出演すれば、今の自分と決別できると思うから」
 「有名になりたいの」

 彼女たちが唱える理由は様々ですが、果たして人前で裸体をさらすことが本当に自己意識を変化させ、同時に高い報酬と知名度を約束するものでしょうか。

 僕も男性ですから、写真週刊誌で水着や裸体グラビアを見ますし、山梨学院大学在籍時はアパートの郵便受けに「裏ビデオ通信販売」の広告を入れている男性と出くわして、お互い非常に気まずい思いをしたことさえあります。

 裸になることは少なくとも

 1・著作権は本人ではなくプロダクションにあるはず
 2・インターネットという媒体がある以上、辞めたあとでも自分の裸体は永久的に削除できない

 という点は考慮すべきでしょう。

 サッカーでもインターネット動画において

 1・中村俊輔がセルティック・グラスゴー在籍時、マンチェスター・ユナイテッドから奪ったフリーキックの得点場面
 2・ディエゴ・マラドーナやホベルト・バッジョなど、名手たちのハイライト映像
 3・ナイキの「リスク上等」のようなCMの閲覧

 など、時代をさかのぼってサッカーを楽しむことは可能です。

 ただ、レオ・メッシは自分が有名人だと思ってはいるでしょうが

 「レオ・メッシでいることの術」

 は認識しているでしょう。

 第一、彼は人気者や有名人になりたいからボールを蹴るわけではなく、、彼が純粋にサッカーという競技に特性ああり、同時にその存在価値を周囲が強く認識しているからこそ、メッシはバルセロナでもパリでも歓待を受けたわけです。

 僕は有名人になりたいとは全く思いませんが、野心を持つことの意識はこれほど人によって異なるのでしょうか。
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