塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

こだわらないことは特殊でしょうか

2021-12-18 21:33:27 | 日記
 こだわりを持たないことがこだわり、という方がいます。

 案外ズラタン・イブラヒモビッチはそのように思えます。

 アヤックス・アムステルダム時代はプーマ、移籍するユヴェントスではナイキと契約しますが、以後自分の好きなようにナイキ、アディダス、プーマ、ディアドラを履き分けます。

 恐らく実践ではプーマとディアドラの着用はなかったと思いますが、イブラヒモビッチからすればどんな素材、デザインのスパイクでも俺が履けばゴールが生まれる、と考えているのかもしれません。

 当然プレイヤーズ・エディションでもないはずですから。

 ナイキのエアー・ジョーダンがあれだけ人気なのは

 1・マイケル・ジョーダンが履く品と市販品に基本、差はない(色彩など発売されないものもあるが)
 2・従ってファンは、ジョーダンを履くことで彼の気持ちに近づける
 3・プレイヤーズ・エディションのような桁違いの価格ではない

 という3点が大きいはずです。

 野球選手ならばグラヴとバットは本当に神経を使うでしょうし、卓球選手ならばラケットとラバーがそうですね。

 野球ならば公式球は日本だとミズノ、米国はローリングス
 サッカーならばジャージはクラブとブランドとの関係性

 というように、選手が自分で選択できない面もあります。

 だからこそスパイクは選手の要であるわけですが、日本のスパイク専門サイトのち密さ、情報量をみたならばイブラヒモビッチはは大笑いして

 「俺には意味がないな」

 と豪語するような気がします。
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ユヴァントス、不遇の時代をどう考える

2021-12-18 21:01:50 | 日記
 ユヴェントスにはオマール・シボリをはじめ、名だたる名手が存在してきました。

 ミッシェル・プラティニ 1983年から85年
 ホベルト・バッジョ 1993年
 ジネディン・ジダヌ 1998年

 と在籍した選手が欧州最優秀選手に輝きましたし、今季開幕直前にマンチェスター・ユナイテッドに移籍したホナウドも、5度の受賞歴があります。

 プラティニが引退を表明した1987年から9季に渡り、スクデットから遠ざかった事
 2006年、GMだったルシアーノ・モッジが企てた審判買収問題、通称カルチョ・ポリ
 現在、粉飾決済で責任が追及されているアンドレア・アニエッリ

 貴婦人と呼ばれ、トリノに本社を置く「フィアット」で」働く南部からの労働者のよりどころにさえなったクラブ、どのスキャンダルが一番苦痛でしょうか。

 ちなみに現在スパーズでGM職につくパラディッチは、ホナウド獲得を画策しているはずですし、アニエッリだけでなく彼にも司法の手が伸びたならば。

 スパーズは指揮官だけでなくGMまでをも交代する事になるかもしれません。

 9季スクデット獲得無しは、あくまで補強、言い換えれば競技面の問題であり、スキャンダルではありませんが、それでもプラティニの後釜として獲得した選手たち

 イアン・ラッシュ ウエールズ代表
 ロイ・バロシュ ポルトガル代表

 が、思うような形にならなかったことも事実です。

 2000年代であれば

 ジエゴ ブラジル代表
 フェリペ・メロ ブラジル代表 
 アマウリ イタリア代表

 などが代表例でしょうか。

 この時期はACミランのゾーン・プレス、ホベルト・マンチーニ率いるインテル・ミラノの戦力が充実という側面もありましたが、貴婦人が自ら泥沼にはまった、とみるのが自然の成り行きではないでしょうか。

 まだアニエッリが犯したとは言い切れない部分はありますが、予断は許さないと思いますね。
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何故イブラヒモビッチはミラノを好むのか

2021-12-18 20:44:34 | 日記
 東欧を代表する都市といえば

 ウイーン オーストリア
 ブタペスト ハンガリー
 プラハ チェコ

 などが思い浮かびます。

 オーストリアは最終的にスペインと枝分かれする「ハプスブルク帝国」誕生の地ですが、一方のチェコは西ローマ帝国から神聖ローマ帝国に分離する、ローマの影響が色濃く、街の荘厳さではウイーンよりもプラハの方が勝ると言います。

 ズラタン・イブラヒモビッチはACミランの事を愛してやみませんが、一方で2012年から4季過ごしたパリには、さほどの思い入れはないようです。

 それはフランスという国が、富豪に対しての累進課税が桁外れの金額、ということがあるのかもしれませんし、パリ・サンジェルマンとためを張るクラブが、さほど見当たらないというリーグの現実があったためでしょうか。

 ただ、少なくともミラノよりもパリの方が欧州はおろか、世界的に知られている存在にもかかわらず、イブラヒモビッチはフランス語さえ使おうとはしませんでした。

 冬季のミラノは内田洋子が随筆でしたたためているように、その寒さが強烈でしかも気温の低下は10月ころから著しく、同時に人々は汚れても決して目立たない黒がグレイをおしゃれではなく、あくまで実用的に着用すると言います。

 ジョルジオ・アルマーニに代表されるミラノ・コレクション
 ACミランとインテル・ミラノの本拠地サンシーロ

 僕たちはミラノはどこか華々しい世界に見えますが、ナポリやパレルモとは異なり、人々の共通認識は希薄であり、イブラヒモビッチはそのミラノに、故郷マルメとスウエーデンをあてはめているように思えます。

 南部の温暖さが決して人々の暮らしを豊かにしないように、北部の冷たさが必ずしもデルビー・ミラネーゼに関与しないように。

 彼が指揮官、GMとしてミランと歩む姿を想像するファンも、きっと多いと思いますね。
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