塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

敗軍の将を思いうかべて

2021-12-12 19:39:17 | 日記
 大東亜戦争を語る際、山本五十六、東條英樹など当時の主要人物たちの名は永遠に刻まれます。

 今年は真珠湾奇襲から80年という節目もあり、改めて特集がなされましたが、彼らの縁戚関係の人々にとって、これらは目の当たりにしたくはない代物ではないでしょうか。

 この大東亜戦争はダグラス・マッカーサーやフランクリン・ルーズベルトという米軍の重鎮たちよりも、むしろ帝国陸軍、海軍の主要人物、つまり歯医者たちの方を連想させますが、ワールドカップ「予選」もそうではないでしょうか。

 例えばイタリア。

 1982年ワールドカップ優勝監督 エンゾ・ベアルゾット
 2006年ワールドカップ優勝監督 マルチェロ・リッピ

 これら優勝監督よりも2017年、ワールドカップ不出場のジャンピエロ・ヴェントウーラの方が、人々の記憶に刻まれる気がします。

 それは勝者よりも敗者、華々しい暮らしよりも貧しい暮らしの方が、人間に記憶と肉体に鮮明だからではないでしょうか。

 その2018年ワールドカップ、アルゼンチン代表は敵地のエクアドル代表戦において、レオ・メッシがハットトリックを奪い、勝利しましたがもし彼らが本戦に出場できなければ。

 レオ・メッシはバロンドール5度(当時)受賞の名手ではなく

 「ワールドカップ2018に出場できず」
 「アルゼンチン代表では何も得ていない」

 という、悪評の方が名声をはるかに超えてしまう事になったでしょう。

 逆にコパ・アメリカ2021の優勝は、2018ワールドカップ出場(結果はさんざんでしたが)があったからこその代物ではないでしょうか。

 日本ももしワールドカップにおける戦犯探しが本格化するようになれば、民衆がみなワールドカップを意識することの証かもしれませんが、つるし上げは「基本的人権」に大きく関与することも確かです。

 
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選手がお子さんに隠したいこと

2021-12-12 13:42:43 | 日記
 講談社から刊行されている漫画「かくしごと」

 主人公の漫画家、後藤可久士は自身が漫画家で生きていることを、愛娘である姫ちゃんにひた隠しにして生きている、という脚本で物語が進みます。

 漫画家の娘とわかると、周囲からいじめの標的になる
 母親がいないこと(作中で明らかとなります)で寂しい思いをさせたくない

 こうした後藤可久士の考えが、様々な思い違いを生み出しながらも、父と娘の愛情が感じられる作品です。

 今の時期、サッカーも同じかもしれませんね。

 引退を表明した選手はお子さんがいれば

 「お父さんはもう、プロサッカー選手ではないんだ」
 「だから来年からはスタジアムに行かないよ」

 と、タイミングを見計らって伝えればよいわけです。

 日本代表経験者の場合は、マスメディアが過敏に反応しますから、報告よりも前に映像で確認してしまう可能性はありますが。

 一方で俗にいう「0円提示」の選手は、妻、両親はともかくお子さんにはある意味「隠したい」という感情がわくのではないでしょうか。

 0円提示は一般企業でいえば「懲戒解雇」と同じだと思いますし、遅刻や欠席など出社時の態度が問題だとすれば、基本懲戒は経理の不手際など、ある意味警察の厄介という事が多いわけです。

 サッカーにおける0円提示はそのような犯罪がらみではありませんが、

 「君はもうわがクラブには不要です」
 「ですので来年は別のクラブで生きてください」

 という事ですからね。

 人間、他人様(僕は基本そうなんですが)から相手にされないことに遭遇するつらさは、味わってみないとわかりませんから。

 ですから合同トライアウトなど様々な機会が与えられるわけですが。実際は引退を決断する選手が多いのではないでしょうか。

 サッカーは時に残酷ですね。
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改めて考えるジャージの胸スポンサー

2021-12-12 13:18:08 | 日記
 ジーコといえばフラメンゴ、フラメンゴといえばジーコ、という連想ゲームが成立します。

 では2012年に南米王者とクラブ世界一に輝いたコリンチャンスの場合はどうでしょうか。

 コリンチャンスはその2012年に初めてコパ・リベルタドーレスを獲得したのですが、ブラジル国内屈指の名門として知られ、リベリーノとガリンシャが在籍し、ジーコと同世代ですと「ドクトル」と敬愛されたソクラテスが有名なんです。

 1980年のコリンチャンスは、セレソン・ブラジレイラと同様に「トッパー」がスポンサーなのですが、グラフィック社から刊行されている

 「ワールド・サッカーユニホーム1000」

 によると、この時代のコリンチャンスのジャージを着用する事には、大きな道徳的意義があると言います。

 それは主将のソクラテスが、当時のブラジル国内を牛耳っていた軍事政権に反対声明を発表し

 「勝にも負けるにも、民主主義の下で」

 というバナーを掲げたというのです。

 つまり、パルメイラスやヴァスコ・ダ・ガマなど、他の名門クラブとか異なる価値観の下で、コリンチャンスは戦い意義を見出していたのです。

 過去、バルセロナが「ユニセフ」の胸ソロをつけることを表明した際、賛同の意見とええ格好しいという反対意見とで、大きな議論になりましたよね。

 恐らく当時のコリンチャンスにも同様の見解があったのではないでしょうか。

 最近もカタール・ワールドカップにおける人権問題に提言する形で

 ノルウエー・リーグのトロムソILがQRコード付きのジャージを発案
 スポンサーはセレクト・スポーツ
 このコードを読み込むことで、人権問題の案内に接続できる

 という形を試みました。

 専門サイト「ユニ11」のよれば、アムネスティ・インターナショナルと協力しているとのことで、今後はサッカージャージがTシャツのロゴ・メッセージと同様の価値を持つようになる気がします。
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英雄の末路を哀れと決まっているのか

2021-12-12 13:02:18 | 日記
 文春文庫「モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋」の196ページにおいて、ナポレオン・ボナパルトの名前が登場します。

 ナポレオーネ・ディ・ボウナパルテという名のリグリア人。

 イタリアは北部はオーストリア、そのナポレオンの進駐を許し、南部ナポリはノルマンやアラゴン、ギリシャなど他民族支配を常に受けてきました。

 そしてイタリアは2008-09シーズン、かつてのナポレオーネ・ブオナパルテのような、斬新な考えと発言を持つポルトガル人に多い着く作用とします。

 そう、北部の中心都市ミラノにやってたホゼ・モウリーニョという登場により。

 この文庫の一文を確認しながら考えたことは、両者の歩みでした。

 ナポレオン法典を軸にフランス国内の政治体制を確立する
 モスクワに攻め入るもロシア軍のゲリラ戦法、冬季の寒さにより敗戦
 最終的にはセント・ヘレナに島流しとなり、そこで他界

 モウリーニョは過去、インテルで多くの敵(インテル番でも彼を贔屓にしない記者は多かったと言います)を作り、それても

 2008-09シーズンのスクデット
 2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズ・リーグ

 を獲得し、鮮やかにマドリードに去ってゆく彼を、涙ながらに訴えかけるマルコ・マテラッティ。

 しかし、現在のモウリーニョはASローマの指揮官として再度イタリアに上陸するも、インテル・ミラノ時代のような閃きには欠けると指摘されます。

 ナポレオンがコルシカ島の幽閉から脱出し、再度パリに向かう際新聞はナポレオンの足取りを詳細に伝えますが、最終的には

 「おかえりなさい皇帝閣下」

 と見出しを付けたと言います。

 インテルであれだけの好成績、高水準を見せた指揮官がローマのベンチに腰掛ける、ファンは相当喜んだと思いますが、むしろラツイオとサッリボールの展開の方が勝っているとも言いますし、予断は許さない状況のように感じます。
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