塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

徳間書店わんぱっくコミックを思い出して

2021-12-11 21:39:19 | 日記
 本日、題材として「ハリマ王の伝説」を用いましたが、改めてインターネット検索をした際、ああ!と声を挙げました。

 それは「わんぱっくコミック」という、ハリマ王の伝説を特集していた漫画雑誌が存在したことを思い出させる記事で、昭和60年から4年に渡り、徳間書店から刊行されていたことを知りました。

 当時、確かにそんな漫画雑誌があったことはありましたが、その記事を閲覧するまではすっかり記憶が抜け落ちていましたし、当然小学生ですから出版社の名前を意識しているわけないですしね。

 そのわんぱっくコミックが、テクノロジーの発達という恩恵の下、電子書籍で復刊していることを知りました。

 ローコストでの復刻、復刊は今後も続々と誕生するのではないでしょうか。

 過去10年、15年振りかえりますと

 ベースボール・マガジン 週刊サッカーマガジン、ワールド・サッカーマガジン
 フロムワン カルチョ2002 浦和レッズマガジン
 日本スポーツ企画出版 ワールド・サッカーダイジェストエキストラ
 双葉出版 サッカー批評(現在はウエブで連載しています)

 というように、多くのサッカー雑誌が消えていきました。

 出版元は憶えていませんが「スターサッカー」のように、1年も継続せずに消えた雑誌もありますし、2000年代中期からインターネットの速報性が重要視されるようになると、この廃刊の頻度はより鮮明となります。

 ビクターやぴあと版元を変えながら長く刊行したワールド・サッカーグラフィックのように、ある意味で「延命」にこぎつけた雑誌もありました。

 ワールド・サッカーグランプリ(ソニー出版)が、「フッティ」と書名を変えて出直しを図った時もありました。

 ただ、今後新しい雑誌(サッカーに限らず)登場させることは、本当に経済事情を考慮しなくては刊行はできないと改めて感じますね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人が自己主張しない理由を考えて

2021-12-11 21:17:03 | 日記
 朝日新書から刊行のエマニュエル・トッドの「パンデミック以後」

 その74ページで彼は「16世紀末、徳川時代が始まる前くらいからの伝統は社会的コンセンサスでした。対立の回避です」と指摘します。

 プロサッカーの本場欧州では、指揮官に対し選手が対等の関係として喰ってかかることは頻繁に起きますし、選手間どうしでも文句に近い形で自分が欲しいプレイをどんどん伝えます。

 でも、日本人が同様の事を取り入れようとすると、必ず齟齬が生じます。

 それはトッドが指摘する「江戸時代」にあると僕も思います。

 江戸城本丸だとうが長屋だろうが、江戸時代の家屋は木造ですから、当然火付け(現在の放火)は重罪ですぐに打ち首でした。

 また長屋文化はお互い醤油や味噌を貸し借りするなど、生活での利点はあったものの、仮にそのコミュニティから犯罪者が出現した場合は、現在のように犯人だけが処罰されるんではなく、長屋全体で犯罪の責任をおう、完全なる「連帯責任」でした。

 そう、日本人が常に感じ、外国籍が戸惑う

 「日本人は意見をしない、曖昧な態度だ」
 「日本は自己主張がないし、外国籍に寛容ではない」

 というのは、連帯責任や村八分という過去の歴史が積み重なっており、サッカーだろうが社会だろうが、目立つこと、他人との差別化は無意味というようりも無謀であるとの意識が強いためではなないでしょうか。

 逆にイタリアのように、本来はナポリ、ターラント、シチリアにパレルモといった南部イタリアは、統一の対象外で圧はずだった国では、自己と痛烈に認識しますよね。

 彼らはイタリアという国家ではなく、自分の生まれた土地に属性を見出しますから、他の都市や州よりも、自分たちを主張し長所を見出すことに長けています。

 逆に言えば2006年ワールドカップ優勝の歓喜と、1900年ワールドカップ、ナポリでのアルゼンチン戦での痛烈な明暗が、その事実を如実に表現し、マラドーナという生贄を捧げた形になると僕は思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホログラムシールを引き当てた際のうれしさ

2021-12-11 16:20:18 | 日記
 僕と同じ45歳の男性ならば1980年代のホビーとして「ビックリマン・シール」が大好きでしたよね。

 講談社 コミック・ボンボンのファンはガンプラ
 小学館 コロコロ・コミックのファンはミニ四駆

 が好きだったと思います。

 ただこの垣根を簡単に超えたのは、任天堂のファミリー・コンピューターとこのビックリマン・シールに代表される、シールが封入されたおまけつきのお菓子で、僕はフルタ製菓(だったと思いますが)が企画する

 「ハリマ王の伝説」

 が大好きで贔屓にしていました。

 他にも「ラーメンバア」「ガムラツイスト」など、同級生にはそれぞれ贔屓があったことを覚えています。

 これらに特徴するのは、当時「キラキラシール」と呼んでいたホログラムシールが当たる可能性があることで、出たときの衝撃は本当に凄かったですね。

 サッカーカードでもイタリアのパニーニ社」では「カルチョ97」において、このホログラムを採用したスター選手カードを企画したので、大人になってもその喜びを味わったサッカー好きは多いと思います。

 そのホログラムが何と、スパイクに採用されました。

 専門サイト「コーヘイズブログ」によれば、今月10日発売のミズノ「モレリアDNA」において、ランバード・ラインにホログラムが採用され、光の当たり加減で違う印象になるとの指摘があります。

 ミズノのモレリア・シリーズはその品質から常に大きな支持を得ていますが、このような遊び心があるからこそ、ファンはまだ購入しようと思うのですね。

 僕はファミコンもミニ四駆も当然シールも既に忘却の彼方ですが、当時熱中したホビーの事はよく覚えており、不思議なことだと実感します。

 ビックリマン・チョコレートが2000年代になって再発売しましたが、かつて30円だった品が80円での販売と聞き、物価の上昇を改めて痛感しましたよ。

 追記 ハリマ王の伝説は「カバヤ製菓」が企画、製造していたとのことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大分トリニータの今季と2013年のウイガン・アスレチック

2021-12-11 16:09:02 | 日記
 現在ベルギー代表の指揮官であるホベルト・マルチネス。

 彼はプレミア・リーグのエバートンの指揮官でもありましたが、前任クラブのウイガン・アスレチックで手痛い失敗をしています。

 2013シーズン、ウイガン・アスレチックはFAカップ優勝と、2020年王者のレスター・シティ以上の驚きを与える一方で、プレミア・リーグは苦戦が続き、優勝と降格という2重の衝撃を与えてしまいます。

 この年を最後に彼らはプレミア・リーグに昇格できておらず、FAカップ優勝が必ずしも、勝利への道印になるとは言えない、というサッカーの難しさを表現しています。

 マルチネスとしては、現在でも胸につかえている痛みでしょうし、エバートンに移籍することに葛藤があったと想像します。

 日本でも明日、大分トリニータがJ1優勝クラブ、川崎フロンターレと天皇杯4強を戦います。

 ウイガンほどではありませんが

 1・トリニータは今季18位でJ2降格が決定している
 2.優勝クラブと対戦する
 3・仮に勝利すれば、浦和レッドダイヤモンズかセレッソ大阪の勝者と対戦

 というように、なかなかドラマチックな形を留めています。

 ちなみにウイガン・アスレチックがFAカップ優勝で対戦したクラブは「ホベルト・マンチーニ」率いるマンチェスター・シティで、マルチネスは名前負け品かっった形になります。

 (マンチーニは前年シティでリーグ優勝、インテルでもスクデットとコパ・イタリアを獲得済み)

 この年のプレミア・リーグはマンチェスター・ユナイテッドでしたが、以後、優勝ができていない迷える名門からすれば、2013年の栄光は最後の栄光にすら感じられるでしょうね。

 逆に言えば川策フロンターレも補強や監督人事で問題が起きれば、ユナイテッドのようになる可能性はあり、その点がサッカーも魅力かもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先ほどまで墓参りに出かけていました

2021-12-11 15:44:48 | 日記
 先ほど両親と墓参りに出かけました。

 我が家の墓は山中にあり、道幅が狭いためもし前方から車が来ればどうすべきかいつも気になります。

 従って線香や墓石を磨く布切れだけでなく、今日は熊手も所持して大量の落ち葉を片付けることから始めました。

 Jリーグに移籍する外国籍選手は、その多くがローマン・カソリックのキリスト教徒と思いますが、なかなか帰国できない現状、墓地に出かけて祈りを捧げる、という行為は難しいのではなかろうか、と考えました。

 欧州では宗派に関係なくキリスト教徒とイスラム教徒が混在している、それはサッカークラブも同様ですが、日本では当然ですが協会、モスクよりも鳥居、神社、お稲荷さんなど仏教に関する建築物が多いわけです。

 来日したばかりの選手はその点でも戸惑うように感じます。

 僕は岩波文庫からコーランが、文春新書から佐藤優が手掛けた新約聖書が発売されていることは知っていますが、購入には至っていません。

 立ち読みはしたことがありますが、これが僕にとっては非常に読みにくい、同時に解釈もしにくいのですが、いずれ買っては見たいと思います。

 ロベルト・バッジョ。

 イタリアの背番号10の代名詞であり続ける彼は、ディアドラの契約選手として知られる一方で、仏教(創価学会)の信者であることでも知られていました。

 ローマン・カソリックの国はスペイン、フランス、ブラジル、アジアでは韓国がそうですが、ヴァチカンがあり教皇が滞在するイタリアは、そのおひざ元ですよね。

 そのイタリアで、当時の首相であるシルヒオ・ベルルスコーニよりもある意味知名度が高いバッジョが、キリスト教徒からみれば「異教」である仏教徒であることは、やはり好まれなかったと言います。

 代表合宿におけるイタリア代表は当時二人部屋でして、バッジョも祈りを捧げる際は同部屋の選手に大変気を使ったと言いますから。

 それだけ宗教というのは、心の奥底まで見抜けられるような、鋭さを持つと言事でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする