塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が推測するネイマールに欠けている感情

2021-12-14 21:00:54 | 日記
 ブラジル代表ネイマールの事をヘイ(英語読みならばレイ、ポルトガルで王様の意味)と思うのは、サポートするプーマだけかもしれません。

 パリ・サンジェルマンに移籍して以降、古巣のバルセロナが満足のいく左翼を獲得的でいないことから見ても、ネイマールの実力が素晴らしいことはわかります。

 代表では2016年のリオ五輪金メダルしか得ていませんが、少なくともクラブでは

 2011年 コパ・リベルタドーレス優勝
 2015年 UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝

 バルセロナとパリ・サンジェルマンでリーグ優勝を経験していますし、かつて在籍したサントスも金銭問題が発覚しなければ、ネイマールの活躍を喜んだに違いありません。

 これだけの優勝を経てもネイマールがどこか「だらしない」感じを周囲に印象づけるのは、敬意、配慮という態度にあるのかもしれませんね。

 パリ・サンジェルマンにはライーにヴァウド、ロナウジーニョにレオナルドとセレソンの先輩たちが在籍し、他にも

 リベリア代表 ジョルジュ・ウエア
 フランス代表 ユーリ・ジョルカエフ
 ポルトガル代表 ペドロ・パウレタ

 という各国代表が在籍してきました。

 そこにはロナウジーニョのようにサッカーの喜びと明るさを伝えた選手、パウレタのようにクラブの成績が振るわなくとも移籍しなかった選手など、ファンが敬意を払う選手がいました。

 近年ではクラブに「逞しさ」を植え付けたズラタン・イブラヒモビッチがそうですね。

 イブラヒモビッチはマルコ・ヴェラッティのように、自分よりも年少の選手に声をかけることを怠りませんでしたし、見守るという態度がありました。

 推測で恐縮ですがネイマールにはある意味、この人としての温かさが欧州に来て以降急速に冷え込んでいるのかもしれません。

 彼がそのようなことを思うとは微塵も考えにくいですが。
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二人の個性が相殺される不運

2021-12-14 20:41:32 | 日記
 日本代表が韓日ワールドカップに出場する際、指揮官フィリップ・トルシエは3-4-1-2の布陣を用います。

 「1」のポジションに指名されたのは中田英寿でしたが、当時フェイエノールト・ロッテルダムに在籍する小野伸二にとっても最適なポジションはここでした。

 トルシエは両選手の共存を模索し、小野を「5」の左で先発させることでこの問題を解決しますが、イングランド代表とフランス代表も、当時は同様の問題を抱えていました。

 もしイングランド代表のスヴェン・エリクソンが4-4-2ではなく4-2-3-1の布陣を選択したならば、「3」の中央にスティーブン・ジェラード、「2」の片方にフランク・ランパードという形っができたと思えますね。

 リバプールの指揮官ラファ・ベニテスは2008ー09シーズンをフェルナンド・トーレスの1トップを後方のジェラードが支える4-2-3-1でプレミア・リーグ2位になりましたが、ジェラードの適正は4-4-2の2センターではなかったように感じます。

 少なくともランパードと並列で並ぶ4-4-2は、お互い息が詰まるような形だったに違いありません。

 フランス代表は韓日ワールドカップの際

 ジブリル・シセ オセール リーグ1得点王
 ティエリ・アンリ アーセナル プレミア・リーグ得点王
 ダヴィド・トレゼゲ ユヴェントス セリエA得点王

 という3名の得点王が代表を形成します。

 この時の布陣は4-2-3-1でしたが、2年後の欧州選手権はトレゼゲとアンリが並列に並ぶ4-4-2で、やはり両選手の長所が相殺されてしまいます。

 少なくともロジェ・ルメールが考えた韓日ワールドカップの4-2-3-1でアンリを左翼に回す方が理にかなっていたとは思いますが、一番きつかったのはジダンの負傷でした。

 親善試合の韓国戦で負傷し、回復が真庭無かったわけですが、この負傷が改めてジネディーヌ・ジダンの力量を表すことになった点が、非常に皮肉とえいます。

 体調の良い(代役ではありますが)ユーリ・ジョルカエフよりも、故障を抱えているジダンの方が巧みであることがわかってしまったわけですから。
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ホベルト・マンチーニにかかる重圧

2021-12-14 20:32:28 | 日記
 サッカーにおける代表監督の重圧と責任は相当ですが、今一番その感情を抱えているのはロベルト・マンチーニでしょう。

 少なくとも欧州選手権2020で優勝したにもかかわらず、仮に2018年に次ぐ本戦不出場という形になれば、その優勝は完全に打ち崩され、マンチーニは怒涛の批判にさらされるはずです。

 イタリアサッカー協会は監督交代を考えるでしょうか。

 仮に交代しても主力になるのは

 GK ジャンルイジ・ドンナルンマ パリ・サンジェルマン
 MF 二コラ・バレッラ インテル マルコ・ヴェラッティ パリ・サンジェルマン
 FW フェデリコ・キエーザ ユヴェントス ロレンツオ・インシェーニェ ナポリ

 というように、顔ぶれは変化しないでしょうから、布陣変更と数名の入れかえにとどまるとは思いますが。

 イタリア代表は1998年フランス・ワールドカップ出場の際もプレイオフに回りました。

 対戦相手はロシア代表で、モスクワでの一戦は蛍光ボールが用いられる極寒の中で行われ、ジャンルイジ・ブフォン(当時はパルマに在籍)が代表デビューした一戦としても知られています。

 この時のイタリア代表はイングランド代表との一騎打ちであり、敵地ウエンブリーにおいてチェルシーのエース、ジャンフランコ・ゾラの一撃で1-0の勝利という最高の展開でした。

 しかし、結果的に指揮官のチェーザレ・マルディーニはこのアドバンテージを活用できす。最終的に回り道をしてしまいました。

 イタリアのようにワールドカップ優勝4度という実績は、ここぞという場面で選手を硬直化させ重圧の前に屈しやすいのかもしれません。

 それでもかつては「1-0」で勝利というタフさがありましたが、攻撃に活路を見出すとその伝統が消されてしまった、というのは言い過ぎでしょうか。
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