塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

他者からの温かい励まし

2021-12-25 21:23:01 | 日記
 僕は毎日勤務中「今日もうまくいかないな」と何度かつぶやきます。

 自分で自分を奮い立たせることには限度があり、励ましの声が両親(血縁だから)教師(金貰っているから)では、奮い立たないと思う方多いのではないでしょうか。

 つまり、同僚でも良いので「赤の他人様」から

 「以前より上達しましたね」
 「今日も助かりましたよ」

 という声が、励み、やる気につながると思うのです。

 サッカー選手ならば、ビジターの試合でありながら相手クラブのファンから拍手される、サンティアゴ・ベルナベウで拍手されたロナウジーニョのように、ならば、本当に千川が沸くと感じますね。

 「逃げるは恥だが役には立つ」

 があれほど人気だったのも、「励ますことが人を成長させること」が如実に表現されていたためではないでしょうか。

 森山みくりは多くの場合

 「私はヒラマサさんが好きです」 
 「距離と縮めることができてうれしいです」

 と、交際経験に乏しい津崎ヒラマサを常に励まします。

 その出来事が回数として積み重なっていくと、僕には良き相談相手がいると思うのでしょうね。

 香川真司がPAOKサロニカを退団しますが、彼が老け込んだ、だからギリシャでもスペインでもいまいちなんだとは僕は全く思いません。

 今香川真司にとって一番大切なことは

 1・セレッソ大阪時代のレヴィー・クルピ
 2.ボルシア・ドルトムント時代のユルゲン・クロップ

 のように、「シンジ。今日の君は最高だったよ、サッカーを楽しんでいたね」と声をかけてくれる指揮官に再度、出会う事だと思いますよ。

 それはリバプールの地ではないのですが、香川にはまだまだ時間が残されていると僕は考えています。

 そして僕も感じるのです。

 「だれか僕にも、よくやっているよと声をかけてくれないかなあ」
 「だれか僕にも、あなたに出会えてうれしいと言ってくれないかなあ」
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帰化に見られる感触、ルーツの違い

2021-12-25 20:56:46 | 日記
 植民地支配と帝国主義。

 この20世紀の遺産は、サッカーにおいては「良い兆候」と見られることがあります。

 例えばポルトガル。

 ポルトガルはモザンビークを植民地にしていましたが、この政治的背景が存在しなければ、エウゼビオはポルトガルに住むこともなく、

 1966年ワールドカップ得点王
 1962年と63年のチャンピオンズ・カップ2連覇

 は無しえませんでした。

 しばしばフランスではセネガルやアルジェリアなど(不思議なことにカンボジアの事を考慮する様子がないのですが)、サッカーの国際親善試合で不穏な空気が生まれます。

 しかしこの植民地試合の遺産が

 1・パトリック・ヴィエイラ ツールはセネガルにあり
 2・ジネディン・ジダヌ ルーツはアルジェリアにあり

 という形で1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権の柚須陽で華開くとは、皮肉な結論といえます。

 現在の中東の地図は英国とフランスが勝手に決めた「サイクスピコ協定」によって締結され、イスラエルとパレスチナ問題は明らかに

 「バルフォア宣言」
 「フサイン・マクマホン協定」

 の2重契約にあると言えますが、両国がその点にどれだけの責任を背負う覚悟があるのかは、2021年の現在でも見えませんね。

 日本代表も例えばガンバ大阪に在籍数パトリックが代表帰化を希望すると言われています。

 それは日本がブラジルを植民地にしたわけでなく、日本人が日本政府の明らかな「プロバカンダ」でパラグアイやブラジルに入植した縁がまずあります。

 ただそれ以上に選手としてjリーグで戦ううちに、自然と帰化しても良いという気持ちが沸いてきたためです。

 国籍を変えること
 日本人になる事

 は僕らが考える以上に大きな決断です。

 だからこそ日本代表に帰化して戦った選手たちは、その考えだけでも物凄いことだと改めて感じます。
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毎日同じ献立ではいけませんか

2021-12-25 20:37:37 | 日記
 日本ではクリスマスに鶏肉を食べますが、この習慣は日本独特のものです。

 欧米各国では七面鳥を買い調理しますが、日本では七面鳥を口にする習慣がない、そのため鶏肉で代用したことが現在にまでつながっています。

 ちなみに米国では「メリー」クリスマスではなく「ハッピー・クリスマス」と呼び、異教徒(当然日本人の大半はここに該当します)に配慮するのが普通です。

 そう思うと「メリー・クリスマス」と連呼する我が国は、幼稚な慣習がはびこっているように思えますが、皆さんはどう感じるでしょうか。

 僕も昨日と今日は、両親が購入した骨なし鶏肉を食べましたが、僕は基本、毎日同じ献立で構わないのです。

 つまり、人々が「ご馳走」「おごっそう」と呼ぶ豪勢な料理やアルコールを口にしなくても平気ですし、そもそも外食やコンビニエンス・ストアで弁当を買うことはありません。

 せいぜい月に1回か2回、マクドナルドを利用しますが、皆さんが頻繁に利用するであろう店舗「やよい軒」「大戸屋」は近所にないですしね。

 僕がサッカー選手ならば、クラブハウスで摂る以外の食事は、やはり基本毎日同じ食事、食材にすると思います。

 それは生活習慣ということもありますが

 いきなり異なる食材を口にしてリズムが狂うことが好ましくない
 プロである以上、言い訳は許されないと思うのが基本

 だからではないでしょうか。

 代表にコックが帯同することも珍しくない時代ですが、一方で選手たちを価値観の相違、タフな環境に身を置くという理由でコックを帯同せず、現地の食事をそのまま食べるという指揮官の決断もあります。

 どちらが良いというわけではありません。

 ただ、僕の場合豪勢な食事はいりませんし、毎日同じ食材で構わないというだけの話ですが。
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