塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

パルマ、プーマと再契約へ

2023-05-09 21:51:15 | 日記
 現在エレアと契約中のパルマ。


 新シーズンからは「プーマ」と新契約を結ぶために、エレアとの契約は今季で終了になります。


 パルマは1990年代には、プーマのほかにロットの時代もありましたが、日本人からすれば2002-04シーズンが懐かしいですね。


 1・中田英寿がASローマから移籍
 2・日本人になじみ深いカメルーン代表のパトリック・エムボマも在籍
 3・ジャージ・スポンサーは米国のチャンピオン


 という意外性も多く、ボールはこれまた日本のモルテンが支給していたはずです。


 つまりパルマとプーマが契約を結ぶのは今回が初めてではなく、イタリア代表との契約を終えたプーマとしてはACミラン以外に、セリエAのクラブと契約したいという希望があったのではないでしょうか。


 イタリアはディアドラとロットの着用率も減少していますが、カッパ、エレア、レゲア、パントフォラドーロ、エーラインなどマニア向けのブランドが多いことも特徴です。


 引退直前はニューバランスでしたが、鹿島アントラーズの伝説である小笠原満男がカッパ契約選手であったことは有名です。


 同時にアズーリ、オセール、グレミオなどの提供した「コンバット」は世界中から注目を浴びた、センス抜群のデザインでした。


 日本では鹿島アントラーズと東京ヴェルディが一時期「エネーレ」と契約していた時期もあり、彼らがまた世界中で話題を集めるようになれば面白いですね。


 またナポリがエンポリオ・アルマーニと契約しているように、デザイナーが更に全面協力する問いy形も増加していく気がします。
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雑誌におけるすみ分け、階級、特別意識

2023-05-09 21:39:02 | 日記
 前回お話しした「JJとその時代」では、雑誌の購読者でセンス、クラス(暮らしぶり)から大學、勤務先まで区分けされたと指摘があります。


 つまり、JJを読む世代と「アンアン」「ノンノ」を読む世代は明確に異なり、ましてや「キューティー」「エッグ」「ハナコ」などは尚更、というわけです。


 これらの多くが「休刊」いる以上何とも言えませんが、例えば美容専門紙である「美的」と「美スト」の購買層が異なるのかどうか、僕にはわかりかねますが。


 僕はこれまで多くのサッカー雑誌を購入し、手放してきましたが単純に読んていて楽しいから、情報を吸収して観戦に役立たせることが基本でして、そこにファンのすみ分けがあったかどうかを気に留めたことはありませんでした。


 ワールド・サッカーグラフィックが発端となった海外サッカー専門誌は、基本当時最盛期だったセリエAがイコール「世界」だったわけです。


 その形は後発の「ワールド・サッカーダイジェスト」も同様で、専門誌「カルチョ2002」が登場したほどです。


 サッカー・ダイジェストは週刊でしたが、その週刊形態で先鞭をつけたのがサッカー・マガジンでしたが、海外サッカー専門誌である「ワールド・サッカーマガジン」は、逆にワールド・サッカーダイジェストよりも遅れて登場します。


 その後を狙ったのがワールド・サッカーキングであり、ここまでは購買層はナンバーも含めて変化は無いように思えます。


 ただより専門知識を必要と考えたファンは、双葉社の「サッカー批評」を呼んだでしょうし、その気持ちにこたえる形で雑誌はどんどんボリュームが増す一方、「フットボール批評」といういとこを生み出したのは、どこか皮肉ですが。


 これらの多くが休刊となった今、ワールド・サッカーダイジェストとキング、そしてフットボリスタも安泰ではないしょう。


 でも雑誌と専門誌、登場すると気分が高揚して楽しいと思うのは、今も昔も変化はないと思うんですがね。
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光文社新書「JJとその時代」より

2023-05-09 21:27:15 | 日記
 光文社新書「JJとその時代」を読んでいます。


 筆者の鈴木涼美によれば、JJの歴代編集長は男性が長らく起用されており、ある意味男性的発想による女性請けするファッション特集、美容からグルメ、小物使いを毎号(最盛期は450ページ)掲載していたとあります。


 なでしこリーグからWEリーグに変化した日本女子サッカーですが、海外における指揮官の性別はどうな塩梅なのでしょうか。


 そこにはかつてイビチャ・オシムが語った


 「日本人による日本的価値観のサッカー」
 「水を運ぶ人が必要だ」


 というように、日本女性ならではの特徴や長所を活用する、と言う考えがあるのか考えてみる必要はあるでしょうね。


 2011年、2012年、日本女子代表の成績が最高潮だった崔、佐々木則夫監督の下には多くの盟主が揃っていた、つまり時代が味方した面あると思います。


 その一方で宮間あや、澤穂希のように身体的特徴が米国意表や欧州各国代表に劣る綿があっても


 卓越した視野と技術を持つ選手
 ミスをして下を向いている選手を前向きにさせる話術

 
 など人間的に敬意を自然に支払われる選手が多かったことも特徴です。


 このころは上背に代表される体格重視ではなく、マイボールを大切にした展開で日本女子代表は活路を見出します。


 その日本女子代表の発案に、ダイレクトプレイやドリブル、サイドチェンジなどでお株を奪ったのが米国女子代表だったとおもうんですよ。


 ただ日本女子代表の選手たちも、日本、米国、欧州と渡り歩き多様な価値観を見出しています。

 
 最後はある意味、男女ともに通じる「自己犠牲」の形かも知れません。


 誰かがやるに違ない
 いや、私がやる


 この考えが最後、今夏のワールドカップの好成績につながるのではないでしょうか。


 そこには冒頭で記した男子監督が目指す女子サッカーの展開ではない、日本独自路線がある気がしますよ。
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