塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにおける記録とは

2023-05-04 21:41:38 | 日記
 2023シーズンからJ3を戦う奈良クラブとFC大阪。


 両クラブはJ2ライセンスを所持しているのでしょうか。


 現在首位に立つのは、J3初年度を戦う奈良クラブでして、仮にJ2ライセンスがあれば1年で昇格する形になりますよね。

 
 それは本当に画期的であり、J2経験クラブである愛媛FCやカターレ富山、J1経験を持つ松本山雅、10年以上J3を戦うAC長野パルセイロを出し抜くわけですから、関係者からすれば喜ばしいよりも、困惑しているかもしれませんが。


 J2からJ1に昇格し、即時優勝してFIFAクラブ・ワールドカップに参加したのは、2011年の柏レイソルです。


 リーグ最優秀選手のレアンドロ・ドミンゲスとジョルジュ・ワグネルという、ブラジル代表クラスの実力者
 現在浦和レッドダイヤモンズに在籍する、若き日の酒井宏樹
 指揮官は日本でも知られるネルシーニョ


 らが躍動し、南米王者サントスとも互角に戦い世界4位。


 ただ、奈良クラブの例もそうですが、このような現象は毎年起きません。


 ですから尚更「印象深い」形になります。


 1991-92シーズンのACミラン
 2011-12シーズンのユヴェントス


 イタリアでは二つのクラブが無配優勝を経験していますが、さすがにまだこの記録はJリーグでは生まれていません。


 Jリーグよりも歴史あるプロ野球では、スコアブックをつけ奈良が観戦する方もいますし、記録集も公式に出版されています。


 今後サッカーも戦術や選手の技術ではなk、記録しての側面と各国リーグの皮革、と言う形で観戦するファンが増加する、かも知れない気がします。


 小規模リーグでも記録更新は難しいものですからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分のルーツを大切に扱うこと

2023-05-04 21:22:40 | 日記
 結果フランス代表となりましたが、チェルシーで一時代を築くクロード・マケレレ。


 彼のルーツはコンゴ共和国、かつてのザイールにあるんですね。


 その国名が「ザイール」だった崔、NBAのデンバー・なゲッツは、このアフリカにルーツを持つ大学生、デヒケンベ・ムトンボを1巡目で指名します。(1992年)


 バッシュファンならご存じでしょうが


 ムムトンボはアディダスと契約を交わす
 彼の専用バッシュ「ムトンボイ」は、アッパーにザイールの民族模様がちりばめられ、在伸なデザインとして大好評
 しかし、第2弾となる「ムトンボ2」は、何の変哲もないデザインに変更


 と言う形をたどります


 この年はラリー・ジョンソンがコンバースと契約し、新人王となるのですが最後までその座をムトンボと争う形でした。


 今、プロサッカーではアッパーに「ドラゴンボール」「なると」など、人気アニメの登場人物を施す選手がいる一方、日本限定ですがアンブロがアクセレレイターの企画


 「U・バイ・GAKU」


 において、契約選手である柴崎岳の出身地、青森県を題材にアッパーをデザインしています。


 アフリカと言えば


 1・呪術という独特の価値観
 2・民族衣装に誇りを持つ


 と言う点は、今も昔も変わりません。


 マンチェスター・シティ在籍時、アフリカ最優秀選手に輝くコートジボワール代表のトウーレ・ヤヤは、表彰式に欧州式の背広ではなく、民族衣装で壇上に登場したものです。


 長野県には上田紬や岡谷シルクなど、服飾品の徳さんがあります。


 今後建寧選手がサッカースパイクのそれらを施す時、来るでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選手に現在、安住の地があるだろうか

2023-05-04 21:14:31 | 日記
 1990年代、バスケットボールの国際試合として「マクドナルド・オープン」と言う大会がありました。


 この大会はNBA王者が欧州に遠征して試合をするももので、1990年代ですから全米代表は基本、シカゴブルズでした。


 開催地はパリだったおと思いますが、今でこそバスケットボールは欧州でも人気ですが、当時のフランスではさほどではなかったのです。


 アルビダス・サボニス リトアニア生まれ ポートランド・トレイル・ブレイザーズ
 トニー・クーコッチ クロアチア生まれ シカゴ・ブルズ
 ハキーム・オラジュワン ヒューストン大学を卒業 ナイジェリアにルーツがある


 というように1990年代のNBAにも外国籍の選手は存在しましたが、今ほどではなくフランス生まれのスター。トニー・パーカーが登場するのはもっと後になります。


 ただ、マイケル・ジョーダンはパリが好きでした。


 パリで自分を知る存在はほぼない
 単なる背の高い黒人というだけ
 気軽に街を散策できる


 という、一般人の気分を味わえたためです。


 サッカーでいえば、それは北米でした。


 MLS以前の米国サッカーは、かつてのカタールのように、ペレにヨアン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアーなどが移籍し、盛り上がりを一時的に見せたものです。


 それは彼らが米国のサッカーを向上させたいと思うだけでなく


 気軽に暮らしたい 
 自分の存在を知られていない快適さ


 を求めてだったのではないでしょうか。


 レオ・メッシがサウジアラビアに移籍しても、静かさとは程遠いわけですが、かつては間違いなく安住の地があったのです。


 日本リーグ時代に、オスカールをはじめとするブラ実代表が移籍したのも、レベルが低くてもよいから静けさが欲しいから、だったのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする