塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

横浜FCで黄金の2トップ誕生か

2009-11-27 13:15:15 | 日記
 横浜FCが中山雅史獲得に名乗りを挙げ、中山自身敬愛するカズともう1度プレイしたいと、前向きな姿勢を見せていると聞きます。
 代表では2トップを組んだ二人も、同一クラブに在籍した経験は無いんですよね。実現したら大きな話題になることは間違いありません。

 40を越えた選手が現役を貫くにはどういう姿勢が必要なのでしょうか。
 ピッチ外では食事の節制とメディア対応が挙げられますね。特にカズの徹底した食事管理は広く知られていますし、中山のウイットに富んだ発言に、メディアの多くが助けられたことでしょう。

 ではピッチ上ではどうでしょうか。瞬発力や体力では到底若手には適わない。でも彼らは様々な経験を積む事で、自分と味方両方の生かし方を知っているうえ、ポジショニングの上手さで結果をだすことができます。
 つまり的確なポジションを確保することで、マークを外す事とと体力の温存、そしてリバウンドボールに飛びつく「一石三鳥」の動きを手にしているわけです。

 しかし冷静に考えてみると、これが今のJ1の現状ともいえます。
 40を越えた選手が現役を続けることには大きな意義がありますが、カズと中山より下の世代で突出した存在が、今のJ1には存在しないことを浮き彫りにしてしまったからです。やはり顔となるべき選手達は、海外に出る事を望んでいることもひとつの要因と言えますが。

 ふたりの全盛期、今ほど欧州との接点が無く彼らが日本を拠点にし続けた事は、僕たちにとっては大きな喜びでした。
 まだ中山の横浜FC加入は正式なニュースでがありませんが、契約合意には近いところまで話が進んでいるそうです。
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日本サッカーの長所

2009-11-27 00:57:57 | 日記
欧州のサッカースタジアムの多くで、人種差別の横断幕の掲示や持込禁止のはずの発煙筒が焚かれている光景をみると、いらだちを越えてあきれ返ってしまいます。
 僕の好きなインテルのファンが、クラブのふがいない戦いに抗議の意を示そうと、ジュゼッペ・メアッツアから、バイクを放り投げるという前代未聞の事件を起こした事もあり、同じファンとして情けない気持ちで一杯でした。

 J1とJ2はそれらとは違った光景が繰り広げられています。時には辛らつな罵声がとぶこともありますし、ファンがクラブから退場を命じられるときもあります。
 でも売店では敵、味方関係なく食べ物と飲み物が買えますし、子供づれの親子の姿も見れますし、電車やシャトルバスは定刻を守って運行します。これは地域リーグでも変らない光景です。
 清潔なトイレに治安の行き届いたスタジアム。プロサッカーの基本の姿がそこにはあります。むしろ殺伐とした欧州の雰囲気の方が異端に見えてきます。

 つまり日本には人が人を労わる行為が当然の事として認知されているわけです。最近は物騒な話題も多いですし、ニートや引きこもりの問題も討論されていますが、サッカーを見に行くと「まだまだ日本は捨てたものではない。」と実感できます。人との触れ合いが実感できるからです。

 欧州や南米の大物選手を呼寄せたいなら、この「安全と清潔なスタジアムとファンの暖かさ」は、大きな口説き文句になると思います。
 純粋に競技としてサッカーの質を競い合うなら、発煙筒も人種差別発言も老朽化したスタジアムも不要なはずです。
 
 確かにチャンピオンズリーグや欧州の各国リーグから学ぶべき点は多いです。同様に欧州や南米の関係者が日本から学ぶべき点も、僕たちが考えている以上に多いと思います。
 「欧州、欧州」と叫ぶ前にまず僕たちが日本サッカーの利点を、もう一度考えてみる必要があると思います。
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中村俊輔が真に偉大な理由

2009-11-26 00:49:29 | 日記
 僕は中村俊輔は日本人選手として初めて、世界の子供達のお手本に成りえた最初の選手だと思うのです。僕は彼を見るたびにこのことを念頭に置いているのですが、皆さんもそうは思いませんか?

 きっと近い将来若手の選手から、「僕の目標はナカムラだった。」「ナカムラのフリーキックを見て、僕もフリーキックの練習を始めたんだ。」こんな声がきっと聞けるようになるはずです。
 中村本人も嬉しいでしょうが、同じ日本人として僕も光栄に思うはずです。日本サッカーがプロ化してまもなく20年ですが、僕たちはこの間ずっと海外の選手達を手本にサッカーを語ってきました。
 カズがジェノアに移籍した際は、「ミウラはプーマとケンウッドというふたつのスポンサーを連れてきた。」と、カズの実力より企業の名前が宣伝され、随分悔しい思いをしたものです。
 
 ですからまだスペインの水に馴染めず、日本代表との兼ね合いにも苦労していますが、中村には子供達の手本になるような存在でいて欲しいものです。

 例えば2006-07シーズン、チャンピオンズリーグのユナイテッド戦で決めたふたつのフリーキック。セルティックと日本のファン以外にも、深い感銘を与えたと思います。

 あのフリーキックを見た翌日世界中の子供達、特にセルティックファンは頭にナカムラの姿を思いうかべながら、ボールを蹴り続けたに違いありません。同じ日本人として堪らなく嬉しく、そして僕が子供の頃キャプテン翼を見て真似した事を思い出し、体が温かくなるのです。

 僕は呼んでいないのですが、彼がつけているサッカーノートを本にして出版したのも、子供達やサッカーを始めようとしている人たちへの、中村からの大きなプレゼントだと思うのです。
 来年のワールドカップ、やはり日本の顔は中村俊輔がつとめることで間違いないようです。
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スターがスターを作る

2009-11-25 21:10:33 | 日記
イタリア語で「フオリクラッセ」という言葉があります。僕はこの言葉を「名手を越えた名手」と訳しています。イタリア語には他に「カンピオーネ」という言葉もありますが、これは単なる「名手」と訳していいと思います。
 一例を挙げますと、「ユベントス時代のジダンはカンピオーネだったが、レアルに移籍した後の彼はフオリクラッセになった。」

 今世界中にいるサッカー好きの少年たちが、やがて成長しプロとなる原動力に、現在のスター選手は欠かせません。子供達に好きなサッカー選手を聞けば、喜んで選手の名前と好きになった理由を教えてくれるでしょう。
 ではその子供達が将来プロに成れるかどうか、またフオリクラッセとして自分が次世代の子供達の敬愛を受けるまでに成長するには、何が一番大切なのでしょうか。

 僕は「願う事」だと思います。

 僕たちは日常の中で「スゴイ」という形容詞を沢山使います。でもその大半は相槌として、簡単に消費されているものです。その中には「自分には関係ない」「僕にはできっこない。」という諦めの気持ちも入っていると思います。
 何より「スゴイ」の概念が、人によって違う為、たとえジダンが世界的名手としてファンからは認知されていても、関心の無い人間にはどうでもいい存在と言えるからです。

 でもサッカー好きな子供たちは違います。「僕もジダンのようになる。」その純粋な気持ちが彼らを奮い立て、練習に耐える気持ちを促してくれるのです。人から笑われてもいいから、マルセイユ・ルーレットを真似してみる。出来た時の喜びは彼らをより一層高い次元へ押し上げてくれるでしょう。
 組織の一員として名手は時に監督の構想外となってしまいますが。子供達は真面目な選手よりも、遊び心をもった選手を好きになる物です。ですからスターは今も昔も光り輝いているのです。
 そして子供達は将来ジダンのようになりたいと、毎日願っているのです。

 改めて振り返るとバルセロナ時代のロナウジーニョはやはり偉大でした。最近ミランで左ウイングとして重用され、かつての輝きを取り戻しつつあるようですが、やはり体が絞りきれていないようです。バルサ時代と今では明らかにアゴと体のラインがふっくらしていますしね。

 僕がロナウジーニョのプレイで愕然としたのは、チャンピオンズリーグのアウエー、対チェルシー戦で見せた「ツイストシュートでした。」
 2度のキックフェイントを入れてから放ったシュートは、名手ペトル・チェホが一歩も動くことが出来ない、まさに完璧なシュートでした。この試合が行われた2004-05シーズンは優勝に手が届かなかったものの、翌シーズンバルセロナは1992年以来と成る欧州の頂点に立ちます。
 ロナウジーニョの存在なくして、バルサの躍進は成立しませんでしたし、彼の輝きは多くの子供達の夢となったはずです。

 近年のサッカーは戦術が高度化しすぎ、選手が戦術を逸脱する事は背信行為と捉えかねません。でも時には選手が自分の判断で、ゴールを目指すことがあってもいいと思います。ゴールを目指せる選手はひとりで組織を打破できる、優れた存在であるからです。
 
 スターが時代のスターを生み出す事は、過去も現在もそして未来でも変る事の無いサッカーの法則であるからです。

 
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サッカーと言う仕事

2009-11-25 12:26:59 | 日記
 皆さんは転職の経験ありますか?僕は今の仕事が4度目の職になります。お恥ずかしい話ですが、正社員として採用された最初の会社をわずか半年で辞め、それ以後は正社員になった例がありません。今のスーパーの仕事も実は非正規の雇用です。給料は安いですが家族皆が病気でないことが一番の恵みです。

 僕たちが転職した際一番気になる点は、「職場に馴染めるか」「与えられた仕事をこなせるか」の2点に尽きると思います。
 例えば僕がいわゆる「会社」と呼ばれる職場に転職したなら、馴染むまでに相当な気苦労があると思います。僕がスーパーで働いていることはお話しましたが、レジうちに商品の袋詰、商品陳列に店内の美化活動。どれをとっても会社勤めの人間には無縁の世界です。
 僕もパソコンを使う事はありますが、たいした業務ができるわけではありません。また取引先への訪問や社内会議などは、本当にテレビドラマの世界です。転職したいと考えることは多々ありますが、現実は相当厳しいことも理解しています。

 サッカー選手の場合「移籍」は「転職」にはなりません。これはひとつ選手にとって大きなメリットになると思います。
 確かに国を跨ぐ事に躊躇しない選手はいないでしょう。また移籍先の風習や風土に馴染めるかどうかの保証もありません。選手にはサッカー以外の困難が、数多く待ち受けているわけです。

 でも選手に与えられた仕事は万国共通ですね。そうシュートをゴールネットに突き刺すことです。それ以外に任務は存在しません。バスケットやボクシングといった他のスポーツに鞍替えするわけでもなく、アイスホッケーのように芝が氷に変るわけでもない。
 施設やクラブの規模に違いはあれど、芝とボールと観客、そして審判と選手が揃えばプロサッカーの試合は今すぐできます。世界中で見られるごく一般の光景です。

 当然移籍先に馴染めず母国に帰ってくる選手もいます。下手をすれば国内の移籍で上手くいかずに、早々と元のクラブに復帰する選手だっています。 
 でもサッカーのいい所はやり直しが比較的簡単にできる点にあります。
 例えば今ボーフムにいる小野は、フェイエノールトでの役割が終わったと感じたら、再び日本に帰ってきました。そして日本でリフレッシュした後、ドイツに旅立ったというわけです。日本に帰ってくる事は恥ではありません。移籍先でベンチが定位置よりも学ぶ事は遥かに多いはずですから。

 サッカー選手の転職というのは他のスポーツの選手として生計をたてることですが、解説や監督の仕事は、「昇進」と捉えるべきでしょう。
 一般企業でも役職につける人間は限られていますが、解説や監督の仕事も同様に非常に狭き門だからです。ですからどんなに弱小であっても、代表監督のポストがまわってきたら、それは非常に名誉なことですし、ファンの信頼を得る解説力を身につけるには、やはり経験が必要となってきます。

 J1のオフシーズンと欧州の冬の移籍市場で、選手が国を跨ぐ時期がまもなく訪れます。果たして今年はどんな移籍模様が現れるのでしょうか。今から僕は楽しみにしています。
 もちろん誤報や噂話に惑わされてはいけませんが。
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