塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

もし一つのクラブに、ロシアとウクライナの選手が在籍しているならば

2022-02-25 20:47:17 | 日記
 ロシアがウクライナに進軍し、首都キエフに迫っているといいます。

 ここで難しいのは芸術が挙げられます。

 今後、クラシックのコンサートでストラヴィンスキーやショスタコーヴィッチが演奏されたならば、今回の政変がオーケストラ側に圧力をかけて演奏中止を求めるかもしれませんし、そもそも楽興自体を避けるような気がします。

 僕は作家名を知っているだけですが、ナボコフ。チェーホフやトルストイなどロシア作家の作品も、店頭陳列は難しくなるように思えるのですが、それは1990年代の旧ユーゴスラビア紛争において、常に現在のセルビアが悪とされ、スロベニアやクロアチアにはさほどの言及がなかった。

 という点が想起されるためです。

 今回の進軍で書物や音楽が排除されなければよいのですが。

 当時のACミランには「ユーゴスラビア代表」のデヤン・サビチェビッチと、クロアチア代表のズボニミール・ボバンが在籍しており、両選手も含めて同僚たちは話をするのも大変だったのではないでしょうあ。

 ドラガン・ストイコビッチが名古屋グランパスエイトに在籍していたことで、グランパスエイトのファンが情勢を見守ることにもなりましたが、サッカーは多くのクラブが多国籍である以上、ロシア代表選手とウクライナ代表選手が在籍するクラブが登場すると思います。

 大抵の場合、印象としては

 侵略されたウクライナ
 侵略側のロシア

 という図式は簡単に成り立ちますが、東部ウクライナは地理的にロシアに近いため、彼らの事を悪く思うことはないようです。

 ただ、ロシア代表の選手とすれば気まずい空気の中で練習することは嫌で仕方はないでしょうが。

 インドとパキスタン、中国とヴェトナムと火種がくすぶる国家があることも確かですが、今後の情勢はどうなってゆくのか気になります。

 ワールドカップの頃、政変がどうなっているかで案外支障をきたすかもしれません。
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シグネイチャーという概念の最初はどこに

2022-02-25 14:44:20 | 日記
 バッシュファンにはお馴染みであり、サッカーファンにも浸透しつつある「シグネイチャー」という概念。

 今思ったのですが、この「個人専用」と捉えられる概念は日本において競技でなく、テレビアニメにあると思います。

 それは1979年に放送され、「ガンプラ」という玩具が広まる要因となった「機動戦士ガンダム」の「シャア専用」サクではないでしょうか。

 通常のザクは塗装が緑ですが、シャア専用ザク、そしてゲルググの機体は赤の塗装であり、通常のザクよりも宇宙空間を3倍速で動ける、というのが物語の設定です。

 ちなみに宇宙空間では倍速という概念はなく、理論上では量産型ザク、シャア専用ザクも同じ速度で動くようですが、当時の小学生には素晴らしく格好良い言葉のようです。

 (僕は1976年生まれですので、アニメは再放送で視聴しましたが、プラモデルは作りましたよ。下手くそな出来栄えでしたが)

 シャア・アズナブル、本名である「キャスバル・ダイクン」はパイロットの腕が一流であるからこそ、専用機を与えられ周囲も本人も当然と思っていました。

 最後に登場する「ジオング」もそうですが、設定上は本当に腕利きのパイロットしか操縦できず、それがシャア・アズナブルという形なのでしょうね。

 サッカー・スパイクでシグネイチャーが与えられることは

 選手としてブランドの顔となり責任を負う
 実力者であることの証明
 駆け出しの選手に与えられることもあるが、基本は熟練者である

 というように、怯むことなく受け入れたらよいと思います。

 シグネイチャー・スパイクが全て売れ筋になることはありませんし、もし売り上げや知名度が期待に届かなければ、撤回するだけのことと選手と代理人は感じればよいのではないでしょうか。

 僕が選手ならば専用スパイクを開発しますと言われても

 「結構です!やめてくださいよ!」すぐに断ると思いますが、そのような卑屈さでは名手になれないのでしょう。
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勝負師の顔とは何でしょうか

2022-02-25 14:22:46 | 日記
 TBS系列で2010年に放送されたドラマ「SPEC」

 加瀬亮と戸田恵梨香のダブル主演、そして脚本と演出だけでなく戸田恵梨香が

 とにかく毎回「たらふく」餃子を食べる
 左腕を包帯で常に吊っており、携行するスーツケースには山のように携帯電話とノートパソコンが詰まっている

 という設定が話題でした。

 僕は今週月曜日にブルーレイボックスを中古で購入し、今日すべての回を見終えますが、下卑た言い方で恐縮ですがこのドラマの戸田恵梨香は素晴らしくかわいい女性だと思うんですよね。

 これは役柄ではなく、10代後半から20代前半女性に見られるであろう、あどけなさと大人になった表情の融合とでもいうのでしょうか、その表情の豊かさは脚本を準備するうえで凄く重要になったのではなかろうかと思えるのです。

 古いサッカー専門誌をお持ちの方は、2000年代中期から読み直してみると良いと思います。

 過去10年、欧州サッカーの頂点に君臨してきたレオ・メッシとロナウド。

 前者はおかっぱ頭で服装には無頓着
 後者は前髪を垂らして粋がっているような雰囲気

 というように、今のようなたくましく凛々しく、言い換えれば「勝負師」の表情はしていませんよね。

 それは当たり前なのですが、たとえばロナウドはホスト国として迎えた2004年の欧州選手権決勝でギリシャ代表に敗れ、その後大泣きしたこともあり、周囲からせせら笑われてしまいます。

 レオ・メッシも2006年ワールドカップにエントリーするも、指揮官のホセ・ぺケルマンは扱いに慎重であり、出場時間は本人と周囲が思うほど多くはなく、中心はあくまでロマン・リケルメでした。

 というように、勝負師の表情はこのような勝利の味ではなく、苦痛や失望と共に得たもののように思います。

 僕は父から「ああでもない、こうでもない」とよく指摘されますが、この言われ方が肥やしになっているのかどうか、定かではありません。
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拠点となる大切な場所

2022-02-25 11:26:41 | 日記
 拠点となる場所、誰にもありますよね。

 僕は勤務帰りに立ち寄る書店があり、そこでの在庫状況を定期的に確認しながら、他の書店も周ります。

 つまり、拠点となる書店に「無い本」を出先で買ったらよいと思いますし、その書店では取り寄せもお願いしています。

 実を言いますとその書店、僕が過去働いていた書店の系列店でして、店長さんは僕の元上司という間柄なんですよ。

 ですから他愛のない話もできますし、注文以来も受け付けてもらいますが、書店店員をやめたことはこの書店に入ることに抵抗、いささかの恥ずかしさもあり、気楽に入店できるまでは相当の年月が必要だったことも事実ですが。

 皆さんにもきっと

 拠点となる喫茶店やラーメン店
 拠点となる洋服屋

 があると思いますが、お互い大切にしたいものです。

 さて、日本代表選手たちにも「拠点」ができつつあります。

 それらはベルギーかもしれませんし、スコットランドかもしれませんし、ポルトガルかもしれません。

 中には鎌田大地のようにいきなりブンデスリーガの老舗であるフランクフルトに移籍という事例もありますが、基本は中島翔哉のようにポルティモンセという負荷のかからないクラブから、FCポルトのような強豪に移籍するというのが手順と思います。

 その中島がどうしてセルジオ・コンセイソンを筆頭に、クラブ首脳陣との折り合いがわるくなったのか、それは中島の見解とクラブん見解が合致するというわけではなく、双方の言い分が食い違うことが予想されまs。

 それでも彼が調子と取り戻し、サッカーをする喜びを再度得ていることは非常に頼もしいと思いますよ。

 拠点となる国と都市を間違えないこと。

 今後の日本代表選手たちはこの点が大変大切になると思います。

 例えばロストフに在籍する橋本拳人は今、ロシア情勢を現地でどう感じているのでしょうか。
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ウクライナ情勢がサッカーにも及んできました

2022-02-25 11:14:13 | 日記
 チェルシーのオーナーであるロマン・アブラモビッチ。

 しかしアブラモビッチが所有権をはく奪されるかもしれない、という報道があります。

 ロシアに限らず世界最大の天然ガス供給企業であるガスプロム。

 彼らを胸スポンサーにしちえるブンデスリーガ2部のシャルケ04は、この胸スポンサーをクラブロゴに変更する事を決定し、テクニカル・スポンサーであるアディダスも、迅速に対応している模様です。

 政教分離という言葉があるように、政治的概念に中に宗教的価値観を含まないことは原理原則ですが、政治とスポーツも同様というわけにはいかないことが、ロシアとウクライナ問題で明らかになった、ということは早合点のように思えます。

 先の北京五輪も習近平国家主席の存在が大きいと言えましたし

 1980年のモスクワ五輪は日本は参加を見送る
 1984年のロスアンゼルス五輪は、逆に東欧各国が見送る

 という形での決着でした。

 ということで、政治とスポーツはやはりある意味で密接にかかわっているように感じられます。

 それは侵攻という形ではなく、協会の内部でも同様です。

 FIFA前会長のヨゼフ・ブラッター、更に前任者のジョアン・アベランジェが自身の政権基盤を強固にするため、ワールドカップ出場国の増加を軸に支持者から金銭を得るなどの行為をしていたことも、ある意味では政治とスポーツという見解はできます。

 ワールドカップ2年周期という発案は回避されそうですが、それは4年周期が絶妙であることを意味しますし、仮に実現すれば欧州各国は欧州選手権との兼ね合い(同じ偶数年開催)で厳しい日程が待っていますよね。

 きな臭いこともある、つまりすべてが清廉潔白な世界でないことは当然ですが、やはりやりようは幾らでもある、というのが皆の共通した見解なのではないでしょうか。
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