塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

2006年ワールドカップとロットのサポートを思い返して

2022-06-29 21:21:17 | 日記
 ウクライナ代表が初めてワールドカップに参戦したのは、2006年ドイツ大会になります。

 この時、ロットがウクライナ代表の公式ジャージを手掛けたのですが、これは大エース、アンドリュー・シェフチェンコとの長年にわたる信頼関係が影響したのでしょうか。

 シェバはディナモ・キーフ(当時の呼び方ではディナモ・キエフ)時代はアディダスを履き、1998-99シーズンACミランに移籍するとロットと契約を交わします。

 2006年ワールドカップの際は既にロットとの契約を終了し、ミズノとの短期契約を挟み@「リーボック」に鞍替えするわけですが、負の遺産とまで囁かれたチェルシー時代も、ロットの支えが必要だったのかもしれません。

 ちなみにこの2006年ワールドカップでは、セルビア代表が「セルビア・モンテネグロ」代表の国名でワールドカップを戦った、最初で最後のワールドカップとしても認知されています。

 このセルビア・モンテネグロ代表もロットがサポートしましたが、それはかつての英雄デヤン・サビチェビッチが契約選手だった名残かもしれません。

 サビチェビッチが代表の時は当然モンテネグロ代表でもなく、セルビア代表でもなく

 「ユーゴスラビア代表」

 であり、1996年にはキリンカップで来日も果たしています。

 個人とブランドの濃厚な関係性が、代表スポンサーとの締結に発展することはないでしょう。

 それは僕も重々承知しています。

 ただ2000年代中期から、ディアドラ、ロット、アンブロなど伝統ブランドがナイキ、アディダス、そしてプーマの前に契約で苦戦するようになり、リーボックもその影響力がどんどん低下し、フィラは既にサッカーの面影はありませんでした。

 つまり、かつての愛用者がある国ならば話が通りやすい、ロットがそう考えたのでなかろうか、という僕の推論です。
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人間らしさとは何を指すのでしょうか

2022-06-29 20:52:39 | 日記
 今日は勤務で2時間半、残業をしてから帰宅しました。

 僕のように残業を必死にこなし、僕よりも先に帰る方には

 「本当にお疲れさまでした。おかげで助かりました」
 「ご厄介をかけましたね」

 と労いの声を可能な限りかけるようにしています。

 しかし、僕の部署の責任者は「あざっす」とか「残業してや」というのみで、感謝にしても依頼にしても人間的な温かみが感じられません。

 あざっすではなくて「ありがとうございます」でしょう。
 残業してやではなく「これだけの時間、残業していただくことは可能でしょうか」でしょう。

 森保一日本代表監督には、選手選考から練習内容、試合終了後の会見に至るまでファンとマスメディアの厳しい視線が投げかけられますが、人間という人柄は改めて重要だと思いますし、森保監督は勝負師ではないと批判する人、まずあなたもそうですよと言いたいですね。

 繰り返しますが、僕はハンス・オフト政権からおよそ30年、日本代表の戦いを見つめていますが、ヴァイド・ハリルホジッチのように、指揮官の描く戦術と選手に求める根源的な資質と、選出される選手の特性は必ずしも合致していないと思った時もあります。

 しかし選手選考と代表に与える戦術は代表監督の特権であり、ライセンスを持たない僕はその点を一切否定的な見解では見ていません。

 むしろ監督はどうしてこの選手を起用し、この戦いを求めるのかという「考察」の方を主点に行うべきだと考えています。

 よく一般企業でマイナスの報告が取締役まで伝わるまでに時間がかかるとの指摘がありますが、それは当たり前ですよ。

 だって責任者はただ怒るだけ、怒鳴るだけでしょう
 ともに解決策を考え、状況を好転させようとは思わないのでしょう

 怒られる、見捨てられるとわかっていてマイナスの事柄を積極的に伝える人間はいないと思いますよ。

 鬼平犯科帳の中で鬼ノ平蔵様は

 「他愛のないことでもよい、気になることはどんな事でも伝えてくれよ」

 と同心に伝え、けっして無下にしません。

 代表監督だろうが企業の責任者だろうが、人間らしさはビジネスや選手交代よりも軽んじられてはいけないと思うのですがね。
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神戸、ロティーナ氏にアディオスを伝える

2022-06-29 20:31:36 | 日記
 ヴィッセル神戸がミゲル・アンヘル・ロティーナ氏と、契約解除を行いました。

 後任人事は過去、神戸の指揮官経験を持つ吉田孝行氏を迎える形になりましたが、永井秀樹スポーツ・ディレクターは、補強の手を緩めないとの発言をしたようですね。

 逆に言いますと、浦和レッドダイヤモンズから獲得した槙野智章を軸に、開幕前の補強が適切ではなかったということでしょうか。

 ロシア情勢の変化に伴い、橋本拳人をロストフから獲得し(正式契約を結んだようですね)、中盤のフィルターを厚くしましたが、その補強もクラブ浮上の要因にはなっていませんが、クラブ首脳陣は何を思うのでしょうか。

 日本代表が6月に4試合行う機会に恵まれた中、さすがに最下位のヴィッセル神戸からの代表招集はありませんでした。

 TBSでは槙野智章がゲスト解説者として招かれましたが、神戸ファンからすればテレビに出るよりもやることあるだろう、と感じたのでしょうか。

 サンフレッチェ広島からよりインテンシティを求めるため、スイスに活躍の場を求めた川辺駿のように、移籍が代表招集漏れにつながる可能性があることを考慮して移籍した例はあります。

 橋本の場合はクラブ事情が大きかったわけですが、神戸に加入し順位を押し上げることで

 ほぼ固定されつつある日本代表の中盤に再度名乗りを挙げる
 国内に復帰することは、森保一代表監督が視察しやすい

 という側面があった事もあると思いますが、残念ながらその思惑(橋本がそう考えていればの話ですが)は源治知的ではありません。

 ちなみにセリエAではインテル・ミラノが1998-99シーズン、サンシーロのベンチに4名の監督が座るという低迷を経験しています。

 その中にはクラブの英雄であるルイス・スアレスも含まれたのですが、仮に神戸が吉田体制さえも覆すことになれば、もう監督候補すらいなくなるリスクはあると思いますね。
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おかげ様で累計訪問者数が100万人をクリアしました

2022-06-29 20:16:53 | 日記
 2009年9月28日に初回を迎えたこのブログ、12年と半年が経過した昨日、累計訪問者数が100万人を超えました。

 読者の皆様に改めまして御礼申し上げます。
 
 誠にありがとうございます。

 サッカーだけに的を絞って綴っているこのブログですが、他の方が手掛けるブログを読むと、写真付きで鮮やかで僕の形とは雲泥の差です。

 このブログを始める際、念頭においたことは

 1・文章だけで作成すること(デジタルカメラを当時購入したばかりでしたが、写真の掲載方法がわからない)
 2・写真の掲載を含む、有料コンテンツは用いない(使用しても支払方法がわからない)
 3・そのため、文章は誰もがわかる内容で記す

 という事でした。

 有料サービスを多用すれば(支払方法が理解できたならば)、もっと多くの読者の方に関心を抱いていただけたかもしれませんし、感想が寄せられたかもしれませんが、少なくとも現状がこの形を踏襲します。

 2009年の段階ではサッカー選手が「ツイッター」「インスタグラム」で自分のファッションや、同僚との食事会の模様をファンに公開することはなかったと思います。

 このブログという形もいつまで続くのか定かではありませんが、新しい発表の場はコンピュータの進化と共にどんどん変貌し、ファンは選手に直接声掛けをする機会がさらに増加してゆくのでしょう。

 逆に2009年でも問題視されていた

 契約解除金のインフレ傾向
 選手の過密日程と休養時間の少なさ
 代表招集とクラブの折り合い

 に関しては13年が経過する現在でも、まだまだ解決策が見えていません。

 それでも僕はサッカーを通じて、社会とは何か、人間とは何かを模索していく予定です。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 

 。
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僕たちは簡単に伝道師と呼びますが

2022-06-28 21:49:40 | 日記
 NHLにおいて最高の選手と引退した今でも経緯を集める存在がウエイン・グレツキーです。

 ブラジルサッカーならばジーコのような存在でしょうか。

 グレツキーはカナダ出身であり、エドモントン・オイラーズというNHLのチームに在籍していましたが、ロスアンゼルスにフランチャイズ(ホームではないのですね)を持つLAキングスに移籍を果たし、以後母国カナダのチームとは契約しませんでした。

 (キングス退団の後はセントルイス・ブルーズとニューヨーク・レンジャーズに在籍)

 これはやはりカナダと米国の2か国間で構成する「NHL」の構造があったと思います。

 つまり競技施設とファンの熱狂度は米国南部とカナダでは比較になりません。

 つまりグレツキーという万人が認めるスーパースターが母国カナダを飛び出す、人気がさほどではないLAキングスに移籍するとあれば、当然LAドジャースとLAレイカーズのファンも度肝を抜かれると感じたに違いありません。

 僕らはこのような人物を簡単に「伝道師」と呼びますが、グレツキーからすれば重圧は相当だったと思います。

 Jリーグではやはりジーコがその役目を担ったわけですが、日本人は目上の意見を尊重し、まずは受け入れることから始めますから、この点だけはジーコにとって幸運だつたようにも思えます。

 今FCバイエルン・ミュンヘンに在籍するアルフォンソ・デイビスがカナダ出身選手で一番有名な存在ではないでしょうか。。

 MLSもトロントFCをはじめ、カナダのクラブが参戦していますが、それでもデイビスがグレツキーに遭遇したら、クラブでスター選手に触れている彼でも、直立不動で接するように感じますね。


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