小沢一郎氏が民主党の代表選挙に出馬するというニュースが報じられています。
小生は、政治に関してはいろんな考え方がありますので、このブログでの論評を避けてきました。
今度の民主党の代表選挙も「なにも言わない!」と決めていました。
ところが、本棚に置いてあった2009年5月号の文芸春秋を見て気になる記事がありました。
どうして、そんな古い本を見る気になったのか?といいますと、それは、小生が最近、文芸春秋のクイズに凝っているからで、その記事もクイズが見たかったから、たまたま読んだということになります。
その政治に関する記事は「子供の政治が国を滅ぼす・・・検察の暴走が招いた歴史の悲劇を繰り返すな」という京都大学教授の中西輝政先生の記事です。
去年の5月号でしたから小沢一郎民主党代表の秘書が逮捕、起訴された事件があり、先生の記事は、この是非ではなく、あり様を問題にしています。
そして、昭和の初期に発生した政治スキャンダルを例にとって、最後には「民政党と政友会の双方で政治スキャンダルが暴かれ、議会やメディアで非難合戦を行なうにつれて、国民の間では「所詮、どの政党も同じだ」「政治家はすべて汚い」「結局、どっちもどっちだ」という言葉が交わされるようになった。」としています。
そして、その危険性を次のように述べています。
「この「どっちもどっち」という言葉ほど、政党政治にとって恐ろしい言葉はない。なぜなら、議会政治の・・・政党の信頼がとめどなく低下し続ける構図になれば、必ず埒外の勢力が政治に介入してくることになる。
とくにそれは、経済や対外情勢が激動期を迎える時代になると、殆ど必然とさえいってよい。昭和初期において、この空白を最大限に利用したのが陸軍を中心とす軍部であったことは言うまでもない。
翻って、今の日本の状況はどうだろうか。今回の西松建設の政治献金問題でも、・・・自民党側にも献金を受けた議員が出てきて、・・・多くの国民が「どっちもどっちだ」と口にし始め、総選挙の関心が一挙に萎えてしまった。
それが、単なる政治家に対する庶民的な諦念、もしくは冷めた認識にとどまるならばいい。しかし、今の日本の政治状況は、戦前の日本にどこか似たあやうさが感じられる。そのとき、「どっちもどっちだ」という言葉は、議会政治そのものを死に追いやる危険性があることを、私たち国民は認識してしておく必要がある。」
と談じています。マスコミに踊らされて「どっちもどっちだ」と諦めてはいけない、というのはわかるのですが、「子供の政治が国を滅ぼす」という先生の本論がわからないと思います。
もちろん、先生の主張には、この続きがあるのです。
その内容は「戦前の日本が道を誤り、敗戦まで突き進んでしまった、その蹉跌の最大の要因はどこにあったのか、そして今回も、最も重要な「歴史の教訓」とすべきものはなにか。」という文章で始まります。
昭和9年におきた帝人事件に関する司法の暴走を書いているのですが、なぜ暴走が起こったのか、そしてそれが結果として軍部の台頭を容認して、政党政治を壊滅させてしまったといっています。
帝人事件は、「国営銀行である台湾銀行に保有されていた帝国人造絹糸の株を、財界人のグループである「番町会」が値上がり前に買い受けたいという運動をはじめ、政治家や大蔵官僚に賄賂を贈った、というものだった」そうです。
この事件は政党政治を否定していた平沼騏一郎が事件の陰で暗躍したもので、検察によるデッチ上げだったのですが、重要なのは、この事件が起きた昭和9年という年は、内政的にも、外交、経済の面でも、日本が着実な「建て直し」を進めていた時期であったということ、だそうです。
きっと、政党政治による建て直しが進むと、彼らの活躍の舞台であるファシズム政治が出来なくなってしまう、ということでしょうか?
しかし、問題は、なぜこういうことが出来たのかということのようです。
「戦前の検察が平沼らトップの陰謀に単純に操られて、財界、政界の腐敗摘発に突き進んでいったのではない、ということだ。そこには”清潔”を求める国民の声があり、それに応じようとする第一線の検察官たちの真摯この上ない使命感があったのである。」と述べています。
そして、「ここから現代の我々が学ぶべき教訓は、二つある。」といってます。
「ひとつは、検察いう権力が、いかに第一線の検察官が純然たる法と正義の立場に徹したとしても、結果としては政治と独立した存在ではあり得ない、ということだ。そして、もうひとつは、政治に清潔を求める国民の要求こそが、結果として「検察ファッショ」を後押しし、軍部の台頭を容認して、政党政治を壊滅してしまったことである。」
ということだそうですが、小生などは、この学ぶべき教訓をどう生かすべきなのかわからないというのが正直な感想です。
さて、本論の「子供の政治が国を滅ぼす」ですが、先生の論旨は「英米流「腐敗」との付き合い方」「小泉「劇場政治」の大罪」と続きまして、最後に「いま日本にとっての急務は「大人の民主主義国家」として備えているべき精神的な「安全装置」をいかに回復させるか、という点に尽きる、と述べています。
そして、それがないと昭和初期の悲劇が形を変えてこの国を襲うことになる、と警告を発しています。
この二つの内容が本論の「子供の政治が国を滅ぼす」の内容になっていると思うのですが、時間がなくなってきましたので、次の機会にレポートしたいと思います。
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