mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

旅は心清らかに?

2007年12月08日 | 旅行記

 今日は、「久しぶりにゆっくりできる土曜日」になると思っていましたら、そうはいきませんでした。

 今朝は、5時過ぎの目覚めで、自分ではいつもと変わらない気持ちでいると思っていましたが、金曜日に仕事が一段落して、気持ちが軽くなったためでしょうか?ブログを書く気力が沸いてきません。

 そして、お昼までコタツで寝ころんでいましたら、あっという間に夕方になってしまった、なんというもったいない時間のすごし方をしたのか?とチョッピリ反省しています。

 午後は何をしていたのか?もちろん、お昼ご飯を食べて、お買い物です。

 小生は、大型のショッピングセンターの前で家内と別れて、電気店を覗いてきました。

 ターゲットは、デジカメですが、広角で画素数が1,000万以上、お値段が安いなどですが、迷いますね。

 今、持っているカメラは、28ミリの5百万画素ですが、当分、これで我慢することにしました。

 そのうち、広角で1,200万画素のもの、つまり、パナソニックのルミックス、また、キャノンのイクシー800万画素などの値段も大幅に下がるはずです。

 ホームページを動画系に変えるには、デジカメよりビデオを買い換えた方がいいのではないか?とも思うのですが、まぁ、お金もないし、しばらく我慢することにしましょう。

 さて、これから何を記事にしていこうか?

 今までにこのブログで紹介した国々は、ホームページでは写真はありますが、歴史や文化に関する記事を書いていませんでした。

 わが家には、最後の満州国王、溥儀の子?が書いた「心清事達」という書があります。

 これは、02年に義兄夫婦と「北京、西安」を訪問した時に、本人に直接、書いていただいて購入したもので、床の間に飾ってあります。

 その意味は、まさに読んで字のごとしだと思いますが、小生のこのブログやホームページに対する心がけとしても、この精神で行きたいと思っています。

 などと行ってましたら、ハワイのことで一つ大事なことを記事にしなかったことを思い出しました。

 ♪♪♪あの木、何の木、気になる木・・・見たこともない木ですから、見たこともない花が咲くでしょう。♪♪♪

 この歌、知ってますよね?

 そう、日立のコマーシャルソングです。

 この歌のメーンテーマになっている「木」がハワイにあるのです。

 そこへ行って来て、「木」の大きさを楽しんできました。生憎、雨が降っていましたが、感激でした。

 テーマソングで有名な木といえば、北海道、美瑛町に「ケンとメリー」のスカイラインにちなんだ細長い木があります。

 小生は、美瑛町にも行っていますので、両方の木を見ていますが、やはり、印象に残っているのは、ハワイの大木でした。


まとまらない旅日誌

2007年12月07日 | 旅行記

 皆さん、おはようございます。といいましても、まだ午前3時ですからまだ夜中ですね。

 前回は、韓国の総集編みたいな記事を書いてみました。

 書いていながら、ソウル、プサンでの買い物のことや、韓流スターの顔、そして、食事のことなどが頭の片隅に「ふっと」と浮かんできます。

 そうです。体験したことで書いていないことが、まだ沢山あります。

 また、韓国の旅で、他に行きたいところとして、チェジェ島などのことが頭に浮かんできます。

 でも、これで、韓国の旅の話は、打ち止めにしたいと思います。

 さて、皆さんは今年の年末年始は、どのようにすごされるのでしょうか?

 小生は、久々?の海外旅行に行きたいと思っています。

 もちろん、予約を終了して、準備をしています。

 行き先ですか?、こちらも久々の中国旅行です。

 中国と言えば、中国から輸入しているものが多くて、アメリカばかりでなく、日本でも生活に密接に関係した食料品などが大量に出回っております。

 しかし、最近、中国産というラベルの表示を見るだけで、消費者が敬遠する傾向が強くなっているようです。

 このことは、前の記事でも紹介したことがありますが、旅先としては、中国の歴史、自然、文化などなど多くの魅力いっぱいの国ですので、これからも、是非、訪れたいと思っています。

 中国の何処へいくのか?

 広州から奇岩が並ぶ石林・・・

 まぁ、帰ってきましたら、ホームページに体験記として整理したいと思いますので、来年のことになりそうですが、楽しみ待っていて下さい。

 そうそう、行く前に現地の勉強をしないと・・・

 どうも、またまた反省することになりそうですので、紀行文も自信がありません。

 などと書いていましたら、仕事のことが頭をよぎって来ました。

 昨日は、難しい人に会ってきまして、何とか所期の目的を果たしてきましたが、世の中には世間の常識や経済合理性を越えた対応をしなければならないこともあるものです。

 でも、自分が情けなくなることもあり、また、相手のことを考えると、その人の人生は、案外、寂しいものではないのか?などと考えてしまいました。

 話の内容が見えない?そうですね、小生の独り言です。

 何だか、今日は(今日も、かな?)文章がまとまりませんので、この辺でペンを置きたいと思います。

 今日も仕事の方が忙しいことになりそうです。頑張るぞ!!!

 

  


韓国;昌徳宮

2007年12月02日 | 旅行記

 R0010326        昨日は、昌徳宮の話を先にしようとして、タイトルをそのようにしたのですが、内容がが水原の華城になってしまいました。

 さて、昌徳宮の続きですが、秀吉さんが王宮を全部、焼いてしまった話をしました。

 また、国家財政が苦しく、昌徳宮のみ1614年に再建され、その後、ここが正宮の役割を果たしたということもお話しました。

 次に、この宮殿の中身の話ということになりますが、昨日の写真に写っている門は、敦化門といって1607年に再建された門で、木造の二層式門としては、最古の門であるとされています。

 ここを入って、右に曲がっていきますと、小川にかかった橋があり、そこをまっすぐに進んで、なんという門なのか分かりませんが、入ると塀に囲まれた敷地があります。

 ここは、四方を塀や門に囲まれており、進行方向の左側に本殿に入る門があります。

 この門を潜ると本殿ともいうべき王様の屋敷?(王宮といった方がよい?)である正殿が見えてきます。

 でも、この仁政殿と言われる建物は、住まいではなく、公務を行う場所だったようです。

 ところで、建物の配置ですが、本殿の周辺には、王の寝殿があり、ここは、塀を兼ねた廊下のようなもので繋がっていて、外に出ずに行き来ができたようです。(小生の勝手な推測です。)

 寝殿は二つあるそうですが、分かりやすくいえば、ここが王様の住居なのでしょうね。

 この付近には、この他に離宮のようになっている楽善斎という建物もあり、朝鮮王朝の栄華を偲ばせる建物となっています。

 見学のコースとしては、この大きな建物群を見た後に、右側の通路を通り、緑がうっそうと茂る北側の公園のような敷地を散策するというものです。

 R0010333        この広大な公園ようなところには、池や川が配置され、また、東屋などもあり、憩いの場として利用されていたのでしょうね。

 ところで、1910年の日韓併合条約の調印で、朝鮮王朝は事実上の幕を閉じることになったそうです。

 ここ(昌徳宮)は、その決定をした御前会議の政治舞台となり、また、1920年に朝鮮王朝最後の皇太子と結婚した梨本宮家の長女、方子様も、日本から帰ってからは夫婦で、そして、夫が亡くなった後も福祉活動などに尽力されながら生涯、本殿の隣にある楽善斎に住んでいたそうです。

 さて、以上が三回目のソウル訪問時の観光地の模様ですが、三回目は、チャングムの撮影所の印象が強く残っていて、こうした歴史や文化という貴重な遺産を見たという意識が低かったように思います。

 まぁ、堅い話はこれくらいにしまして、韓国の旅のおしろい話をしましょう。

 前に約束していたと思いますが、それは、「垢すり」であります。

 最初に韓国を訪問したときは、女が3人、男が2人で、女性軍のみがこの行事?に参加しました。

 オプショナルツアーで、参加費は、一人一万円くらいだったと記憶していますが、小生と義兄は、その間、ホテルから歩いていける南大門の市場に行って暇を潰していました。

 そして、ホテルに戻ってみますと、まだ、女性軍は帰っておりません。

 何かあったのかと心配になりましたが、イヤー、女性はパワフルというか元気ですね。

 意気揚々と帰ってきまして、お風呂の様子などの話を聞いたのですが、どうもよく分かりません。

 でも、肌がつやつやで、日本にもあるけど・・・などなどその評価は悪くはありませんでした。

 話の内容ですか?むしろを被ったとか、こすってもこすっても垢が出たとか、行った結果、母の肌が光って輝いているとか・・・

 これが最初の体験ですが、2回目は、mugifumi夫婦と義兄夫婦、それと知人夫婦の6人で訪問したときであります。

 この時には、ツアーに組み込まれており、男性群も参加することになっていました。

 その時の様子は次のようです。

 まず、店の中で一通りの説明と、有料サービス(足裏の脂をとろなど。)への強い勧誘があり、その後、廊下を歩いて更衣室に行く、用意された大柄なパンツに履き替えます。

 そして、指示に従い二階に行くと、そのパンツを脱いでぶら下げる場所を指定してきます。

 何故、パンツの上げ下げと場所まで指定するのか分かりませんが、有無をいわせない雰囲気が漂っていました。

 その後、風呂に入ることになりますが、日本の湯治場にあるような小さな湯船がいくつかあり、また、サウナもありましたが、そこで垢すりの順番を待つことになります。

 垢すり人のところでは、丸裸の身体を隅々まで擦って貰うことになりますが、人がされている姿を見ていますと、顔が赤らむのを禁じ得ませんでした。

 ここを利用するのは、日本人が多いようで、風呂から出ますと、冷たいビールが待っていました。

 と言いたいところですが、飲みたい場合は注文が必要です。それもけっこうなお値段です。日本製缶ビールの小さいものが5百円でした。

 生憎、小生はお金を持たずにここに来てしまいました。義兄にお世話になったり、また、家のかみさんからお金の催促があったりと、この垢すりでは色々ありました。


韓国:水原の華城

2007年12月01日 | 旅行記

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水原の華城(華虹門)

 

 前回は、プサンの海印寺などの話でしたが、今日は、3回目のソウル訪問の時に訪ねた昌徳宮、水原城についてお話ししましょう。

 ソウル訪問の時は、ツアーと言っても、二人だけで、また、ほとんどが自由行動という設定になっていました。

 従って、観光地へ行きたい場合には、自分で調べていくか、オプショナルツアーに参加するということになります。

 三回目は、たまたまかも知れませんが、タイトルの昌徳宮や水原城を見学するコースが設定されていました。

 値段が少々高め?きっとそうなのでしょうね。

 さて、それは、それとして、旅の中身が大事ですね。

 まず、水原の華城ですが、ここは、名前だけは聞いたことがあり、機会があれば行ってみたいと思っていました。

 ここは、冒頭の写真のような中世の韓国、というより、朝鮮王朝時代の建物が残されているようです。

 水原は、ソウルから南に約30キロのところにあり、城の完成が1796年となっていますから、今から210年くらい前の建築物ということになります。

 しかし、現存の建物や、城壁は、その頃のものばかりとは限らないようであります。

 1975から79年にかけて復元されたようですから、ほとんどのものが最近できたもの?かもしれません。

 このお城は、王朝第22代の王様が、策謀の中で非業の死を遂げた自分の父をまつるために、その墓をソウルから水原の華山に移したことがきっかけとなって建設されたお城であります。

 訪問しますと、お城の周りを万里の長城のような城壁がグルリと囲んでいます。

 その高さ、7㍍、距離5,7キロとなっています。もちろん、中国の万里の長城とは比較にならない規模のものですが、歴史を勉強しながら見学するという意味でも、貴重な世界遺産だと思います。

 などと言っている小生ですが、どの建物が華城なのか分かりません。お城は、たぶん、存在しないのでは?

 でも、世界遺産のこのお城を「じっくり」見学するのも良いし、また、城壁を歩きながら遠景の水原市街を見るなど「一見の価値あり」だと思います。

 あぁ、そうそう、肝心な歴史のお勉強で忘れてはならないことがあります。

 それは、その当時の都は、漢城といわれたソウルで、水原への遷都は、重臣達の反対にあって実現できなかったことです。

 いつの時代でも、どのような組織であれ、トップに立つ人々には、色々と気苦労があるものですね。

 でも、防衛省の事務方のトップのような「ワンマン経営」は困りますね。

 さて、次に昌徳宮ですが、ここは、1405年の完成で、その後の文禄の役での焼失後、1614年に再建されたとなっています。

 ここは、朝鮮王朝の離宮として建てられたもので、漢城(ソウル)には、ここの他に本宮の「景福宮」と「昌慶宮」というお城があったようです。 

 しかし、秀吉さんが三つとも焼いてしまったため、昌徳宮が1614年に再建され、以来、19世紀に景福宮が再建されるまで、ここが王様がお住まいの城になった、ということであります。

 どんな建物があるかなどは、次回にお話ししたいと思います。      

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昌徳宮の正面門