mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

旧ユーゴスラビア4か国の旅<オーストリアのグラーツに向かう>

2017年12月19日 | 旅行記
 ◆ 自宅~成田空港

 朝、目覚ましに起こされてもいないのに4時40分に目が覚めてしまう。いつものことだが、海外旅行というだけで興奮してしまうのだろうか?
 最寄り駅6時16分発の特急で出発!あまりにも早いので朝食は空港でいただくことにする。
 日暮里発7時17分のスカイライナー7号に乗車、成田空港(第1ターミナル)には予定通り8時37分に到着する。

 集合時刻が8時55分なので余裕はないが、急いで指定された4Fの南ウイングに向かい、まず、スーツケースを送っておいたQLライナーを訪れる。
 この会社の場所は、阪急交通社の受付カウンターから近いので便利であるが、ちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまう。
 スーツケースを大きなビニール袋に包んで保護していたが、これをはがすときに切れ端がスーツケースの車輪に絡んで動かない状態になってしまった。
 これを直してくれれば良いが、自分で切れ端を取ったりしたため手が真っ黒に汚れてしまった。
 QLライナーは、阪急交通社の紹介なのだから、もっと丁寧に扱ってほしかった。

 その後、阪急交通社のKカウンター18~20番に向かい、名前やパスポートを提示して搭乗券を受領することになっている。
 が、私たちの前には中年夫婦がいて、添乗員と思しき若い女性にしつこいくらいに話をしている。
 この女性が人気添乗員として阪急交通社のパンフレットに顔写真まで掲載されていたAさんである。(小生は、人気のAさんが添乗するというので、この出発日を選んだのである。)
 さて、私たちの番になったので、電話で希望していた「通路側の席」の話をしたら、チョッピリ迷惑そうな顔をしていたが、希望通りの席を確保できていたので、一安心である。

 <教訓 ヨーロッパ旅行など飛行時間が長いエコノミークラス席では、必ず通路側の席を確保しておきたい!>

 Aさんとの対面が終わると、「オーストリア航空の受付があるHカウンターに行ってスーツケースを預けてください。」という指示に従い2番から4番窓口に向かった。
 ここでの手続きはスムーズに進んだが、気をつけることは、スーツケースの重量である。この時のエコノミークラスの制限重量は20kgだったと思うが、受付の女性が日本人だったこともあり、あまり意識せずに手続きが終了した。
 この時に提出するものは、パスポート、搭乗券、ANAのマイレージカードである。

 私たちの乗る飛行機は、成田発10時55分だから10時25分までに36番搭乗口に集合すればよいな!と思っていたら、9時30分に阪急交通社の受付付近に集合してほしいという話である。
 そこで、出国審査や集合場所、時間などを聞いて解散したので、まず、朝食を食べたい!と考えたが、食事は、出国審査を済まして「気持ちを落ち着けてから」いただくことにして、まず、ユーロに両替をすることにした。どのくらいの金額が必要なのか不安もあるが、食事時の飲食代金、まくら銭といわれるチップ、お土産代金であるからそれほど必要ないはずであるが、Aさんに聞いて金額を決めることにした。

 その後、出国審査の最初の手続きであるボディチェックを受ける。(上着を脱いで、時計やバンドなどの金属製品を身体から外して、手荷物とともに籠に入れる。)
 ここを通過すると、パスポートと搭乗券を提示する出国審査が待っている。(でも、簡単に終了です。)

 さあ、次はお待ちかねの朝食である。
 1,000円だから少々お高いが、この店のビーフカレーは美味しかったな!「次回もここでいただきたい!」と思ったものである。

 ◆ ウィーンの空港からグラーツへ

 こうして、私たちは、10時55分に予定通り成田空港を出発したのであるが、これから狭い狭いエコノミークラスの席で長い長いフライトの時間(11時間30分)が待っている。
 私たちの席は、33番の3つ並び席で通路側に1席を確保できたので、次の関心事は機内食であるが、かみさんの横にも日本人が座っていました。この人も同じツアーの方かな?と思ったのですが、どうやらそうではないようです。
 ユーラシア旅行社のオーストリア周遊旅行に参加する方だったのです。
 この時には、自分がこの後ユーラシア旅行社のツアーに参加するとは思いもしませんでしたが、長い日程という話に魅力を感じたのかも知れません。

 肝心な機内食の話?エコノミークラスですから2種類のものが用意されていたはずですが、まったく記憶がないのです。ところが、通を挟んで斜め前に座っていた女性が、お盆ごと食事を落としてしまったことは覚えているのですから不思議なものです。(食事の前に出てくる飲み物はビールです)
 これが昼食だとすれば、夕食はウィーン到着1時間30分前ぐらいにチーズとサラダなどの軽食をいただきました。

 こうして、飛行機は無事、ウィーンのシュヴヒヤード空港に15時30分(日本時間22時30分)ころ到着しました。
 日本人は信用されているのでしょうね、空港でパスポートを提示して簡単に入国できました。スーツケースを受け取ってバスで出発したのが16時15分くらいでしたから順調です。

 <ウィーンの空港にて>


 <トイレ休憩にて>


 <ここからは、夫婦の会話という形で記事を書いていきます。>

Mugiko
 上のトイレ休憩したところには、17時30分頃に到着したから空港を出発してから1時間30分経ったということね。
 あなたは、ここで買った2本のビールを抱えて嬉しそうに笑っていたわね。その表情が面白すぎて写真を公開するのを躊躇しちゃったわ。つまみはどうしようか?
<Mugio>
 ホテルで軽い夕食が用意されているそうだよ。
<Mugiko>
 ところで、旧ユーゴもヨーロッパ独特の丘陵地帯が延々と続くかな?と思っていたけれど、休憩所までに見えた景色は、「青い空と緑の平坦地」という印象だわ。
<Mugio>
 ホテル到着が19時ころだったから、トイレ休憩したところから1時間30分くらいかかったことになるね。ということは、家を出てから1日以上が過ぎているのだから、本当に疲れるね!
 ところで、ウィーンから3時間弱走って宿泊地のグラーツというところに到着したけれど、グラーツは、旧ユーゴスラビアではなくオーストリアみたいだよ。
 どうして、スロベニアのブレッド湖周辺のホテルをセットしなかったのかね?
<Mugiko>
 明日は午前中ブレッド湖の見学を予定しているけれど、グラーツからブレッド湖まで220㎞もあるということだから、私たちの体調を考えてのことじゃないの?
<Mugio>
 グラーツは、世界遺産の街だということだから宿泊するだけではもったいない!とも思うけれど、日程が限られているので仕方がないのかな?

 <コートヤードバイマリオットホテル>


 <私たちが宿泊した208号室>


<Mgiko>
 19時を過ぎているのに明るいわね。このホテルのロビーはE階(1階)、部屋にはバスタブ、ドライヤー、金庫、冷蔵庫(空っぽ)が揃っていて、ベッドがセミダブルでその分、部屋が狭いけれど、カード式のルームキーで近代的で悪くわないわね。
<Mugio> 
 明日はモーニングコールが6時ジャスト、スーツケース回収が6時30分、朝食がE階で6時30分からだから忙しいネ。

 <軽食とビール>


<Mugiko>
 そんなことを言いながらビールをいただくつもりでしょう! 
 飲み終わったら、お風呂にでも入ったら?
<Mugio>
 あまり入りたい気分じゃないが…君も後で入るだろう?
 バスタブが狭く、寝そべって起き上がろうとしたら、足がつるりと滑って危なかったな!
<Mugiko>
 中欧ロマン紀行というツアーのウィーンでも同じことがあったわね。
<Mugio>
 さて、明日の予定に目が覚めないとまずいから、目覚ましを6時にセットしておくよ。
 
 <ところが、24時にけたたましい音!がして二人は飛び起きる。朝か?と思ったら外は真っ暗!時計が故障していて音が鳴ってしまった。引き続きベッドに入るが、「うとうと」という感じで熟睡できない。>


 <この続きは、旅行2日目ユリアンアルプスの瞳ブレッド湖観光です。ではこれにて失礼します。>

クロアチア・スロベニア・モンテネグロ・ボスニアヘルツェゴビナ12日間の旅<mugifumiのあいさつ>

2017年12月18日 | 旅行記
 今日から「クロアチア・スロベニア・モンテネグロ・ボスニアヘルツェゴビナ12日間の旅」の記事をお伝えします。
 この旅は、2010年5月23日(日)から6月3日(木)の12日間に渡って旧ユーゴスラビアのうち4か国を訪問したものです。
 お世話になった旅行社は、阪急交通社です。

<プリトヴィッツエ湖畔国立公園>


 ◆ あいさつ

 皆様、こんにちは!mugifumiです。
 クロアチアなど旧ユーゴスラビアの国々は、私たちにとって縁のない遠い国であるばかりではなく、バルカン半島が「ヨーロッパンの火薬庫」などといわれていましたので、怖くて観光などに行くところではないと思っていました。

 では、なぜ訪問することになったのかといいますと、2008年の12月から2009年の1月にかけて旅行した「とっておき南イタリア・シチリア島8日間の旅(阪急交通社)」で添乗員のS子さんから「クロアチアがいいですよ。」と聞き、また、この旅に参加されていた旅慣れた男性からドブロブニクなどが素晴らしいところだ、という話を伺いましたので、怖い!という先入観が誤解だと気がついたからです。

 今年の春の旅行は、JTBグランドルアーにお世話になって「トルコ12日間の旅」に参加したいと思っていたのですが、前年より安くなると思っていたツアー代金が、逆に値上がりしていましたので、腰が引けてしまったのです。

 トルコが旧ユーゴの旅に振り替わったことになりますが、「これが良かった!」と言えるほど素晴らしい旅だったと思います。
 ユリアンアルプスの瞳であるブレッド湖、ヨーロッパ一の鍾乳洞ボストイナ、湖と滝が織りなす水のショーが見られるプリトヴィッツエ湖畔国立公園など自然の美しさは想像以上でした。
 また、海や山などの自然と調和した街並みは、不幸な戦争という歴史を乗り越えた人々の努力により蘇ったと聞きましたが、歴史と伝統文化が感じられる本当に美しいものでした。

 「百聞は一見に如かず」です。皆さんも是非、旧ユーゴの国々を訪ねてみてはいかがでしょうか!

 ◆ ツアー参加者
   この地を訪れる阪急交通社のツアーは、3種類あったのですが、旅行期間が最も長い12日間のツアーに参加しました。
   ・ 参加人員 男性10名、女性14名、計24名(添乗員のS子さんを含めて25名)
   ・ 現地でお世話になったガイドさん

 ◆ ハプニング
   最後に変な言葉が出てきた?実はこのツアーの出発日は、本当は5月24日だったのです。
   阪急交通社の責任ではないのですが、オーストリア航空のチケットがダブルブッキングになっていて、やむを得ず23日に繰り上がったのです。私たちは、23日出発でも問題あ
  りませんでしたが、会社などの勤務先に24日から休暇を取るなどとしていた方は、もしかしたら参加できなくなったかも知れませんね。


 <本日のブログ記事はこの辺で終了しますが、今後この記事に用いる題名の長い国名は、「旧ユーゴスラビア4か国の旅」としたいと思います。>
   

パリから行く小さな旅<帰国の日にモネを見た>

2017年12月02日 | 旅行記
 久しぶりに小生の近況からお伝えしたいと思います。
 この季節になりますと、年賀状のことが頭に浮かびます。賀状を遠慮したいというはがきをいただきますが、最近頂いたはがきを見てびっくりしてしまいました・
 勤めていたときに大変お世話になり、尊敬していた先輩が亡くなったというはがきを奥様からいただいたからです。
 亡くなった原因は分かりませんが、70歳という年齢はあまりにも早すぎて何といったらよいのか言葉になりませんでした。
 実は、去年も同じように驚いたはがきをいただいたのです。この方の場合は、年齢が50歳代で職場の部下でした。正義感が強く、明るく、仕事ができるという方でしたが、残念でなりませんでした。
 まさか、今年も同じ思いを抱くとは思いもしませんでした。
 お二人のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 小生も69歳ですから他人事とは思えないのですが、運命か天命か知りませんが、神のみぞ知る、ということでしょうか?
 「毎日、生きてることに感謝!」といいたいところですが、ずぼらな小生には、それもできそうにありませんね。

 さて、パリから行く小さな旅ですが、モネの家の続きから申し上げます。

 モネの家を見学した後には、睡蓮の舞台となった美しい池を見学するのですが、家の庭から池に向かっていきますと、これまた「ビックリ」の光景が待っていました。
 まず、緑に覆われた通路を歩いて行きますと、せせらぎの音が聞こえてきました。
 やがて公園のような一角が見えてきて、そこは、まさに、「緑と清流」という感じの世界でした。

 溢れるような光と緑、そこに蓮の池が見事に調和していて、静かに私たちを迎えているようでした。
 その緑の主役は「しだれ柳」、池の主役は「蓮」です。

 観光客は、丸い感じの池の周りを内心の感嘆を抑えながら、ただ黙々とシャッターを切っていました。
 これは、日本庭園ですね。おまけの日本式の橋まであります。
 モネがいかに日本に憧れていたのかが分かります。

<睡蓮の池>


<睡蓮の池の公園>


<同じく>


 ここは一見の価値あり。じっくり時間をかけて見たいところですが、滞在時間の1時間が「あっ」という間に過ぎてしまいました。
 今度パリに来る時には、モネの勉強をしてからにしたい、などと反省していますが、このように心を残しながらパリに戻りました。

 心が残っているためか?パリに近づきますと道路が混雑してきて、時間が心配になりましたが、途中、凱旋門のところを通過しました。
 これは、チャンス!とばかりにカメラのレンズを向けたのですが、座席の位置が悪くシャッターチャンスを逃してしまいました。
 時間の余裕はあれば凱旋門を見たいと考えていたのですが、残念ながらこれがラストチャンスだったのです。

 ということで、予定より少し遅れましたが、マイバス社から歩いて買い物に行くことにしました。
 かみさんは、まず、免税店に行きたいそうです。
 しかし、その前に「腹が減っては戦が出来ぬ」とばかりに、性懲りもなく、日本料理店が並ぶ横町に行くことにしたのです。
 今度は、前に失敗した店の先に「札幌ラーメン」の看板が見えましたので、その店に向かったのですが、お休みでした。
 がっかりしながら、その店の右側を見ますと、もう一軒、中華料理店が目に入りました。
 この店は、活気に満ちていて、何人か席が空くのを待っていました。
 幸い、すぐに座れましたので、またまたラーメンを注文、「焼きそばが良かったかな?」などと思いながら、小生だけぎょうざを注文しました。

 いやー、ここの味は、麺も、汁も、餃子を大変結構なものでした。
 久しぶりに日本の味に舌鼓を打った二人でしたが、周りをよく見ると、ほとんどがフランス人のようです。
 隣の席には、若い男女が5人ぐらい座っていましたが、かつ丼を食べています。
 最初は、箸で食べていたのですが、途中からフォークで食べだしました。
 何でも結構、美味しいものに国境はないのです!

 さて、ここから免税店に戻り、かみさん、地下の売店を物色するが、何をお土産にするのかなかなか決まりません。
 それでも、親戚への贈り物が決まり、小生は「ほっ」とするが、チョコレートなどの定番の土産物必要ではないのか?と余計な心配をしていました。

 次は、「モンマルトルの丘」に行こうかと思ったのですが、地下鉄の乗り換えや、現地不案内などがあり、さらに、時間が意外と少なくなっていることからモンマルトルの丘に行くことは断念することにしました。
 そして、オペラ座駅方面に歩きだしたのですが、横道にそれてコンコルド広場まで行ってしまいました。

 その途中、洋装店などを覗いたり、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りに行くと通にある公園で一休みするなど、最後のパリを十分堪能した二人でした。
 などといいてますが、もう少し頑張れば、、シャンゼリゼ通りから凱旋門まで行くことができたのかも知れません。

 こうして、コンコルド駅から地下鉄の8番線に乗り、ホテルに戻ったのですが、ほとんどのカ方々が戻っていました。
 これから、シャルル・ドゴール空港に行って日本に帰りますが、本当に楽しい思い出を沢山いただいた旅でした。

 最後に、この旅でお世話になった方々に感謝を込めて「皆さん、メルシー!」


 <以上で、2004年の7月に訪問した「パリから行く小さな旅」の旅行記を終了します。それでは、これにて失礼します。>