自分の生きてきた道を振り返り、今の自分を見つめてみる。
今の自分は、自分にふさわしい生き方を与えられ、充実した生を歩んでいると思う。
高校の教師として、定年まで何とか勤め上げ、定年後は、詩吟の先生として多くのお弟子さんに囲まれ、更に詩吟の関係で文化協会の事務局長を遣らせていただき、文化協会加盟の多くの団体との交際も深く、各種の大会なども直接采配し、更には詩吟の上部団体の役員などもおおせつかり、暇の無い充実した毎日を送らせて頂いている。
私の人生は、先生という職業に尽きなければならないのだけれど、先生を辞めた後に、人生が開けているように思うのだ。
先生としての間は、充実した年月とはいえなかった。しかし、今は、楽しく充実した毎日なのだ。
こんな人生の設計図は無かったのだ。たまたま40代で詩吟の仲間に誘われ、余生の設計をしたわけでもなかったのに、詩吟の先生として今の生活があるのだ。
詩吟のきっかけは、小学校のとき先生に聞かされた詩吟なのは確かだけれど、自分から詩吟の仲間を求めて入ったのではない。たまたま同僚の伯父さんが、詩吟の先生の資格を取り、教室を作ろうとして、同僚に仲間を集めさせた、その誘いに乗ったことが、今に続いているのだ。
全く不思議な縁で、その時一緒に始めた詩吟の仲間は全員脱落して、私だけが残り、余生を本当に意義あるものにしているのだ。
不思議なものですね。先生で教頭とか校長になっていたら、今は無いはずです。管理職登用試験に合格しなかったのもラッキーでした。