長い間、日本憲法の「戦争放棄」は世界に類を見ない素晴らしいものとして考え来ていた。第二次世界大戦という大変な戦争を終え、戦争の悲惨さを経験した世界の人たちは
日本を手本に戦争放棄の時代に向かうのかと思っていた。これは何とも甘い見方でした。戦争放棄、軍隊も必要ない、だから軍備に金をかけなくてもよい。戦争を放棄しているから
よそでの戦争に巻き込まれることもなかった。それが終戦後の経済復興の力になったということは言える。しかし、この憲法を押し付けたアメリカが、朝鮮戦争で日本の協力を
得られないジレンマに陥り、それが警察予備軍、自衛隊へとじわじわ軍備の整備が続いてきた、いま、世界を見回してどう思いますが。「戦争放棄」!!!素っ裸で荒野に立ち尽くす
日本男児。アメリカが支えてくれているから、まだ立っていられるけれど、アメリカが手を引いた時の日本の姿をどう見ます。
第二次世界戦争か日本の侵略戦争だったような認識は間違いだ、戦争裁判を経てはいるけれど、そのうらにあるものを見据えよう。今は憲法改正、再軍備となれば、世界のあちらこちらから
非難の声も上がるとも思う。しかし、明治維新からの世界情勢、その中で組まれた日本追い落としは、日本に戦争を起こさせることだった。仕組まれた中でここまで戦った。今は、新しい時代になっている。
に自衛隊を軍隊として、軍備の拡張をして、核こそ持たないが、無通常の戦争では敵対できる国はそれほど多くない強力軍隊に育てるのはさそれほどむつかしくはないかもしれない。
アメリカの手先くらいにしか見られない日本がアメリカを擁護する国として、立ちはだかり、独立国日本として、正々堂々と胸を張って世界に立ち向かう。おっかなびっくり、尖閣
列島の国有化をがんばったり、北方領土のロシヤの処遇に何の文句も言えない日本じゃなく、堂々と論じて行ける独立国にならなくちゃ。
歴史的真実を正しく掘り起こし、言いたいことを言える日本になりませんか。ロシヤのあの日本への宣戦布告、そして、あのシベリヤへの大連行、どさくさで起こしたあのロシヤ兵の
暴挙など黙って受け入れなければならないことなのでしょうか。ともあれ、独立国としての体裁は、しっかりした軍隊を持つ独立国です。国境を守れない独立国になりたくない。