コロナが騒がれ出してもう1年になる。この蔓延の早さは驚きだ。今や世界中が犯されている。ワクチンガいくつか承認されて使われ始めている。日本でも来月から使われる予定になったようだ。アメリカではワクチン注射のため、野球場などが使われだしたらしい。一人二人でない、何びゃくにんもの待機者がいるのだから、病院だけでは対応しきれないのでしょう。世界中の人に行き渡るまでには、気の遠くなるほどの時間がかかるはずです。何年かかるでしょう。
私は肺気腫を60歳の時診断されて、今日まで比較的元気で来ています。一昨年というと遠いようですが、一昨年の12月ですからまだ1年しかたっていないのですが、化膿性肺気腫で3週間入院したのです。10月ころから咳がひどく、痰が絡んで困っていました。咳止めの薬をあちらこちらの病院からいただいて試しても効き目がなく、11月には咳がひどくなり救急車で運ばれたこともありました。しかし、病名も定かにならず苦しんでいました。私は、皆様が風邪にかかるころかからなくて、風邪のはやりが済んだ頃に咳で苦しめられることが多く、最後はたいてい抗生物質を飲むと収まる状態が続いていたのです。そのことを話したけれど、どこも処方してくれませんでした。最後に、昔世話になった耳鼻咽喉科へ行ったら、抗生物質の点滴をして、手紙を書くので、行きつけの呼吸器科にできるだけ早く行きなさいといわれ、帰宅後すぐ木曜日が定期診察日でまだ時間ありますので、特別診察をお願いして出かけました。すると、いつもの地担当の先生が休みで、別の先生の診察を受けることになった。随分待たされて、レントゲンを撮った。するとすかさずCTの検査が指示された。そして、車いすのまま待機させられ、診断かあり、大変な肺炎です。このまま入院していただきますといわれ3週間の入院となったのです。あとで分かりましたが、咳込んで、咳込んで肺に傷が付き、そこが化膿し始めていたのです。24時間の点滴を二日続けました。点滴には別の薬の点滴も同時にやられました。一週間くらいで点滴が終わりましたが、その時の感じは、病気という重荷がそっくり取り払われたような身が軽くなる感じがありました。その間、肺炎患者の6人部屋で、隣の方とおしゃべりすることもなく、三週間頑張りましたが、一度、凄い咳込む声がきこぇ、しばらくしてスット聞こえなくなったことがあった。あれは多分、肺炎の最後の声だったのだと思います。そんなことがあって退院したら間もなくコロナでした。今の私には、コロナは命取りだと思います。一年間、詩吟の教室はやっていますが、カラオケの遊びには一度もいっていません。ワクチンは早い順番になると思いますが、待ち遠しい。