「余生を楽しむ」という言葉がある。余生とは人生のあまりの人生ということこととすると、生計を伴う職業 を営んでいた定年退職までのいわゆる
第一の人生に対し、第二の人生をさすことになる。
私の第一の人生は高校の教師という職業を続けその定年退職をして、さらに4年間の臨時教員をして教員としての職業から離れるまでの64年間が
第一の人生ということになる。その後が第二の人生で、余生ということになるのかもしれない。そうすると、私の場合、65歳から現在の93歳までが余生に
なるのだろうか。
余生を楽しむという本題に戻って考え直すと、定年退職後私は詩吟の教師として91歳まで楽しんできた。まさに余生を楽しんだといえる。しかし、
92歳で生まれ育った北海道を後にして現在の群馬での生活となった。これも余生に違いないのだがどうも第三の人生を生きているというほうが当たっていて
楽しむ余生とはかけ離れているように思う。いわば第三の人生をたどっているといったほうがわかりやすいように思う。楽しむ余生とは全く違うのです。
老化を自覚し、少しでも生を引き延ばそうと努力する、まさに余生を伸ばす努力の時間帯となっている。あと何年生きていられるかわからないけれど、これから
積み上げる年月は豊かさと異質な、しかし貴重な余生となるのでしょう。