13日の姪の結婚式、新潟ホテルオオクラ、このことについては明日書くことにして、今日は佐渡に父のルーツをたどったことを書いてみる。
7時30分にホテルを出て、新潟港へ、8時発のジェットフォエルに乗船する。両津港まで丁度1時間。港に「館山様」と書いた表示を掲げてハイヤーの運転手が待っていた。今回、佐渡はレンタカーを借りる話だったのだけれど、美瑛の妹が気を利かせて、両津のハイヤー会社に電話して、観光タクシーを3時間契約で借り切っていたのです。6人全員が乗れる車なのです。
主目的は、父のルーツ小木に行くことでした。ルーツの細かいことを知っているものはいなく、妹二人と私がやや知っているくらいなのです。私の知っていることは、父の家は、旅館だったということでした。勘違いしていたところもあました。父の一家は分家のようにして北海道に来たというのは間違いで、旅館の経営から手を引いて、北海道に新天地を求めたらしいのです。ただ、姉が嫁いで小木に残り、旅館を引き継いだということを妹は知っていて、その旅館の名前とか姓とかを知っていないのです。両親がこの小木を訪れて、今も旅館が残っていると話していたと妹は言います。また、墓地にも行き、そこの土を母が持ってきていて、旭川に墓を建てたとき、墓にその土を入れたのを妹は覚えているのです。父の姉ですから当然他界して、子供、あるいは孫の世代になっているかもしれないのです。
そのような話をしたら運転手はすぐ小木に電話をいれ、尋ねはじめました。そして心当たりの家を特定してくれました。
車は両津から赤泊を回って小木の付いた。すぐに父の姉の嫁ぎ先の家が判明、その家の当主になっていた方が、一週間前に亡くなったということだった。
たらい舟が観光客を乗せてぐるっと回っているすぐ横でこの写真は撮りました。此処で、一休みして、そのルーツに当たる家の前に行き、そのすぐ近くにあるお寺に行って見ました。丁度住職さんが玄関先にいられて、事の次第を話しましたら、一週間前になくなったその方の家の墓はある。ということなので、一応その墓のあるところへ案内してもらいました。狭い山の斜面の張り付くように墓石が立ち並んでいます。その墓石には、村川の名前がいくつもあるのです。ルーツの墓もあるのでしょうが、村川家も沢山あって、どこの村川かは、屋号がわからなくては探しようがないとのことでした。
歩きながら軒先を見ると、表札のほかに、必ず屋号が掲げられています。狭い小さな集落だけれど、同姓が多いので、このような家名の伝承が、今もされているのですね。
昔は、北前船の寄る港として、佐渡では栄えた港だったのでしょう。町の中に二階の前へ張り出した家があります。これはかつて遊女屋であった家の名残なのだと運転手が説明して呉れました。父がたまたま洩らした、「置き屋」というのは、ひょっとして、こんな仕事だったのかもとふと思ったりしました。そんな仕事をまともに話すことはない。京都あたりで言う「置き屋」というのは、芸子をいろいろな宴会などに派遣したりする、いわば手配、周旋業ということになるのだけれど、あの小さな集落ではそんな仕事は必要ない。旅館即置き屋であったのかもしれません。
こんなことを考えると、ルーツを探るのも怖くなります。お寺はほかにあるように思えませんでした。しかし、あのお寺は真言宗のお寺だと運転手は言っていました。我が家は日蓮宗なのです。そこで、お墓と結びつかなくなるのですが、ひょっとすると、北海道に渡ってから、佐渡は日蓮とは深いかかわりがあるので渡道を期に改宗したということも考えられるのです。
ともあれ、我が家のルーツの地をこの目で見てきました。今回の旅行、結婚式より大きな意味のある旅行と成りました。</font>
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