手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

除雪の苦労

2020-12-09 18:58:18 | 身辺雑記

 我が家は築52年になる。無落雪式の半地下三階建ての家が普及し始めたそのころ、いわば落雪式の最後の屋根の家を他建てたのでした。落雪式だけれど、落ちた雪が飛ばないでまっすぐ下に次々落ちるように設計して建ててもらったのです。考えた通りに雪は落ちていたのですが、隣のおうちの方が心配して雪止めのためにでしょう、塀のところへ小型の物置を立てられました。あまり気にしないでいましたが、或る大雪の年、さらさら落ちる雪が高くなり。雪山からこぼれて隣の塀のところまで届き始めたので、一度上の方を平にしたことがありました。隣に雪が入っていたわけでないのです。そのとき隣の奥様が出てきて自分の家の方の雪をよけたりしていましたので、一応、見てわかる雪の落ち方なのですが、心配かけてすみませんと謝っておきました。そして、その年簡易無落雪の工事をして下に行きが落ちないようにしました。家の西側のですが、その後ほとんど雪が積もらないで済むようになり、ある大雪の年、隣の塀の中が雪山になりましたが私の家のところは地面が見えるくらいの有様でした。すると隣の奥様が雪入れさせてくださいといって我が家の方へ雪を投げ込んでいました。ま、これは本題ではないのです。
 我が家を建てたころは、周りは空地が一杯で、行き捨てに困ることもなく、私も若かったので雪の始末に困らなかったのです。そのうちにどんどん家が建ち始めて、雪の捨て場がなくなってきました。そこで玄関前から車道の歩行者通路まで(車庫の入口を含め)ロードヒーティングを設置することにしました。とても頑丈な工事で、上に車が乗っかってもほとんど影響のないつくりのものでした。しかし、灯油代が高くなります。それであまり使わないで来たのですが、数年前から灯油のことは言わずに、雪になる夜は自動運転で動かすことにしてきています。
 それだけならまだいいのですが、ブルトーザーが夜中に車道を撥ねてゆきます。その歩道と車道の間に40センチ幅くらいで雪を寄せて行くのです。 この雪を排雪しなければ車を出せません。それで、この雪をロードヒーティングの入れていない花畑前の歩道に積み上げておいて週一度の排雪を業者にお願いしているのです。ロードヒーティングで家の前は問題ないのでが、ブルトーザーの置いて行った雪を花畑の前まで運んで積み上げるのがもう私の力では無理になってきました。でもひどい時は近くの方が来て手伝って下さっているのです。今年は、何かい方法を考えなくちゃと思っていますが、とにかく今年の雪が遅くなっているのはとても助かっています。車庫前だけ開けるのが最良かもしれません。週一度の排雪、年間3万数千円かかっています。でも、一時道が広くなるのが気持ちよくてやってもらっています。<
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の詩吟教室

2020-12-07 18:49:50 | 詩吟関係

 昨日が審査日、今日は、SAさんが欠席。昨日の審査に出席した人の感想、いつもは大勢の会員の前で吟じるのに、今回は誰もいない審査会場で吟じることになり、戸惑ったということでした。誰もいないとかえって緊張するとのことです。納得!!受審者の少ないことは判っていたけれど、当日欠吟が多く、ひどく少ないことにも驚いたということでした。
 稽古、審査を受けた方は新しい吟題の稽古になります。MAさん今度は4段です。よく頑張っています。もともとカラオケ大好きの方で、コロナ前はほとんど毎日カラオケに出かけていた方でした。カラオケの詩文次々に暗記して歌うのです。セリフ入りのカラオケが好きで長いセリフを間違えることもなく歌いあげるのです。ですから、詩吟の詩文の暗記くらい簡単なのだと思いますが、なかなかそうはいかない。特に吟譜の理解が出来ない、毎回同じところで注意されることになる。何か根競べのような指導になります。でも、嫌がらないで頑張ってくれています。ITさん6段ほとんど問題なく進めそうです。でも、前歴で身に着けた悪いところが抜けきれないのが気になります。KAさんとても良くなってきました。7本の声が安定し、間の取り方も良くなってきています。和歌がいまいち。KJさん、三本の声が出ない。発声法もあると思いますが、一本下げての稽古からやり直した方が早いように思います。8段の稽古できないでやめました。それで、koさんKUさんには8段の絶句二題と和歌をやってもらいました。後半は「時に憩う 良寛」を前回に続いて全員に稽古してもらいました。
 12月の稽古、来週は忘年会を予定していたけれど、やはり場合が場合なので中止にしたということでした。それで、三週目は、それぞれ得意な吟を発表してもらうことにし、併せて詩吟と私といったようなテーマーで各自に話してもらうことにしました。どんなことになるのやら・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩吟の審査会の日でした

2020-12-06 19:32:22 | 詩吟関係

今日、教育文化会館で北詩連の資格審査がありました。お弟子さんが4名受審したのですが、私は行きませんでした。現在の新型コロナのため、会場の管理が厳しく、普段の審査の時は先生方はもちろん、仲間の応援も大歓迎なのですが、今回は受審者の行動も厳しく制限されていて仕方がなかったのです。事前に受審者の名簿が送られてきていました。全体で36名ほどの受審者と今までにない少なさになっていました。これも、コロナで、まともに稽古ができないためなのでしよう。昼頃、今日受審した私のお弟子さんのKAさんから電話があり、無事終えてきたということでしたが、少ない受審者が更に10名ほど当日欠吟が出ていて全体で20数名の審査になっていたということでした。審査は一定の人数が会場に入っていて、一人終わって出てくると、廊下で待たされていた方が一人入るという厳しい管理がされていたようです。
 こんな状況を聞きながら、私の会はほとんどコロナに乱されることなく変わらない稽古ができているのは凄いことなのかもしれないと思ったりしています。明日は稽古日です。今日終わった方は新しい吟題の稽古になります。でも、仲間の吟を聞いてきていますので、ほとんど模範吟をしてあげなくてもできるのです。結局、皆様、自分の現在の吟題の外に次の吟題も稽古してくれているのだと思います。いいお弟子さんに恵まれたと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掛かりつけのN病院 休診でした

2020-12-05 19:37:23 | 身辺雑記

 12月の予約診療日のN病院へ、10時半の予約てすので10時少し過ぎに行きました。駐車場がガラガラなのです。へぇ!!と思いながら玄関を入りました。すると、消毒液を持った方がおられて、今日は休診となりました。薬だけなら処方しますのでお入りくださいという。新型コロナのクライスタ―の発症という話は聞いていなかった。田中病院とか渓仁会が休診でその応援ということもあるかもしれない。とにかく、薬をいただいてきました。
 コロナ、最初 昼カラのクライスターが手稲で発症したのだが、その後静かだったので喜んでいたけれど、田中病院が大量の患者を抱えることになり、渓仁会までも休診になっている。n病院もとなるととても身近になってくる。ワクチンの使用が承認された国も出てきて、ようやく線香花火のような明かりがともりかけたけれど。全世界を覆っているこの病、いつになったら平常に戻るのでしょう。せめて、来年のオリンピックにかかわる方には早く処方してスムースに進行できるよう計らってほしいものです。もちろん選手は大会に支障のないように支援してあげてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つまらないことが忘れられない

2020-12-04 19:23:15 | 身辺雑記

 90を過ぎると何とも物忘れがひどくなる。皆様も同じような悩みをお持ちのようです。困るのは私の生き甲斐、詩吟を教える時です。
 詩吟では日本の歴史に関係する詩がたくさんあります。歴史的な事柄は結構覚えているつもりで、改めて勉強しないで出掛け、その吟題にかかわる歴史を話そうとしたら、知っているはずの名前とか事象が出てこないのです。
それで、この頃はできるだけ扱う予定のことについてはもう一度復習をして行くことにしています。それでも、メモを持たないと危険です。そんな状況でもとっくに忘れてよいはずの小さな出来事が忘れないまま残っていたりするのには驚きです。第三師範学校の本科一年に入学した年、スキー部に入りました。11月に雪が降り一日も早くゲレンデに出たい思いをしていた12月5日雨が降りました。6日が日曜日になっていて、同期の仲間と神居岳に滑りに行くことにしていて、出かけました。12月に雨が降るなんて信じられない気持ちになったものでした。そして、当日は晴れていて、現地に出かけたのですが、昭和23年ですから、スキー場などはありません樹間を縫って滑るだけなのですが、前日の雨で雪の表面がしばれ、力を入れると埋まるのです。滑り降りようとして間もなく足を取られ転びました。表面が硬くなっていて、転んだ拍子に足をねじる形となり、捻挫をしてしまいました。これがスキーでの最初のねん挫で今も忘れられないでいます。此の当時のスキー用具、とてもお粗末なものでしたが、私の実家はとても余裕のある家でありませんでしたから、スキーはもちろん、靴も父が若い時に使ったものを使うという情けないスキー部員で、一年でやめさせてもらいました。こんなことを忘れないのに、大事なことをわすれるという。思い返すと、普段は忘れているのに結構いろいろ詰まらないことが忘れられずに蘇ってきます。そんなところに人生の面白さがあるのかもしれませんね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする