Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

ナイチンゲール

2021年03月18日 08時12分51秒 | エッセイ

      肩や腕を優しく撫でてくれる。
      そして、手が重なる。
      この感触、何十年ぶりのことであろうか。
      動悸がちょっと早くなる。
      緊張で固まっていた体の力が、すーっと抜けていく。

           
     
      3カ月検診の診療室。
      この日は、ちょっと痛い検査が入っていた。
      もう何度も経験していることではあるが、
      いつものように緊張する。
      横に立って、優しく慰めてくれる看護師さんの手が、
      肩や腕を撫でてくれ、時に手が重なる。
      束の間であるが、苦痛が去る。
      「大丈夫ですか」「もうすぐ済みますよ」
      その声に励まされ、何とか持ちこたえた。


      看護師さんのことをよく「白衣の天使」という。
      近代看護教育の生みの親と称される
      フローレンス・ナイチンゲール。
      その名言の一つは、こう言っている。
      「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、
      苦悩する者のために戦う者である」
      ありがとう、看護師さん。

         
    
      だが、検査結果は……。
      診察室で対面した医師は、無情であった
      「がんが再発していますね。手術しましょう」
      5月に4度目の膀胱がん手術を行うことが決まった。



妻の仕返し

2021年03月16日 09時22分38秒 | エッセイ
     その昔。ごく普通の家庭において亭主は
     絶対的存在として君臨した。
     「このように、お前たちが何不自由なく暮らせるのは、
     俺が懸命に働いてやっているからだ。ありがたく思え」
     こう言えば、妻も子供たちも
     「はい、お陰様で……ありがとうございます」と、
     胸のうちでベロをしながら従った。

                   
    
     その昔と言っても、現在でもそのような
     家庭は結構多いはずだ。
     特に中年以降の男性は
     「仕事優先。家庭は二の次」思考になりやすく、
     たまの休日も、やれゴルフだ何だと言って
     家事には見向きもしない。
     そうやって年月を重ねていくと奥方にとっては、
     亭主は金を運んできてくれる存在でしかなくなっていく。
     むしろ、家では何もしないくせに、何だかだと偉そうな
     モラハラ亭主に不満を募らせていく。
     不満をため込んでいく。

       そんな世の亭主族は用心したがよい。
     強烈な仕返しが待っている。
     定年──これは亭主はもう金を運んではこない
     ことを意味するわけで、
     まさに「金の切れ目が縁の切れ目」とばかり、
     いきなり離婚を突き付けられる。
     よく言う定年離婚だ。
     長年にわたり不満を貯めこんできた奥方にとり、
     金を運んでこない亭主には何の存在価値もない。
     「もう我慢しないわ」とばかり一気に
     攻勢に出てくるのだ。
     攻撃することしか能のなかった亭主は、
     守りはからっきしで、オロオロするばかり。

          
     
     もっと壮絶な仕返しは、亭主の健康寿命が尽きるのを
     待っている奥方である。
     ベッドに横たわる亭主の枕元で、こうつぶやく。
     「これからは私がいじめ抜いてやる」
     ああ怖い、怖い。

     ここまでのことではなくとも、やれ「掃除機をかけろ」
     「風呂掃除をしろ」などと命令されることになる。
     知人が定年になったので、ご機嫌伺いの電話をしたら
     「妻の部下になっております」と言うので大笑いした。
     これくらいの仕返しは「よし」としておかねばならない。


消息知れず

2021年03月11日 17時00分00秒 | エッセイ


     消息知れずのシャツが、そ知らぬふうの川風に揺れている。
     その少し厚手のグレーの長袖は、ハンガーにかけられたまま
     川道に沿って立つ金網に吊り下げられ、
     主が探し当ててくれるのを待っていた。

          

     この数日、春の陽気を運ぶ風が強かった。
     その風が、近くのマンション、あるいは住宅の
     洗濯物をここまで飛ばしたのだろう。
     それを誰かが見つけたものの、
     住所や名前が書いてあるはずもなく、
     せめて、運よく見つけられることを願いながら、
     目につきやすいようにと金網に吊り下げてくれた。
     そんな様子が容易に思い浮かぶ。

Puccini: Tosca / Act 3 - "E lucevan le stelle"

     CDケースを漁っていたら、
     三大テノールの一人、ホセ・カレーラスの名唱集が、
     ポピュラーソングやフォークソングの中に紛れ込んでいた。
     クラシック音楽に関しては無知に等しい僕が、
     カレーラスのCDを買うはずがない。
     なぜ、ここにあるのか——覚えがない。
     首をかしげながらプレーヤーに乗せた。

     ある曲、それは「星は光りぬ」(歌劇「トスカ」のアリア)
     だったが、その旋律が流れ始めた途端、
     まさに打たれるように思い出した。
     11歳違いの次兄だ。この兄は、僕とはまるで違い
     クラシック一辺倒。
     僕がプレスリーを聞いていると、
     「そんなもの聞くんじゃない。不良になるぞ」
     そんなたしなめ方をする兄だった。
     随分昔のこと、何の用事だったか思い出せないが、
     兄の家に行った時、確かにこの曲が流れていた。
     そして帰り際、「お前もたまには、こんなものも聞け」
     と渡されたのが、このCDだったのだ。

         

     今となれば形見のようなものである。
     その兄は3年前の11月に亡くなった。
     死を知ったのは、葬儀が終わった後だった。
     義姉はあいにく認知症を患い、甥は神奈川県川崎市の在住、
     もう一人の姪は主人の仕事の都合で5年とあけず、
     あちこち転居を繰り返している。
     加えれば、この兄は他家の養子となった身だった。
     そんなこともあり、知らぬうちにこの家族とは
     すっかり疎遠になってしまっていた。
     甥や姪にすると父の死を知らせようにも、
     父のただ1人残った弟である叔父の電話番号さえ知らず、
     連絡する術がなかったのに違いなかった。

     やっと電話がつながった甥は、血のつながりを感じさせぬ
     淡々とした口調で、事の経緯を語った。
     墓を訪れた僕は、頭を深くして許しを乞うしかなかった。


侮るなかれ

2021年03月10日 15時24分27秒 | エッセイ

                       
      
      カラスが頭の良いことはよく知られている。
      固いクルミをわざと車に轢かせて、割れて出てきた実を
      さっさと咥えて飛び去るといったことも知られた話だ。
      ゴミ捨て場が荒らされているのは、よく見かける光景だが、 
      どんなにカラスを近づけないよう工夫しても、
      そんな人様の知恵をあざ笑うかのように被害が再発する。
      どうやら人間の言葉も理解できるとさえ言われ、
      何と7歳児の知能を持っているとか。
      それだからだろう。なんと傍若無人な鳥なことか。

      今朝もマイカー出勤だ。
      福岡市随一の繁華街・天神の大通りを左折し、
      一方通行の脇道に入った。
      ここを抜けると別の大通りに出るのだが、
      左折した途端立ち往生となった。
      図々しいほど車馴れ、人馴れしたカラスが
      道路の真ん中まで出てきて
      餌をつついて回っているのだ。
      前夜、不心得な飲食店が道路脇に置きっ放しにした
      ゴミ袋をつつき破ったため道路に散乱してしまい、
      それらを追って人が通ろうが車が来ようが逃げようともしない。
      運転席から見えなくなるまで車の直前をうろつき回るので、
      轢きはしまいかと、何とも気ぜわしい。

           

      そんなカラスも、たまにミスをするらしい。
      沖縄県の西表島を訪れた時のことだ。
      うっすらと明け始めた中、レンタカーを走らせていた。
      と、突然樹上からカラスが急降下してきて
      フロントガラスに激突、
      そのまま車に巻き込まれたように見えた。
      行き過ぎ、バックミラーで伺えば、
      黒っぽい塊が道路の中央に横たわっている。
      間違いない。はねてしまったのだ。

      カラスは、車が通りかかっただけで、
      車との距離感が分かるのだそうだ。
      ただ、この西表島は普段の交通量がそれほど多くはない。
      とあって、この島のカラスたちは、町中のカラスほど
      車馴れしていないに違いない。
      このカラスも道路上の何かしらの餌を狙って急降下したものの、
      こちらとの距離・スピード、それと自分の飛ぶ速さを測り損ね、
      こんな事故となってしまったのだろう。

          
      
      うぶと言えばうぶな西表島のカラスに比べ、
      天神をテリトリーとするカラスたちの
      何と世間ずれしていることか。
      これほど人を小馬鹿にしたような態度をとるのは、
      車馴れ、人馴れしているからであろう。いや待て。
      あるいは車に付けたオレンジ、黄、黄緑、緑色が四つ葉型の
      『もみじマーク』のせいなのかも……。
      ここのカラスたちは、車体の四つ葉マークを見て、
      「爺、恐るるに足らず」と侮っているのではあるまいか。
      そう思うと余計に腹が立ってくる。