瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

静かな喜び

2007年01月01日 | 瞑想日記
人間の条件、思考の中をさ迷うこと‥‥何日か前にも触れたが、エックハルト・トールの言葉だ。

瞑想をやっていると、自分が日常の中でいかに思考の森をさ迷っているかが、よく分かる。と同時に、思考や感情の森をさ迷っている自分の姿を上の方から見る視点も育っていく。

ただ無自覚に森をさ迷い続ければ、やがて崖から転落する。無明のままに死ぬ。それも人間の条件だ。

何度も何度も同じところを回っている自分の姿も見える。いくつかのことに囚われて、その囚われをめぐって同じ思考パターンを繰り返している。そういう自分がよく見える。そんな自分の姿を完全に突き放して見たとしても不思議ではないと感じる。

何かでちょっとイライラしているときに、そういう自分の姿をサティする。イライラしたり、それに伴う様々な想念・思考に埋没している自分に気づく。その時、サティがどういう効果を現すかは、気づきの質にかかわっている。

先ほど、妻の年賀状の印刷をしているとき、プリンターの調子が悪くちょっとイライラした。すぐにそういう自分の状態や感情、思考にサティする姿勢になった。穏やかな余裕が広がった。その余裕は、毎日のサティの積み重ねや、思考の森からちょっとだけ首を突き出して見ることができるという感触と、無関係ではなかった。

日々の生活の中での、思考や感情の流れを一歩距離をおいて、静かに気づいていること。そこに広がる静かな喜び。
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