瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

気づきと浄化

2007年01月16日 | 瞑想日記
最近、サティの調子が今ひとつであった。サティが途切れ途切れだったのが、今日は流れるようにサティが続くことがしばしばあった。考えるより先にサティが入るという感じが少し戻って来た。そうなると思考に気づき、思考を相対化する度合いも増える。思考している自分を見ている感じが多くなる。

職場へ歩いているとき、「~~している私」とサティしていることが多い。「見ている私」「聞いている私」「~~と思考している私」「感じている私」。こういうラベリングが適切かどうか分からない。少なくとも、見たり、聞いたり、そう思ったり、感じたりしている「自我」という働きを意識した時には、そういうラベリングになることが多いようだ。

思考に気づき、思考する自我に徹底的に気づいていること。

先ほどちょっと疲れて、炬燵でぼっとしていた。想念が浮かんでは消えた。気づいた瞬間の想念は覚えているが、その前、さらにその前の微細な想念が何だったかすら思い出せなかった。それほど無自覚だということだ。数秒後に記憶にも残らないような想念の連続。それらはやはり、無意識のエネルギーに動かされて無意識の層から浮かんでくるのだということを改めて感じた。

だからこそ想念の流れに自覚的であることが大切なのだ。想念を自覚的に捉え返すことで、無意識の層に淀んでいるエネルギーが少しずつ少しずつ浄化されていうような気がする。
コメント (2)
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