瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

感情の「直接体験」

2007年01月06日 | 読書日誌
本を読んでいるとき、印象に残ったところや大切だと思ったところは、黄色いマーカーでアンダーラインをする。もっと重要だと思ったところは、アンダーラインをした欄外に二重丸をする。さらに最重要だと思ったページは、ページの端を折っておく。

ガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』は、二重丸どころか折り目をつけておきたいページがあまりに多く、ほとんど数ページおきに折った。それだけずしりとくる言葉が多い。

印象に残った言葉はすべてここに記したいくらいだが、これは瞑想日記なので、何かしら私の瞑想実践と関係の深い部分を、これからも時々引用し、コメントしていきたい。

私にとってガンガジの本は、サティの意味をより深く理解するのに大いに役立った。その具体的な例。

「ある感情を押し殺す、または表に出すのがふさわしい場面ももちろんあります。けれど、感情を押し殺しもせずに表にも出さないという、もう一つの別の可能性があります。私はそれを『直接体験』と呼びます。

ある感情を直接体験するというのは、それを否定もせず、それに溺れることもしない、ということであり、それはその感情についてどんな物語も存在しないということを意味します。」p178

ヴィパッサナー瞑想の心随観は、まさにこれを行うことだ。否定もせず、溺れることもなくただサティをする。どのような解釈・編集・物語も付着しない、感情そのものを体験する。

「どんな感情も、あなたがその真っ只中にいるとき、それがいわゆる『ネガティブな』感情でも、『ポジティブ』な感情でも、その核心に何があるかを見つけることが可能です。実は、あなたがネガティブな感情を本当に経験すると、それは消えてしまいます。そしてあなたがポジティブな感情を本当に経験すると、それは大きくなり、無限です。」p178

ヴィパッサナー瞑想では、感情を深く体験するのにラベリングを用いる。ただ感情の核心を見つけろと言われても途方にくれてしまうだろう。ラベリングでまさぐり、的確な言葉で捉え返されたとき、感情の核心をつかんだような経験をする。的確なラベリングによって否定的な感情を本当に経験すると、それが消えていくことは、ヴィパッサナー瞑想の現場でもしばしば経験される。

ガンガジの主張は、ヴィパッサナー瞑想のサティによって具体的な方法論として提示されており、実践者にとって大いに手がかりとなると思う。
コメント
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