できるかぎり自覚的に生きたい。私にとって「自覚的に」とは、限りある命としてこの世に投げ出されているという現実に自覚的であるということである。それはまた、日々の生活や人間関係への思いやわずらいに埋没しないということである。平凡な日常の中の個々の行為であると同時に、限りある命にとっての一瞬一瞬の行為だということに自覚的であるということである。
限りある命を自覚しつつ行為するとは、一瞬一瞬を修行として行為するということだ。しかしそこに「自我」の狙いや成果を求める心があれば、結果としてそれは「自我」を肥大させるだけであり、本当の意味での修行とは言えない。修行としての成果すら期待せずにひたすら行為する。成果や利益や評価を求めずにひたすら行為する。
さとりという「成果」のために修行するのではない。限りある命であることを自覚しつつ、いかなる成果をも期待せず、ただなすべきことを行う。そこに真実があるからそうするのである。そんな生き方に一歩でも近づきたい。
ガンガジの言葉。
「徹底的に死ぬ覚悟ができなければ、徹底的に生きることはできません。そして、死の恐怖と徹底的に向き合う覚悟がない限り、徹底的に死ぬことはできません。あなたが本当に死の恐怖と向き合えるなら、あなたは心安らかです。決して死なないものの存在に気づくからです。」p321
「精神的な探求とは実は死の探求であり、喪失の探求です。多くの人が、開悟を求めて精神的な探求を始めます。が、真の精神的覚醒とは何もかも失うことを通して得られるものなのです。」p317
限りある命を自覚しつつ行為するとは、一瞬一瞬を修行として行為するということだ。しかしそこに「自我」の狙いや成果を求める心があれば、結果としてそれは「自我」を肥大させるだけであり、本当の意味での修行とは言えない。修行としての成果すら期待せずにひたすら行為する。成果や利益や評価を求めずにひたすら行為する。
さとりという「成果」のために修行するのではない。限りある命であることを自覚しつつ、いかなる成果をも期待せず、ただなすべきことを行う。そこに真実があるからそうするのである。そんな生き方に一歩でも近づきたい。
ガンガジの言葉。
「徹底的に死ぬ覚悟ができなければ、徹底的に生きることはできません。そして、死の恐怖と徹底的に向き合う覚悟がない限り、徹底的に死ぬことはできません。あなたが本当に死の恐怖と向き合えるなら、あなたは心安らかです。決して死なないものの存在に気づくからです。」p321
「精神的な探求とは実は死の探求であり、喪失の探求です。多くの人が、開悟を求めて精神的な探求を始めます。が、真の精神的覚醒とは何もかも失うことを通して得られるものなのです。」p317