瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

誤魔化しなく意識的に

2007年01月08日 | 読書日誌
サティ(気づき)には、いくつもの層があるようだ。この一瞬、何に気づくのか。キーボードを打つ指の動き、思考、日記を書こうとする意志、その背後にある欲望(読者に評価されたい、感銘を与えたい‥‥)、さらにその背後にある自我の不満足感や不安。

いちばん自分がのめり込でいること、一生懸命になっていることの元にある「気持ち」や「思い」は気づきにくい。盲点になってしまう。そこに気づきが入ることこそ大切だというのに。

しかし、「今、自分の大元になっている思いや感情は?」という問いをもってサティしていると、盲点にも気づきやすくなるようだ。

湧き上がってくるどのような感情や思いからも逃げず、抵抗しない。すべてをそのまま迎え入れていくという意思をもってサティし、ラベリングしていく。それだけでよい。

今、私に課題としてあるのは、対人関係でのある種の怒り、国際関係での怒りや優劣意識や懸念、何かで心を紛らせたり、気晴らししようとする傾向、その一つとしての食欲‥‥、それらの背後にある気持ちや思いにどれだけ真っ直ぐに誤魔化しなくサティしていけるかだ。

また、思いも新たに日々のサティに立ち向かおう。

ガンガジの言葉。「トマスの福音書によれば、イエスはこう言いました。『苦しみ方を知っているとき、あなたは苦しまない』。この『苦しみ方』とはつまり、徹底的に苦しむ、ということです。完全な意識をもって苦しむのです。意識的に苦しむ、ということは、苦しみから逃げ出したいという衝動を意識的に認識し、逃げ出す代わりに、悲嘆、恐れ、激しい喪失感や悲しみなど、何であれそこにあるものと正面から向き合うことです。」p201

ガンガジから学び、自信となった二番目のこととは、自分の中にある思いや感情の一切を、誤魔化しなく意識的に経験していくことの大切ということだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする