瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「思考する自我」を見渡す視点

2007年01月28日 | 瞑想日記
サティへの意欲が低下している大きな理由は、「思考する自我」としての私を相対化する視点を見失っているからかもしれない。

調子がよかった頃は、サティが入るとともに「思考に埋没する自我」である私を突き放して見る視点が実感されていた。それは、私が一瞬一瞬どのような傾向のことを考えているかという内容が見えてくるというだけではなかった。「思考する私」を上から全体として見ているような視点があった。この視点が確たるものになれば、もはや思考のコントロールは不可能ではない、という感覚もあった。

なぜそれを見失ったのか。それだけサティが少なり、思考に埋没している時間が多くなったからか。はっきりとは分からない。サティが多くなれば、思考を突き放して見る視点も強まり、さらにサティへの意欲が高まるという相乗効果はあっただろう。注意しておきたいのは、「思考する自我」を上から見る視点を自覚すること自体が、さらに「自我」にとっての「成果」と感じられていることだ。そこにもまたサティが入っていかなければならない。

「思考する自我」を相対化して見る視点を忘れていたと気づいてからは、意識的にそういう視点を取り戻そうとしている。サティへの意欲も回復しつつある。
コメント (1)
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