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-国体の認識と人間の生き方は別-(GHQ焚書図書開封 第44回)

2017-04-16 09:38:01 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第44回
-国体の認識と人間の生き方は別-
 世界は天皇のもの、世界は日本。日本にはない一神教的な考え方。なぜ、杉本五郎中佐の錯覚的、誇大妄想的思想が、当時の国民に受け入れられたのか?。
思想的には天皇に帰一しなければ全て駄目だという単純なものであったが、軍人としては立派な生き方を(信仰、行為、認識が一致)した人柄であった杉本中佐。
日本は文明開化と尊王攘夷の間を揺れ動いた歴史をもっている。そして、常に天皇を中心とする国体観念を疑ってはならないというタブーが存在した。
昭和24、25年頃、左翼学生たちは天皇陛下を天ちゃん、皇太子殿下を倅、皇后陛下をお袋と呼んだ。それまで、疑う余地のないほど自明だった天皇観のタブーが消滅した。
若い頃、杉本中佐に心酔し、予科練に入った小説家城山三郎氏も、終戦後多くの知識人同様、国体について「軍国主義」のレッテルづけし、一諸くたに扱い過去のものとして片づけてしまった。
つまり、過去に目をそむけて、本質を追及することから逃げてしまったのである。吉永小百合の青い山脈「古い上着をさようなら・・・」という歌がはやったように・・・・。
その結果、国体に潜む根絶しなければならない病原菌は軍国主義の裏側に隠れてしまった。「軍国主義」のレッテルは時の流れとともに消えても、歴史の裏側に潜在する病原菌によって、やがて、今度は盲目的な「平和主義」の名のもとに自家中毒を起こすかもしれない。今の野党がレッテルはりを好んで使用していることは危険である。
学者(山田孝雄、田中智学、白鳥庫吉)によっても極端に違う国体の認識、そのいずれも批判、分析されることなく、闇に葬ってしまったことが、混沌とした世界情勢の中で生き抜かなければならない日本人の心の支えを失うという禍根を残した。
そのことにより、将来アメリカのため、中国のために、日本の青年が死ぬという馬鹿馬鹿しいことが起こるかもしれない。
参考文献:「大義」杉本五郎中佐遺著 「軍神杉本五郎中佐」山岡荘八 「大義の末」城山三郎
GHQ焚書図書開封4 第6章 2節 501~635P