GHQ焚書図書開封 第47回
-開戦前の日本の言い分(1)-
読売新聞160万の読者を涙しめ、奮わしめ、立つの覚悟を固らしめた佐藤忠著「米英包囲網」。その中に書かれた、ルーズベルトとチャーチルの洋上会談。その内容は、欧米列強が世界の植民地化を達成した後の領土保全条項等であった。
日本は、9か国条約以降、欧米の主張する「領土保全」、「機会均等」、「門戸開放」の偽善に気付いていた。
米国は、第一次世界大戦で、力尽きた英国の遺産を奪い取ることを画策していた。
日本人の反英感情は、米英の植民地の既得権維持(南京条約、天津条約、北京条約による権益)を第一に考えている帝国主義にがまん出来なかったことから生まれた。
日独伊三国同盟後の対日ABCD網を突破するには海軍方針の南進をしないで、ドイツを支援するため北進しソ連と戦うべきであった。
英・米・独・伊・ソ連は支那民衆を抑圧していた欧米への反感を日本に向けさせることに成功した。
支那は長年にわたり屈辱感を与え続けていた白人国に逆らわず、日本を敵視し、白色人種側についた。
日本は、重慶政府(蒋介石政府)に武器貸与、借款等で支援する英米ユダヤ金融資本とは戦わざるを得ないほど追い込まれていた。
また、アジアの欧米列強からの植民地解放を主張する日本と植民地維持を主張する欧米とはもともと戦う運命にあった。
19世紀初頭北米の移民人口は500万であったが、19世紀末には8000万に増えていた。80年間の間に16倍に増えたエネルギーが東亜侵略へと向かっていった。
参考文献:「米英包囲網」斎藤忠、 GHQ焚書図書開封6 第7章 427~489P
昭和16年12月8日午後0時20分全国紙発表「帝国政府声明」<現代語訳文>
このたび宣戦布告が発せられました。そこで大日本帝国として、国の内外に声明を発表します。
東アジアの安定を確保し、世界平和に貢献するのは、日本の不動の国是です。そのために日本は列国と友誼を厚くしてきました。国是を完遂することこそ、日本国の外交の要(かなめ)です。
ところが蒋介石率いる重慶政府は、我が日本の真意を理解せず、いたずらに外国の力をたのんで、日本に敵対し、この結果、支那事変が起きましたが、天皇陛下の御威光の下、日本軍の向かうところに敵はありません。支那の重要地点は、いまやことごとく日本軍の手に帰しています。さらに日本と思いを同じくする人々と、南京に国民政府が生まれ、いまや南京政府と日本は、良好な隣国としての諠(よしみ)を結ぶに至っています。また、その南京政府を国家政府として承認する国も、すでに11カ国に及んでおり、いまやこれに敵対する重慶政府は、支那の奥地に残存して無益の交戦を続けているだけの状態となっています。
こうしてようやく支那に平和が戻ろうとしている情況ができつつあるのに、米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません。米英両国は、さまざまな奸計を用いて支那事変の終結を妨害し、更にオランダをそそのかし、フランスに脅威を与え、日本とタイ国との親交までも裂こうとして策動しています。その動きは、日本とこれら東アジアの南方諸国との間に共存共栄の関係を築こうとする、ごくあたりまえな民衆の欲求を阻害し、東アジアの民衆に永遠に「安らかな日」を与えようとしないものです。こうした米英両国の動きは、日本を敵視し、日本に対して計画的に攻撃を実施しつつあるものです。
そしてついに彼らは、無道にも「経済断交」という暴挙を打ち出してきました。およそ交戦関係にない国家間において「経済断交」というのは、武力による挑戦に匹敵する敵対行為といえます。国家として黙視できるようなものではありません。しかも米英両国は、さらに他の国々を誘い込んで、日本の四方で武力を増強し、日本の自立に重大な脅威を与えつつあります。
上に述べたよう米英が日本の存立と東アジア諸国の安定に対して重大な脅威を与えてきているにもかかわらず、日本国政府はこれまで、太平洋の平和を維持し、全人類に戦禍の波及することがないよう堪忍自重し、米国と外交交渉を重ね、背後にいる英国並びに米英両国に附和する諸国に反省を求め、日本の生存と権威の許す限り、互譲の精神をもって事態の平和的解決に努めてきました。つくすべき手をつくし、為すべきことを為しつくしてきたのです。
けれど米国はいたずらに架空の原則を弄して東アジア諸国の現実を認めず、日本の真の国力を悟ろうともせず、物量だのみで武力による脅威を増大させ、日本を屈従させようとし続けました。日本は、平和的手段で米国ならびにその他の国に対する関係を調整し、ともに手をたずさえて太平洋の平和を維持しようとする希望と方途を全く失うことになってしまったのです。
こうして東アジアの安定と帝国の存立とは、まさに危機状態に瀕することになりました。そしてことここに至って、ついに米国及び英国に対し宣戦の詔勅が発せられたのです。詔勅を承り、まことに恐懼感激に堪えないものがあります。
私たち帝国臣民一億人は、きわめて強固な団結で決起し、勇み立ち心を躍らせ、国家の総力を挙げて戦い、もって東アジアの禍根(米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません)を永久に排除し、天皇陛下の考えに応えるべきときとなりました。
思うに、世界各国が各々その所を得るべしという詔勅は、「世界各国にあるさまざまな民族は、肌の色も違えば民族の伝統や文化もそれぞれ異なるけれど、その異なる文化を持つもの同士が、対立したり、片方が片方を隷属させたりするのではなく、互いに互いを尊重しあい、それぞれの民族がそれぞれの伝統や文化を守り、それぞれの国を守り、生きる。」現代社会では、あたりまえの現実となっているそのことが、まるであたりまえではなかった時代に、日本はこれを現実にしようと立ち上がったのです。なぜなら、私たち日本人にとって、それはあたかも太陽と星がこの世にあるのと同じくらいあたりまえのことだったからです。炳(へい)として日星の如し。とは、そういう意味です。(人種の平等と東アジア諸国の独立を謳っている)
日本が日満華三国の提携によって共栄の実を挙げ、進んで東亜諸国の興隆の基礎を築こうとしてきた方針は、もとより変るものではありません。また日本は、志を同じくするドイツ、イタリア両国と盟約し、世界平和の基調を糾(ただ)し、新秩序の建設に邁進する決意をますます牢固にしています。
このたび日本は、南方諸地域に対して、やむを得ず新たに行動を起こすことになりましたが、何等そのアジア地域の住民たちに対して敵意を持つものではありません。ただ米英をアジアから追い出し、植民地になる前のアジアに戻すため、手を携(たずさ)えて共栄の楽をわかちあおうと祈念するものにほかなりません。(何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず)、日本は、これらアジア地域の住民が、日本の真意を了解し、日本とともに、アジアの新天地の新たな発足を期していただけることを信じて疑いません。(大東亜戦争の戦争目的を謳っている)
今や日本の栄衰と東アジアの興廃は、この一挙にかかることとなりました。(今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり)全国民は、このたびの戦いの原因と使命に深く思いをはせてください。
そして、どんなときにもけっして驕ることなく、また怠ることなく、よく尽くし、よく耐え、それによって私たちの祖先の教えを称えて広く世間に知らしめ、困難にあったら必ず国家興隆の基を築いた私たちの祖先の輝かしい歴史と業績を思い、内容が計り知れないほど奥深く、力強く、淀みのない天皇陛下の統治計画を思い、万事(全て)に手抜かり・手落ちがないように心に誓い、進んで征戦の目的を完遂し、もって天皇陛下の御心を永遠にありのままに受け入れ、最善をつくします。
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)
-開戦前の日本の言い分(1)-
読売新聞160万の読者を涙しめ、奮わしめ、立つの覚悟を固らしめた佐藤忠著「米英包囲網」。その中に書かれた、ルーズベルトとチャーチルの洋上会談。その内容は、欧米列強が世界の植民地化を達成した後の領土保全条項等であった。
日本は、9か国条約以降、欧米の主張する「領土保全」、「機会均等」、「門戸開放」の偽善に気付いていた。
米国は、第一次世界大戦で、力尽きた英国の遺産を奪い取ることを画策していた。
日本人の反英感情は、米英の植民地の既得権維持(南京条約、天津条約、北京条約による権益)を第一に考えている帝国主義にがまん出来なかったことから生まれた。
日独伊三国同盟後の対日ABCD網を突破するには海軍方針の南進をしないで、ドイツを支援するため北進しソ連と戦うべきであった。
英・米・独・伊・ソ連は支那民衆を抑圧していた欧米への反感を日本に向けさせることに成功した。
支那は長年にわたり屈辱感を与え続けていた白人国に逆らわず、日本を敵視し、白色人種側についた。
日本は、重慶政府(蒋介石政府)に武器貸与、借款等で支援する英米ユダヤ金融資本とは戦わざるを得ないほど追い込まれていた。
また、アジアの欧米列強からの植民地解放を主張する日本と植民地維持を主張する欧米とはもともと戦う運命にあった。
19世紀初頭北米の移民人口は500万であったが、19世紀末には8000万に増えていた。80年間の間に16倍に増えたエネルギーが東亜侵略へと向かっていった。
参考文献:「米英包囲網」斎藤忠、 GHQ焚書図書開封6 第7章 427~489P
昭和16年12月8日午後0時20分全国紙発表「帝国政府声明」<現代語訳文>
このたび宣戦布告が発せられました。そこで大日本帝国として、国の内外に声明を発表します。
東アジアの安定を確保し、世界平和に貢献するのは、日本の不動の国是です。そのために日本は列国と友誼を厚くしてきました。国是を完遂することこそ、日本国の外交の要(かなめ)です。
ところが蒋介石率いる重慶政府は、我が日本の真意を理解せず、いたずらに外国の力をたのんで、日本に敵対し、この結果、支那事変が起きましたが、天皇陛下の御威光の下、日本軍の向かうところに敵はありません。支那の重要地点は、いまやことごとく日本軍の手に帰しています。さらに日本と思いを同じくする人々と、南京に国民政府が生まれ、いまや南京政府と日本は、良好な隣国としての諠(よしみ)を結ぶに至っています。また、その南京政府を国家政府として承認する国も、すでに11カ国に及んでおり、いまやこれに敵対する重慶政府は、支那の奥地に残存して無益の交戦を続けているだけの状態となっています。
こうしてようやく支那に平和が戻ろうとしている情況ができつつあるのに、米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません。米英両国は、さまざまな奸計を用いて支那事変の終結を妨害し、更にオランダをそそのかし、フランスに脅威を与え、日本とタイ国との親交までも裂こうとして策動しています。その動きは、日本とこれら東アジアの南方諸国との間に共存共栄の関係を築こうとする、ごくあたりまえな民衆の欲求を阻害し、東アジアの民衆に永遠に「安らかな日」を与えようとしないものです。こうした米英両国の動きは、日本を敵視し、日本に対して計画的に攻撃を実施しつつあるものです。
そしてついに彼らは、無道にも「経済断交」という暴挙を打ち出してきました。およそ交戦関係にない国家間において「経済断交」というのは、武力による挑戦に匹敵する敵対行為といえます。国家として黙視できるようなものではありません。しかも米英両国は、さらに他の国々を誘い込んで、日本の四方で武力を増強し、日本の自立に重大な脅威を与えつつあります。
上に述べたよう米英が日本の存立と東アジア諸国の安定に対して重大な脅威を与えてきているにもかかわらず、日本国政府はこれまで、太平洋の平和を維持し、全人類に戦禍の波及することがないよう堪忍自重し、米国と外交交渉を重ね、背後にいる英国並びに米英両国に附和する諸国に反省を求め、日本の生存と権威の許す限り、互譲の精神をもって事態の平和的解決に努めてきました。つくすべき手をつくし、為すべきことを為しつくしてきたのです。
けれど米国はいたずらに架空の原則を弄して東アジア諸国の現実を認めず、日本の真の国力を悟ろうともせず、物量だのみで武力による脅威を増大させ、日本を屈従させようとし続けました。日本は、平和的手段で米国ならびにその他の国に対する関係を調整し、ともに手をたずさえて太平洋の平和を維持しようとする希望と方途を全く失うことになってしまったのです。
こうして東アジアの安定と帝国の存立とは、まさに危機状態に瀕することになりました。そしてことここに至って、ついに米国及び英国に対し宣戦の詔勅が発せられたのです。詔勅を承り、まことに恐懼感激に堪えないものがあります。
私たち帝国臣民一億人は、きわめて強固な団結で決起し、勇み立ち心を躍らせ、国家の総力を挙げて戦い、もって東アジアの禍根(米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません)を永久に排除し、天皇陛下の考えに応えるべきときとなりました。
思うに、世界各国が各々その所を得るべしという詔勅は、「世界各国にあるさまざまな民族は、肌の色も違えば民族の伝統や文化もそれぞれ異なるけれど、その異なる文化を持つもの同士が、対立したり、片方が片方を隷属させたりするのではなく、互いに互いを尊重しあい、それぞれの民族がそれぞれの伝統や文化を守り、それぞれの国を守り、生きる。」現代社会では、あたりまえの現実となっているそのことが、まるであたりまえではなかった時代に、日本はこれを現実にしようと立ち上がったのです。なぜなら、私たち日本人にとって、それはあたかも太陽と星がこの世にあるのと同じくらいあたりまえのことだったからです。炳(へい)として日星の如し。とは、そういう意味です。(人種の平等と東アジア諸国の独立を謳っている)
日本が日満華三国の提携によって共栄の実を挙げ、進んで東亜諸国の興隆の基礎を築こうとしてきた方針は、もとより変るものではありません。また日本は、志を同じくするドイツ、イタリア両国と盟約し、世界平和の基調を糾(ただ)し、新秩序の建設に邁進する決意をますます牢固にしています。
このたび日本は、南方諸地域に対して、やむを得ず新たに行動を起こすことになりましたが、何等そのアジア地域の住民たちに対して敵意を持つものではありません。ただ米英をアジアから追い出し、植民地になる前のアジアに戻すため、手を携(たずさ)えて共栄の楽をわかちあおうと祈念するものにほかなりません。(何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず)、日本は、これらアジア地域の住民が、日本の真意を了解し、日本とともに、アジアの新天地の新たな発足を期していただけることを信じて疑いません。(大東亜戦争の戦争目的を謳っている)
今や日本の栄衰と東アジアの興廃は、この一挙にかかることとなりました。(今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり)全国民は、このたびの戦いの原因と使命に深く思いをはせてください。
そして、どんなときにもけっして驕ることなく、また怠ることなく、よく尽くし、よく耐え、それによって私たちの祖先の教えを称えて広く世間に知らしめ、困難にあったら必ず国家興隆の基を築いた私たちの祖先の輝かしい歴史と業績を思い、内容が計り知れないほど奥深く、力強く、淀みのない天皇陛下の統治計画を思い、万事(全て)に手抜かり・手落ちがないように心に誓い、進んで征戦の目的を完遂し、もって天皇陛下の御心を永遠にありのままに受け入れ、最善をつくします。
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)