GHQ焚書図書開封 第85回
-大正年間の支那民衆の生活様々-
1911年から1941年の30年間にわたり、支那大陸を足で歩き、歴史の粗相を見抜いた長野朗の「支那30年」。
清朝時代には、数100万の満州旗人が4億の漢人を支配していたが、次第に満州人は漢人に同化されて、清朝没落後は日本の維新の武士のように悲惨な生活に陥り、漢人社会では官吏にもなれず、車夫や軍警等になりさがり、徐々に族滅されていった。
1911年の辛亥革命の数年後、国民党、共産党、軍閥の三つ巴の戦いが繰り広げられていた時期は、道路に人糞が散在する不潔な都市・農村生活が営まれていた。当時、支那では戸籍もなく、兵役もなく、旅行をしても宿帳もない、生まれても死んでも届け出の必要もなかった。
1911年から15年間のいわゆる北京政府(蒋介石)時代は日本の大正時代と一致する。
当時の支那は近代化国家の体をなしておらず、法の支配や貨幣の統一、度量衡の統一はなかった。支那を旅行しても、宿屋に風呂はなく、便所もない、二人で泊まっても洗面器は一つしか出さない有様であった。
1917年のロシア革命までは、日本に支那の商品市場を抑えられていた英米。欧州戦争後は、英米の支援によって、また1920年代以降はソビエトコミンテルンによって急激に排日運動が支那全土に拡大していった。
参考文献:「支那三十年」長野朗、「暗黒大陸 中国の真実」ラルフ・タウンゼント
2015/04/22 18:00に公開
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