GHQ焚書図書開封 第68回
-米国のハワイ侵略 第1幕-
戦後、「憧れのハワイ航路」の歌が流行ったように、日本とは因縁の深かったハワイ。18世紀にジェームス・クックによって発見されている。
「発見」とはヨーロッパ人を中心としたものの見方で、ヨーロッパ人の世界像の中に新しい土地がつけ加えられたという意味。
島々には酋長がいて、1791年にはアメリカの支援を受けたカメハメハ王とイギリスの支援を受けたマウイ王が争いをおこなっていた。
最終的に、全島を支配したのがカメハメハ王朝だった。
外国との貿易は19世紀に入りロシアとの毛皮貿易から始まり、白檀、鯨の油と移っていった。鯨油は燈火用、骨は女性のスカートを広げるために利用された。、
ハワイは捕鯨船の中継地として栄えたが、同時に、酒と病気をもたらしたマイナス面もあった。
1850年移民法が成立し、混血が進み、純粋のハワイ人の人口は激減した。
石油が発見され、鯨油にとって代わり、またカルフォルニアの人口が増え、砂糖の消費量増大に伴い、ハワイはさとうきびの栽培地として変貌していった。
宗教、経済、文明面においてアメリカに支配され、また王朝断絶の憂いを抱いたカラカウア国王は、1881年日本皇室に救援(日本皇室とハワイ王族との婚姻関係)を求めてきた。
日本は国内事情(ロシアの脅威対策が重要課題となっていたこと)からこの提案を謝絶したが、日布関係は悪化しなかった。
1875年に締結した米布互恵条約について、1887年、米布互恵契約の修正、また有色人種の選挙権・参政権を奪うことになる憲法大改正により不利な立場に立たされた移民日本人。
憲法大改正について、日本総領事安藤太郎は抗議行動を起こしたが、欧米追従主義を旨とする井上馨外務卿が総領事の行動を制止した。
この頃から「国益」より「友好」を重視する外務省の悪しき媚び外交の歴史が始まった。
そして、1898年ハワイ併合。1900年からホノルルの軍港化建設が始まった。
参考文献:「ハワイを繞る日米関係史」吉森實行
-米国のハワイ侵略 第1幕-
戦後、「憧れのハワイ航路」の歌が流行ったように、日本とは因縁の深かったハワイ。18世紀にジェームス・クックによって発見されている。
「発見」とはヨーロッパ人を中心としたものの見方で、ヨーロッパ人の世界像の中に新しい土地がつけ加えられたという意味。
島々には酋長がいて、1791年にはアメリカの支援を受けたカメハメハ王とイギリスの支援を受けたマウイ王が争いをおこなっていた。
最終的に、全島を支配したのがカメハメハ王朝だった。
外国との貿易は19世紀に入りロシアとの毛皮貿易から始まり、白檀、鯨の油と移っていった。鯨油は燈火用、骨は女性のスカートを広げるために利用された。、
ハワイは捕鯨船の中継地として栄えたが、同時に、酒と病気をもたらしたマイナス面もあった。
1850年移民法が成立し、混血が進み、純粋のハワイ人の人口は激減した。
石油が発見され、鯨油にとって代わり、またカルフォルニアの人口が増え、砂糖の消費量増大に伴い、ハワイはさとうきびの栽培地として変貌していった。
宗教、経済、文明面においてアメリカに支配され、また王朝断絶の憂いを抱いたカラカウア国王は、1881年日本皇室に救援(日本皇室とハワイ王族との婚姻関係)を求めてきた。
日本は国内事情(ロシアの脅威対策が重要課題となっていたこと)からこの提案を謝絶したが、日布関係は悪化しなかった。
1875年に締結した米布互恵条約について、1887年、米布互恵契約の修正、また有色人種の選挙権・参政権を奪うことになる憲法大改正により不利な立場に立たされた移民日本人。
憲法大改正について、日本総領事安藤太郎は抗議行動を起こしたが、欧米追従主義を旨とする井上馨外務卿が総領事の行動を制止した。
この頃から「国益」より「友好」を重視する外務省の悪しき媚び外交の歴史が始まった。
そして、1898年ハワイ併合。1900年からホノルルの軍港化建設が始まった。
参考文献:「ハワイを繞る日米関係史」吉森實行
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