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-日本軍仏印進駐の実際の情景-(GHQ焚書図書開封 第14回)

2017-02-17 13:20:26 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第14回
 日本軍の仏印進駐について、現代の歴史書では、日本軍が愚かにも仏印まで進駐したと、まるで悪行をしたかのごとく書かれている。実際は、英米仏による支那の蒋介石政権に対する物資輸送ルート(援蒋ルート)を断ち切るために行った進駐である。
 ドイツに敗れたフランスはヴィシー政権(1940年 - 1944年)となりペタンが元首となった。ドゴールはロンドンに亡命した。本国フランスは第二次世界大戦ではドイツ側であっため敗戦国であったたが、ドイツが敗れた後にシャルル・ド・ゴールが戻ってきて政権についたことから、イギリス、アメリカのお蔭て戦勝国入りしたのである。、
 仏印のフランスの新聞論調は、反英感情を露わにし、一転して日本に協力する内容に変わってしまった。当時、日本はベトナムについてフランスの領土と主権尊重を支持しており、フランスは、道義的、公明的な日本民族の名において約束されたと日本を高く評価していた。
仏印進駐時、在留フランス人は、蒋介石と2,3のヨーロッパ国により合作された悪宣伝の影響を受け、野蛮な日本人、乱暴者の日本人と信じていたため、悪鬼の日本兵と恐れていた。進駐後、伝えられていた日本軍の悪評との違いに驚かされた。「皇軍」としての軍規厳しく、礼儀正しい日本兵の姿に「案外である」との感嘆の声が上がった。
 これらのことが、正しく伝承されておれば、旧日本軍に対するゆがんだ戦後感の是正に役立っただろう。戦後、GHQにより旧日本軍を称賛した本の全てが焚書対象となったため、過去の正しい歴史との断絶をもたらした。
最後に残ったのは、支那の一方的な悪宣伝による悪評だけだった。ここから日本人の「敗戦自虐史観」が生まれた。
「国際連盟脱退」と並んで「仏印進駐」を暴挙とみるか、正当性のある行動とみるかによって、歴史学者の間では意見が分かれている。
参考文献:「仏印進駐記」大屋久寿雄



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