GHQ焚書図書開封 第15回
-日本軍仏印進駐下の狡猾情弱なフランス人-
17世紀から始まるフランスとイギリスの争い(継承戦争、7年戦争、アメリカ独立戦争)はアジアにおける植民地戦争へとつながっていった。
フランスは第2次世界大戦中ドイツに敗れ、シャルル・ド・ゴールはロンドンへ亡命し、亡命政権を、本国はフィリップ・ペタン元帥(ヴェルダンの英雄)によるヴィシー政権樹立。ノルマンディ上陸作戦でド・ゴールが本国に戻ってくるまで、二つの政権が存在することになった。
北部仏印(北ベトナム)の海防(ハイフォン)では、本国ビジー政権の指示に従わず隠匿した援蒋物資(薬品、顕微鏡、電話機、ラジオ、防毒マスク、電信機、ボイラ、測量機、ワワイヤー、レールの山)の横流しを続けるフランス人と支那人、それを防止できない進駐日本軍、総領事と外務省役人。支那大陸で命がけで戦っている日本軍のことを考えていないほどの生ぬるさとも言える。「占領」でなく「進駐」という建前にこだわって、結果的に、為すべきこと(援蒋ルートの遮断)を為さなかったのである。
南部仏印の西貢(サイゴン)では、人口20万のショロン(提岸)にはびこる5~6万人の反日・抗日華僑の存在。「己あっての国家」というエゴスチックで、ふてぶてしく、至る所にはびこる支那人の本質は当時も今も変わらない。また、英、米、仏、華僑に振り回される日本外務省の(失敗から教訓を学ばない)醜態も当時から変わっていない。
参考文献:「仏印進駐記」大屋久寿雄 「ペタン元帥はかく考へる」訳岡田演之 「仏印縦走記」中野實 『GHQ焚書図書開封2 第六章 301~355/790』
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