「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

日本と世界のリアル状況確認と僕の思索を書き留めるブログ。
重要なことはメルマガで展開していますので、ご購読下さい。

木下ブログの出発点となったミャンマー情勢激変、弾圧された民衆側のスーチー女史率いる野党が総選挙勝利。

2015-11-11 20:53:00 | 署名などの報告(会の活動報告)

上記は、ロイター通信の画像より引用。

このブログは、2007年9月27日に銃撃されて死亡した、ジャーナリスト長井健司氏に関して当時のミャンマー政府に抗議し、ミャンマー軍がジャーナリストを殺して入手したと見られるビデオカメラとテープを返却することを求めるために、僕が立ち上げたのがスタートです(僕が長井さんの友人で、署名活動の事務局も行いました)。知らない人も多いと思いますが、ブログのカテゴリー別や2007年当時の過去記事でご確認ください。

あの殺害から、およそ8年が経過して、ついにミャンマー総選挙で、アウンサンスーチー女史が率いる、野党の国民民主連盟(NLP)が勝利する状況となりました。

もともとこの制度自体、国会の中で軍がそもそも一定程度は議席を占めることが義務付けられています。

ですから、当然に軍側である現体制有利の中で、選挙としては9割以上の議席を獲得している状況に、国民民主連盟がなっています。この結果がこのまま最後まで進めば、軍の状態はあっても、野党側が勝利する可能性は極めて高いです。

軍がその選挙結果を嫌い、強硬手段に出ない限り、国民の意向を反映した新たな政権が出来ることは確実な情勢となっています。

 2007年には、政府への反対運動が弾圧され、死者も出る状態となったミャンマー、長井さんはその状況を取材する過程の中で、命を落としましたが、ロイター通信のカメラマンが撮影した写真によって、その死の状態が世界に伝わり、こうしたことが大きなきっかけの一つとはなって、今日のミャンマー政治情勢の変化もあるだろうと僕は思います。

 僕のブログが、元々立っていた地平が、この長井さんの死の真相を明らかにすること、彼の死の際にぎりぎりまで撮影し続けたカメラとビデオテープを取り戻すことを目的に始めたものでした。当時は反響も有り、10万人以上の署名も集まりました。

多くの人びとを弾圧し、死に追い詰めたミャンマー体制側への異議申し立てが大きかったです。

しかし、8年という時代の流れとともに、長井さんを殺した側から、長井さんが死を賭けて伝えようとした民衆側に、政権は移ろうとしています。

僕はこの選挙結果を、ミャンマー軍が適正に受け入れ、ミャンマー国民の意向を踏まえた政治体制が出来ることを強く期待しています。

可能ならば、あのときに長井さんが撮影したカメラとビデオテープが、新政府になったことによって、発見できれば大変にうれしいと僕は思います。

これについては、「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」でも何か出来ることはないか考えてみたいと思います。

このことは、現在、被曝回避を考えてこのブログを読んでいる皆さんには関係ないことに思えるかもしれませんが、そんなに短絡的な感覚しかない人は、話にならないと僕は断じておきます。

要は、民衆を武力的に弾圧する軍事政権的な状態であっても、その民衆全体の意識が大きく変化すれば、8年程度の月日で、政治体制は劇的に変化することも有り得るということです。

ミャンマーのことを見て、日本のことを考えろということです。「人の振り見て我が振り直せ」です。

 日本がここまで原発事故後に凋落しているのは、他でもなく、一般国民である貴女たちが、本当にこの状況を変化させるために、具体的現実的にどう積み上げるのかという事を、怠けているからに他なりません(僕も例外ではありません)。

要はいろんな形で、ぎりぎりの弾圧を受けることも含めて、国民の声が大きく立ち上がっていないのが、こうした体たらくの根幹原因です。体制側が酷いことは何時でも如何なる国でも当たり前です。しかし反体制側すら駄目すぎるのが、この国の恐るべき低レベルな状態なのです。

みせかけのデモで声を上げても、本気ではない政治行動に、真剣に向き合う政府や政治家などいる筈もありません。

命どころか、逮捕される覚悟さえなき声が、政治的に強い流れになる筈もありません。

一部の政党と一部の活動家、一部の政治運動研究者の自己満足、更に旧来の左翼リベラリズム的な人びとの一定部分での自己満足を満たしているだけです。

何も現実的な達成はありません。

安保法案阻止を巡る盛り上がりとその達成度の低さ、その後におきている原発再稼動に関して具体的な反対勢力の弱体化をみると、この国で反対側にいる政治家・政治運動家たちの現実的混迷ぶりは、尋常ではないということです。

野党の選挙協力体制すら、目処も立っていません。

長井さんの死などから、8年間で大きく舵を切る方向に事態が推移しているミャンマーよりも、国民の本質的な意識レベルは、遥かに低いのが日本なのかもしれません。

否、遥かに低いのが日本です。

貴女はその多数日本人と一緒に沈む船にただ残り続けるのか、我を守るために船から離れるのか、船を沈ませない努力を続けるのか、その選択が迫られ続けているということなのです。

こうした感覚も有さないという方は、このブログの読者はきょうからおやめください。

そんな人間と関わりたいと僕は思っていませんから。

 

================================================

木下メルマガ最新号タイトル

【 東京から岡山へ移住した一開業医の危機感 】

【 紫斑や生理不順に不整脈で東京から避難、更に若年性白内障と診断された30代独身女性があなたに伝えたいこと 】  

変化を見落とさないための道標、毎週金曜配信「木下黄太メールマガジン」 (月4回) 

被曝関連の健康症状等、重要情報はメルマガでのみ配信、ぜひ購読を⇒⇒⇒http://www.hoshanobogyo.com/

================================================

長井さんの事と、木下黄太ブログの現在の在り方をどのように僕は考えていたのか。

そのことは、次の記事でよくわかります。状況は、根源的にはこの時点で想定していたよりも酷くなっていると思います。

2011年3月21日 14:48:42に投稿した記事を再度掲載します。

---------------------------------------------------------------------------------------------

福島第一原発の100キロ圏内の皆さんを圏外退避させるべきだとおもいます。

このブログはジャーナリストの長井健司がおこなったことから
カメラの返還をもとめる署名を僕がスタートさせて、
外国政府が
長井さんの命を奪ったことに対しての
怒りを伝えることが大きな目的になっています。
長井さんは、自分の命を犠牲にして、
ミャンマーの民衆がおかれている状況を
伝えたことで世界に衝撃を与えました。

しかしながら、長井さんと僕の考え方の違い、
というよりも根幹のスタンスの違いは
ジャーナリストは生死を掛けるものではあっても、
極力その危険を避けるべきであるということです。
僕は長井さんよりも、臆病者であって、
卑怯者であると自覚しています。
しかしながら危険に身をさらすことを
どこまで自分が許容するのかという根幹について
安易なヒロイズムは絶対に避けるべきと
僕は感じているからです。

それでも、僕の友人でもあった長井さんが存命ならば、
おそらくこの福島原発の惨状が本当は何であるのか、
命懸けで現地に潜入し、
証拠映像を撮影し、世間に公表することで
状況を変えようとしたのではないかとも思います。

ただし、臆病者の僕にはとてもできません。
なぜなら放射能は人間が勝てる相手ではありません。

僕が何ができるのかずっと考えました。
まず当初の東日本大震災報道であれば
人命の救助に少しでもつながる情報を
メディアを通じて出来る限り出し続け、
考えられる限りのことを政府関係者にも話しました。

それは福島第一原発の問題がはっきり認識されたところから
大きくフェィズがことなりました。

福島第一原発は
基本的に原子力の利用に心理的には
元々反対の気持ちが強い僕にとっては
福島の浜通りにある老朽化した施設という印象が
きわめて強いものです。
もちろん海岸沿いにあったので
当然、震災や津波には一定程度配慮をしていると
これまでは勝手に思っていました。
しかしながら、
補助電源が海側にあるなど
きちんとした配慮がなされていない発電所であったことは
あきらかだなと僕は今は思います。

さらに今回の異常事態は
僕の情報源からの情報では
全く想定外の出来事の連続であったことがわかっています。
僕はこの原発に
オペレーション上にどのようなことがおきるのか
色んな形で想定を考えて
シュミレーションを策定している人々がいます。
こうした人々の想定を
はるかに超える状態が続いていると僕の情報源は話しています。

もちろん、いろいろな形で水で冷やし続けるというのは
最も重要な方法で、
まっとうな方法は、極論するとそれしかありません。
それを命懸けでされ続けている
消防、警察、自衛隊、東京電力関連作業員の努力には感謝し続ける以外、言葉はありません。

ただこれはあくまで対処方法です。
根本的な解決にはなりません。(もちろん、時間は稼げます)
電源の復旧がうまくいって、冷却装置が稼動して、
問題なく回復すれば、何も言うことはありません。
そうなることを願い続けてはいます。

しかしながら、うまくいかないことも
僕は想定すべきだと考えています。
映像で見る限り、水素爆発で
破損程度のかなりひどい三号機は素人目に見ても
電源が通れば冷却システムが
復旧するという話が御伽噺にしか聞こえません。
もし、それで何とかなるのなら、
どうして東京電力は直ちに電源に手をつけなかったのか、
僕はずっと疑いの目で見ています。
うまくいかなかった場合、一体何がおこりうるのか
僕はわからないと考えています。

ここで気になっているのがアメリカの判断です。
スリーマイル島の事故も経験し、
原子力の開発について兵器レベルでも
圧倒的な知見を有していて、
なおかつ日本国内でも大気中のサンプル採取なども
独自に行えますし、
偵察機や衛星などで、福島原発についての独自情報が
収集しできて、
さらに日本政府からも情報を
容易に得られます。

そのアメリカは
マニュアル的な手続きではありますが
自国民を
半径80キロ圏内から退避させました。
この圏内にはいてはいけないということです。

関東圏では二百キロ以上は離れている
横田基地や厚木基地などから家族の国外退避は
すでにはじまったときいています。
さらに、横須賀の米軍基地では、
万が一の場合を想定して、
佐世保に本部機能を移すための準備作業が
おこなわれているとも僕は聞いています。
部隊とともに移動を打診された人もいます。

チェルノブイリと状況も違いますので
同じレベルになるとは確実には言えませんが
あのときは高濃度の放射性物質が
半径200キロから300キロくらいでも
降った事は間違いありません。
もちろん風向きがおおきな要素です。
そこによって状況は大きく異なります。
そして、今回の福島原発の事態が、悪化して事が起きた場合、
周囲100キロくらいには確実に影響が出ると僕は想定します。
専門家の中で同じよう最悪想定を立てている人はいますが、
あくまでオフレコベースでしかありません。
そして、いつも
「木下君、実際どうなるのかは本当はわからない」というのが
決まり文句になっています。

たまたま、現在の官邸の中には
複数、知人もいるので
色んな形で僕は懸念を伝えました。
返ってくる答えは
「関わっている専門家で最大リスクを話す人と、
木下君の懸念は同じ感じだよね。
でも、多数決はもっとリスクの低いという人が多くなるから」
といわれました。
「こういうときは、結局多数決しかないかも」とも。

勿論、低いリスクに収まればうれしいと僕は思いますし、
その場合は「木下は妄想癖のある臆病者で屑野郎」と
罵られても致し方ないと覚悟はしています。
むしろ、喜ばしい結末が訪れたのですから。

ただ、リスクというのは起こりうる中で最悪を
想定するべきと僕は感じています。多数決ではありません。
特に、今回は事が起きた時には被害は甚大です。
守らなければならない
国民の生命や安全を守ることが厳しくなるタイプの事象です。
放射能というその捉えにくい本質を考えると、
今、線量が高くないうちに退避を広げる選択肢をとるべきだと
僕は思います。

事がおこってからでは、混乱しさらに間に合わなくなります。
そのリスクも重ねて、伝えられる官邸の知り合いには
話しました。

しかし、政府はアグレッシブに動いている感じがしないです。
最高決定者が決定しない状況とも見えます。
日本のどこの会社でもありがちな光景と同じ感じです。
(政府→会社、国民→社員と読み替えもできますね)
そうすると政府の判断の遅れが
僕ら国民の生死や安全につながるリスクが
増えている感じています。

この状況を放置するわけにはいかないと僕は思いました。
勿論、リスクの想定なので
絶対にこれがおきると断言できませんが
その想定が起きた場合、
今よりもゾーンを広げて退避していなければ
被害がどの程度増えるのかを政府はきちんと認識すべきです。
そのために参考になるのはさっきのアメリカの退避圏の判断です。
僕は最低限、このくらいの退避圏にはすべきと思います。
このブログのタイトルに書いている100キロ圏の退避は
まずこの観点の判断が大きいです。

予防衛生の専門家と話をすると
こどもや妊婦のリスクはさらに高まります。
妊娠できる可能性がある年齢の未婚女性がそれに続きます。
こうした人々は退避圏をさらに拡大すべきと思います。

自国民を殺してしまう政府は、何であれ一番問題だと僕は思います。

長井さんはミャンマー人を殺す政府に立ち向かいました。

 

きちんと判断をせずに、自分達の心が安心し続けるために、
リスクをきちんと見ない人々を僕は許せないですし、
そして政府がきちんと出来ないのなら
事が起きたら、僕は政府が自国民を殺してしまう話になるかもしれないと思います。

 

そんなことにならないように強く願います。
本当に強く、強く願います。