俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

市場

2010-01-09 16:21:33 | Weblog
 1月6日付けの朝日新聞夕刊のトップ記事は「新車市場 中国トップ」だった。しかし記事を読むと「(販売台数で)中国が初めて米国を抜いた」となっていた。なぜこんな寝ぼけた記事を、と思った。朝日新聞ではまだお屠蘇気分が抜けていないのだろうか。
 台数トップ=市場トップだろうか。これは小学生でも分かることだが、市場とは価格×数量だ。米国で売られる自動車は付加価値の高い車が多いので多分単価は中国の5倍くらいあるだろう。もしそうなら米国の市場規模は中国の5倍ということになる。
 このように質を無視して量だけを比較することがよくある。自動車の場合は価格という違った尺度があるのでその矛盾は簡単に指摘できるが、そうでない場合は量が横行する。
 オリンピックになればメダル何個、番組の価値は視聴率、優れた歌手とはCDの売上数、労働者の熱意はサービス残業の多さ、学者は論文の量、これらが取り敢えず評価の基準となり、その後それが一人歩きする。質は問われない。量は客観的に評価できるが質を評価することは難しいからだ。
 どうも数学の苦手な人ほど数字を有難がっているように思えてならない。

少数者のための政党

2010-01-09 16:02:28 | Weblog
 現代の日本は相対価値の時代だ。絶対価値は認められず、それぞれが自分の正義を主張し、それを相互に認め合うことによって社会的に共存している。
 相対価値は多元論の世界だ。多元論に基づけば「正義」は無数にある。当然「政治的理想」も無数になる。
 こういう社会には小党分立が相応しい。十人十色であるように十人十党となっても当然だろう。何しろ絶対価値が存在しないのだから。
 最悪は一党独裁だ。これは候補者を党が先に決めてしまうから国民には選挙権が無いのと同じことだ。党に逆らうことは不可能だ。
 次に悪いのは2大政党制だ。アメリカとイギリスの2大政党制がしばしば模範とされるがこの2国は国際的には例外的存在だ。多くの先進国では小党が共存して連立政権を作っている。
 2大政党制では仮に3つ以上の選択肢があっても、大衆受けする上位2つをそれぞれの党が政策として採用し、第3位以下の政策は葬られる。これでは牛丼とカレーしかないファストフード店のようなものだ。
 多数者が少数者の存在を無視すれば多数決一辺倒の衆愚政治に陥る。小党の存在こそ少数意見を無視しないという民主主義の精神を実現するものだ。
 但し、小選挙区制のもとでは小党は駆逐されてしまう。かつて衆議院が「良識の府」と呼ばれた古き良き時代には全国区に「緑風会」という文化人を中心とした団体があった。その後、全国区はタレント議員の票田に堕してしまったが、それも良かろう。芸能人が票を集めれば集めるほどボーダーラインが下がり、少数者を代表する小党が日の目を見る可能性は高まる。
 負け犬の遠吠えでしかないが・・・・小選挙区制反対!!!

ワクチン

2010-01-09 15:42:48 | Weblog
 我々はワクチンを過大評価していないだろうか。確かに天然痘やポリオ(小児麻痺)はワクチンによって駆逐された。しかしインフルエンザに対してワクチンはどの程度有効なのだろうか。そもそもインフルエンザに対する免疫は可能なのだろうか。もし抗体が生まれるならほぼ毎年インフルエンザが流行するということは起こらない筈だ。
 「インフルエンザウィルスは変異するから」と説明されるが、天然痘やポリオだって変異する筈だ。天然痘やポリオは淘汰されたのにインフルエンザは淘汰されないのは何か違ったメカニズムが働いているとしか思えない。
 かつてインフルエンザのワクチンは学童に対して集団接種が行われていた。しかし予防効果が乏しく、副作用もあることからこの制度は廃止された。
 今、新型豚インフルエンザのワクチンが救世主の如く持て囃されているが、このワクチンは本当に「効く」のだろうか。
 1回の接種で7~8割の人に効果があるそうだが、これは予防できるという意味ではない。症状の軽減も含めて「効果」としているようだが、予防できない薬品をワクチンと呼んで良いのだろうか。誇大広告ではないだろうか。またどの程度の軽減効果が認められているのだろうか。
 仮にワクチン接種者がインフルエンザで脳障害になっても「ワクチンを接種したから死なずに済んだ」という理屈で片付けられそうだ。
 この論法はある宗教団体を思い出させる。この教団は現世利益を教義として、信じれば必ずこの世で報われるとしている。信者が交通事故に会っても「信者だから死なずに済んだ」と説明する。
 厚生労働省の説明はオカルト教団と同レベルでしかない。本当に効果があるなら二重盲検法を使ってエビデンスを明らかにすべきだ。気休めにしかならないような低品質なワクチンの大量接種はかえって健康保菌者を増やしてパンデミックを招きかねない。