俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

耐久性

2010-01-14 16:19:09 | Weblog
 メイドインジャパンの家電製品の耐久性には驚かされる。丈夫さに驚くのではない。各部品がほぼ同時に壊れるということに驚きと同時に恐怖に近いものを感じる。
 家電製品が故障した場合、それを修理しても次々と他の場所が故障して結局買い替えざるを得なくなる。まるで部品ごとの耐久性が同じになるように設計され同時に壊れるように作られているかのように思える。
 人間の体はこんなに合理的には作られていない。多分最初に膝か腰が壊れる。これは直立二足歩行という特殊な進化をしたせいだ。本来四つ足の構造の人類が2本足で歩くから耐久性のバランスが狂ってしまった。
 膝と腰に欠陥があるから中高齢者の陸上でのスポーツは必ずしも健康のために良くない。そのためだけではないが、私はもっぱら水泳で体を鍛えている。
 膝と腰の次に壊れる場所はバラバラだ。つまり家電製品と同様、全体が同程度の耐久性を持っているようだ。但し先に壊れる場所は人によって違う。私個人としては脳より先に心臓が壊れて欲しいと思う。脳が壊れた痴呆症の状態で長生きしたくない。脳の健康のためなら体の健康を犠牲にしても惜しくない。

弥生人

2010-01-14 16:02:00 | Weblog
 騎馬民族が海を渡ってやって来て縄文人を征服した訳ではない。コルテスによるアステカ帝国侵略や元寇と同じようにイメージするのは大間違いだ。
 南方系・北方系および西方系を起源とする混血の縄文人が広く分布する日本列島に、稲作や鉄器などの新文明を持つ人々が次々に大陸や半島からやって来た。この中には、始皇帝の命令で不老不死の薬を求めて東海へと向かい帰って来なかった徐福の一行も含まれているかも知れない。彼らは侵略者ではなく啓蒙者として縄文人に大歓迎されただろう。言わば天下った神として迎えられた。
 縄文人と比べて少数者であった渡来人は混血を繰り返して同化して行った。こうして生まれたのが弥生人だ。
 水の中に墨を落とせばジワジワと広がるように、大陸および半島系の血筋は西日本の日本海側から徐々に広がった。古事記や日本書紀に拠れば、東北地方には大王に従わぬ蝦夷、南九州には熊襲がいたとされているが、これは原日本人である縄文人の末裔だろう。
 西洋でも中国でも文明・文化の転換期には侵略・戦争・支配という形態を取る。しかし縄文から弥生への文化革命は殆ど犠牲を出すことなく平和に行われたと思われる。近代史における白人による侵略・植民地支配とは全然違う。10,000人未満の犠牲で達成された明治維新と共にこの弥生時代の平和革命は世界に誇るべき日本史だろう。

合議

2010-01-14 15:47:21 | Weblog
 私の考えは偏っている。勿論、私の考えだけが偏っている訳ではない。A氏の考えもB氏の考えも皆偏っている。それはやむを得ない。人は経験に基づいて考える。人によって経験は異なるからそれぞれが偏った考えを持たざるを得ない。
 みんなが偏っているのだから合議を通じてそれぞれの偏った部分を修正すれば正しい考えに至る可能性がある。このことは、古くは聖徳太子も言っていることだ。十七条の憲法の第一条は「和をもって貴しとなす」であり何事も一人では決めず必ず合議せよと記されている。
 ある人は強気でありある人は弱気であろうから、コミュニケーション力が優れた人が集まって合議するなら文殊の知恵ともなり得るだろう。
 但し、そのためには大きな前提条件がある。ちゃんと自分で真面目に考えるということだ。
 自分で考えるということは決して易しいことではない。多くの人はマスコミの報道を鵜呑みにするし、集団ヒステリーに陥っていることもあるからだ。
 集団ヒステリーは中世の魔女狩りのような他所の国の昔の話ではない。日米戦争も典型的な集団ヒステリー現象だろう。軍部だけが暴走したのではない。日清戦争と日露戦争に勝ったことで日本人の大半が戦勝に酔い好戦的になっていて、マスコミも世論も軍部を煽っていたという歴史的事実を見逃してはならない。