俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

死ぬ権利

2010-01-29 16:16:27 | Weblog
 生きることは当然権利として認められているが、快適に死ぬ権利は今のところ認められていない。自然死に至るまで生きることが義務だと考えられ、死ぬ直前まで頑張り抜くことが美徳とされている。
 たまに尊厳死や安楽死が取り沙汰されることもあるが、あらゆる快感が損なわれて全身の苦痛と痒みおよび糞便の垂れ流しに苦しむ老人には快適に死ぬ権利は無いのだろうか。勿論、本人が生きたいと望むなら社会もバックアップすべきだろう。しかし「もう死にたい」と望むならその権利も認められるべきだろう。
 人は誰でもいずれ必ず死ぬ。苦しいだけで何の楽しみも無い余生を引きずらせることは病人をチューブ巻きにする延命療法のようなものだ。殆んどの人は死ぬ直前には「死ぬほどに」苦しまねばならない。末期症状が苦しいのは癌だけではない。だから多くの老人は「ピンピンコロリ」を願う。
 全く個人的な意見だが「安楽死できる施設」があっても良いと思う。申請してから1ヶ月後に再び訪問して意思が変わらなければその施設を利用でくるような仕組みになっていれば利用希望者は決して少なくなかろう。こんな施設さえあれば「自殺するのは怖いから死刑になろうと思って誰でも良いから殺した」という愚かな凶悪犯罪も未然に防止できる。
 こんな考え方は「人命軽視」だろうか。苦しみの強制のほうが人権の侵害だと思う。苦しいだけの終末期の人生に自らの意志でピリオドを打つことは人間の尊厳性を守る雄々しい死に方だ。またこれによって年金や医療保険の削減にも繋がるのだから国にとっても悪い話ではない。中途退職が認められるように「中途死」も許されて良かろう。
 まだ生きていたいと考える老人に「早く死ね」と言うことは許されないが、「もう死にたい」と考える老人には心安らかに、快適で、誇りを失わない形での死を認めることが思いやりではないだろうか。

強肉弱食

2010-01-29 16:05:37 | Weblog
 「手元にある金は元気なうちに使ってしまえば良い。これは無駄遣いではない。自分への褒美であり自分に対する投資だ。老後に備えた貯えなど要らない。増してや年金の積み立てなど無意味だ。住むところさえあればあとは生活保護を申請して国に面倒を見てもらえば良い。それが国民の権利だ。」
 こんなキリギリスのような考え方が広まったら一時的には景気は良くなる。消費が活発になるからだ。しかし彼らが失業したり定年を迎えたりしたら大変だ。大量の生活保護受給者を現役世代が養わねばならなくなる。
 福祉国家は1つの理想ではある。誰もが老後に不安を持たずに暮らせるのは素晴らしいことだ。しかしそれを食い物にしようとする者が現れたらそれは理想とは懸け離れたものになってしまう。ダニのためにアリが汗を流すべきではない。
 弱肉強食は酷い社会だ。そんな社会を許すべきではない。しかし強肉弱食はもっと酷い社会だろう。

消費税減税

2010-01-29 15:45:18 | Weblog
 消費税には逆累進性があると言われている。つまり貧しい人の負担が重く裕福な人の負担が軽いということだ。
 この欠点を利用して国民の生活に速やかに寄与する方法がある。消費税減税を行うことだ。消費税を減税すれば増税とは逆のメカニズムが働くので貧困者層を優先的に支援することができる筈だ。
 勿論、恒久的に減税をすれば財源が不足することになるから、例えば3ヶ月とか6ヶ月だけでも良い。消費税を増減すれば実需以外に駆け込み需要も発生するので消費者だけではなく企業にとってもメリットがある。
 これは決して非現実的な話ではない。イギリスでは2008年12月から2009年12月までの13ヶ月間、付加価値税率を17.5%から15%に引き下げた。どういう訳か日本のマスコミはこのことを殆んど報道してくれないので私もネットから得た以上の情報を持たないが、消費刺激効果はあったようだ。
 なぜなら、あのプライドの高いフランスがイギリスの政策に追随したからだ。フランスは自らをヨーロッパ1の、いや世界一の文明国と信じており、他国の真似をすることは滅多に無い。そのフランスが2009年7月からレストランとバーの軽食の付加価値税率を19.5%から5.5%に、なんと14%も引き下げた。フランスでは食料品の付加価値税はもともと低率に抑えられているがこの考えをレストランにまで拡大した。
 日本の政治家や官僚はお金持ちばかりだから中下層の庶民の利益を考える能力が欠落しているように思える。消費税率を上げないことを約束するよりも、食料品の消費税率を0~3%にするような見直しを図ってもらいたいものだ。現状維持では景気刺激策にはならない。