俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

エコ

2010-02-16 16:45:14 | Weblog
 エコという言葉はエコノミー(倹約)とエコロジー(環境)を混同させる迷惑な言葉だ。確かに多くの場合、倹約は環境に繋がる。電気の使用量を減らせば支出減と同時にエネルギー消費量も減る。
 しかしエコノミーとエコロジーは予定調和する訳ではなく、時には対立する。無料配送や20年前の自動車の使用はエコノミーだがエコロジーではない。前者なら購入者が持ち帰るほうが環境負荷が少ないし、後者については燃費の悪さと有害排気ガスの両面で反エコロジーだ。
 一方、刺身や生卵や生肝は火力を使わないのでエコロジーだが、衛生的で新鮮な商品を厳選せねばならないのでエコノミーではない。燃料電池はエコロジーだが今のところエコノミーではない。
 倹約と環境は無条件で正の相関になる訳ではない。負の相関であっても敢えて環境を選んでこそエコロジーと言える。工場排水の浄化はかなり高コストであろうともやらなければならないのと同じことだ。

先富論

2010-02-16 16:28:19 | Weblog
 かつて中国の小平氏は先富論を説いて「豊かになれる者から先に豊かになれば良い」として改革開放政策を推進した。日本もこの賢者を見習ったらどうだろうか。
 近頃流行りの結果の平等主義は日本を衰退させる。社会主義が理想とした結果の平等とは「経過の不平等」だ。つまりよく働いても余り働かなくても平等な結果になるのだから誰も働かなくなった。これが社会主義国の崩壊に繋がった。
 「世界で唯一成功した社会主義国」とか「社会主義国以上に社会主義的」と日本が評価されたのは「経過の平等」が実現されたからではないだろうか。才能や努力が正当に報われたから知恵を出せない者は汗を流して1億総中流とまで言われた理想的な社会を築いたのではないだろうか。
 運動会では手を繋いでゴールする、と言われた頃からこの国はおかしくなった。たまたま今日のバンクーバーオリンピックのスピードスケートの500mで長島選手が銀メダルを加藤選手が銅メダルを獲った。競争があるから栄光がある。競争を避けたら堕落が待っている。
 知恵も汗も出さない者に対する優遇は知恵や汗を出す者に対する冷遇になる。これはゼロサムの関係だ。知恵や汗を出す者が正当に報われる仕組みの再構築が今の日本での優先課題であり、知恵も汗も出さない者の救済など二の次で良い。

痴漢の冤罪

2010-02-16 16:08:02 | Weblog
 痴漢の被疑者にされた人は大半が有罪になるそうだ。どうしてこんな酷いことになっているのだろうか。
 皮肉なことに有罪を立証することが困難だということが冤罪を招く原因になっているようだ。一般の刑事事件なら物的証拠は山ほど出てくる。ところが痴漢の場合、目撃者がいるか、被疑者の手から繊維か体液が検出しない限り客観的な証拠にはなり得ない。法律に従って審判をすれば殆どの被疑者が無罪になってしまう。これでは女性の安全は守れない。そこで検察と裁判所は談合して、自白さえあれば有罪にできる有罪推定という超法規的措置を採ったようだ。証拠が無いことが普通なのだから自白だけでも充分だという理屈だろうがここに落とし穴があった。警察は自白捏造のプロだからだ。
 死刑や無期懲役になるような重罪でさえ虚偽の自白をさせるほどのテクニシャンにとって痴漢の如き微罪を認めさせることなど赤子の手を捻るようなものでしかない。絶対に調書に記録されることは無いが、警察は次のように「仄めかして」虚偽の自白を誘うそうだ。
 「認めたら罰金で済むぞ。認めなければ懲役刑だ」
 「認めたらすぐに釈放する」
 「認めたほうがトクだぞ」
 「いつまでもここにいたら会社をクビになるぞ」
 「一旦認めて娑婆に出てから裁判で争えばいい」
 こういった言葉に騙されて虚偽の自白をしてしまう被疑者は少なくないだろう。しかし一旦認めてしまえばそれを覆すことは非常に難しい(09年7月28日付け「自白の撤回」参照)。また地裁判決の有罪率は99.9%だから裁判に訴えても、金ばかり掛かるだけで徒労に終わる(09年7月15日付け「99.9%」参照)。こうして冤罪の被害者は大量生産される。
 冤罪の罠から身を守りたいなら、絶対にその場凌ぎの虚偽の自白をしてはならない。