俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

人件費の削減

2010-02-23 16:06:17 | Weblog
 「国家公務員の人件費を4年間で2割削減」をマニフェストに掲げた鳩山内閣は支持母体である労働組合の抵抗に会い身動きができない状態らしい。
 これは温室効果ガスの25%削減と並ぶ無茶な目標だろう。2割削減するためには給料を2割削るか公務員数を2割削るか、あるいは両方を1割ずつ削るということが必要だ。3案とも連合は認めないだろう。
 但し人件費という名目の支出を減らすことはいとも簡単に実現できる。具体的な手口は「人件費のトリック」(09年2月3日)に書いたのでここでは主に「その後」について書く。
 ある企業が宣伝部門を別法人にすれば宣伝部門の人件費は宣伝費に化ける。しかしこれだけでは何ら経費削減にはならない。この新会社は外に働きかけねばならない。それまでやっていた社内の仕事だけではなく社外の仕事を受注して初めて別法人化が意味を持つ。それが無ければただの誤魔化しだ。経費項目の付け替えに過ぎない。
 政府はこれまでに国鉄の民営化、郵政事業の公社化・民営化、国立大学の法人化などによって公務員数を減らした。
 国鉄は昭和62年の分割民営化から20年ほど掛かってようやくまともな民間企業になりつつあるように思える。新幹線の技術を外国に売るようになったからだ。
 一方、郵政は国営に戻りそうな情勢だし、国立大学に至っては訳の分からない運営費交付金という名目に化けただけだ。
 労働組合が重要な支持基盤の民主党に人減らしや賃下げができるものだろうか。まやかしの法人化に終わりそうに思えてならない。それとも高給取りの幹部の首切りにでも励んでお茶を濁すつもりだろうか。

酒税

2010-02-23 15:45:23 | Weblog
 日本のビールは高い。多分世界一高いだろう。その原因は贅沢品として高額の酒税が掛けられているからだ。「ビールが贅沢品?」と誰もが思う。昔、国税局はこんな理屈を使った。「焼酎は料亭では出されないがビールは料亭でも飲まれているから贅沢品だ。」この屁理屈は今では使えない。料亭で出されることの無い発泡酒や第三のビールにも高い酒税が掛けられているからだ。実状は「金を取れる所から取る」ということだろう。
 世界に類を見ない珍妙な飲料である発泡酒が生まれたのも酒税が高過ぎるせいだ。ビールの国際基準が「麦芽比率50%以上」であることに目を付けたサッポロビールが麦芽比率50%未満の「ビールでないビール風飲料」を開発した。国税局はこれに対してビールに準ずる課税をした。するとまたサッポロビールが「発泡酒でないビール風飲料」を開発して国税局は発泡酒に準ずる課税をした。
 こんな次第で現在の課税額は350ml換算でビール77円、発泡酒48円、第三のビール28円という形で収まっている。
 ところでビール系飲料の小売価格をそれぞれ230円、160円、140円とすると面白いことに気付く。発泡酒と第三のビールの税抜き価格は同額だ。つまりこの2者の価格差は酒税額の差でしかない。誰が品質が同程度で酒税だけが高い酒を買うだろうか。実際、発泡酒のシェアは毎年大きく下がっている。これがゼロにならないのは多分、鰻丼の松竹梅で竹を選ぶような人が買っているからだろう。
 最近アルコール度数ゼロのビール風飲料が人気らしい。これには当然酒税は掛からないのに、なぜか第三のビール並みの価格で売られている。これは間違い無く、消費者の酒税に対する無知に付け込んだボッタクリだ。メーカーと小売店にとってはスゴいドル箱商品だろうが、他のメーカーが類似品を出せば一挙に値崩れするだろう。もしそうならなければカルテルの疑いがある。

民の富

2010-02-23 15:27:58 | Weblog
 国は富を生まない。民の富の上前をはねるだけだ。富を生むのも雇用を生むのも民だけだ。
 なるほど公共事業や公務は雇用を生む。しかしその原資は民から集めた税金だ。民から集めた金を、政治家と官僚が中抜きをした上で、無駄な事業を通じて再配分しているだけだ。民の金の一部を還付しているに過ぎず、全然有難がる必要は無い。全体を見れば国は国民から搾取をしているだけだ。
 公務という言葉に隠れて無駄で非効率な事業がどこまでも拡大する。雇用対策として始まった事業がいつまでも存続する。お役所は限り無く肥大し続ける。無駄遣いするための金が足りなくなれば増税か国債に頼って無駄の塊のような体制を維持しようとする。
 無駄なだけならまだマシかも知れない。干拓やダムなどの事業は時には有害でさえあり得る。もう沢山だ。
 私は決して無政府主義者ではない。小さな政府主義者だ。役人と政治屋による無駄遣いを少しでも減らして欲しいと心から願っている。国の仕事としては国防、治安、外交、教育、福祉ぐらいに絞って、これ以上無駄遣いをするのは止めてもらいたいと切に願っている。政治家も今の1/10で充分だ。
 公共事業が無くなれば道路も橋も作れないと言われるかも知れない。しかし本当に必要な道路や橋ならば貧しい自治体が地元民から寄付を募って作ることも可能だ。そんなことができないほど阿呆ばかりではない。必要以上の規制とそれに伴う利権に群がる政治屋と官僚および政商は寄生虫どころか国民を食い物にするピラニアのようなものだ。